outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

それぞれの海外旅行

2013年11月15日 15時45分43秒 | 退職生活
僕が毎日見ている仲間のブログが7つ有ります。

そしてその人達のブログやホームページには、僕のホームページやブログに、リンクやブックマークがあって、簡単に見られるようになっています。
全員退職者なんですが、今日こんな事を書くのは、実は見ている人達のうち、自分たちも含めると、なんと4組が海外旅行中なんです。

遊びma専科の松井夫妻はモロッコです。

ヘナチョコ中野夫妻は、マレーシアのペナン島。

亀丸日記の本間夫妻は韓国。

そして僕らがネパールとなります。

相変わらず日本円は強いし、航空券は安いし、なんだかんだ言っても、今は海外旅行をするチャンスでしょう。7

まあ折角海外に来ても、10日もホテルで寝たり起きたりしてる組も有りますが、、、、、

他の、皆さんには、元気で楽しんで欲しいものです。

その僕らの体調ですが、僕の熱も昨夜は出ず、とは言っても37度余りの熱はあるんですが、随分楽になっています。

ただシツコイに咳と、痰が止まらず、余りに咳をするので??股関迄痛くなって来ました。

美由紀は咳も痰も随分減りました。

食事も美味しくなったと言い、ずっと殆ど日本食レストランに行ってたのを、今日の昼はチベット料理。

そこが気に入って、今晩もそこに行こうと話してます。

この様に、食欲が出てくると、先は見えた気がします。

ここ最近と言うか、出歩け無かった時から、近くのベーカリーで焼き立てのパンを買って来て、ミルクティーを部屋迄配達して貰っています。

この買ってるパンと言うのが、パイナップルの切ったのを、挟んで焼いてあって、実に絶妙に美味いんです。

他にも色々買って見たけど、最近は迷わずこれを3個買って、一つ半づつ食べています。

焼き立て、ホカホカだから、余計そう思うんでしょうが、

話しは変わりますが、ネパールは今完全な乾期です。

僕らがネパールに着いた10月の14ー5日頃から1ヶ月以上雨が降ってません。

とは言っても、カトマンズは大気汚染で薄曇りの日が多いんですが、今日はスッキリ青空でした。

そこでこれ幸いと、ホテルの部屋の毛布や枕、シーツ等を天日干し。

部屋も開けっ放して、空気入れ換え乾燥したので、今日は快適に眠れる?






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ネパール最安は中国東方航空だった

2013年11月14日 16時43分40秒 | 退職生活
バックパッカーとは、背中に大きなバックパックを背負って、安く長く旅をする人達だけど、その安くの中でも、特に大きく移動する航空券の値段は、元々の金額が多いだけに、各自慎重に人の意見や情報を集めて決定します。

特に現代の様に、多くの航空会社が価格競争してると、高い所と安い所では、同じ場所にいくのに、3倍も5倍も違います。

まあ安い会社ばかりで探すと、二割か三割程度の差しか有りませんが、、、、

さて今回ネパールに来たのは、エアーアジアと言うマレーシアのLCC航空会社でした。

荷物を機内持ち込みだけにして、食事を4回付けて、二人で片道9万円余りだったと思います。

これにもしも、一人20キロ以内の荷物を預けたとすると、余分に8千円必用になります。

今回日本に帰る時は、ネパールで買ったトレッキング用品があるので、どうしても機内持ち込み以外に各自10キロ程の登山ザックを、預けなければなりませんでした。

そこでエアーアジアより安く日本の関空へ、帰れる便をインターネットで探す事に。

日本人旅行者何人かに、中国東方航空が安いとは、聞いてたんですが、調べてみると、一人45000円程で余り変わりません。

変わらんなー、、、と思っていたら、何故か一日だけ特別に安い日があったんです。

この辺が安い航空券を探すコツなんでしょう。

エアーアジアでもそうだけど、時々特別な設定があるんです。

それほど大した額で無いと、思う方も居るでしょうが、安い航空券で移動するのは、バックパッカーのプライドのようなものです。

これはカトマンズを出て、昆明迄行き、乗り換えて上海に行き、また乗り換えて関空に着くと言う便です。一人20キロ迄荷物を預ける事ができ、食事も飲み物も付いて、二人で64840円でしたから、激安です。

とは、言っても最初からカトマンズ往復便で90日以内なら、関空から往復で二万円台で買えたんですが、、、

五ヶ月旅する予定だったし、ネパールの後何処に行くか決めて無かったから、随分無駄な出費になってしまいました。

ただ中国東方航空と言うのは、ランク的にかなり低い会社です。

でも飛行機は滅多に落ちないと信じて、乗ります。

そんな事で11月25日の夜に、日本到着と決まりました。

それまでに、完全復活を果たし、少しは楽しいカトマンズの思い出が作れたらなぁ…と思ってます。

なを参考までに、航空券はsky scannerと言うサイトから、探してそこで予約し、カードで支払いを済ますと、メールに電子チケットが届きました。
そんな具合になりましたが、僕の体調は昨夜39度の熱が出て、クスリを飲むとやがて収まり、今日も日中は熱もでてませんが、何となく夜には出そうな予感。

痰も相変わらず。

美由紀は明らかに、良くなってるけど、相変わらず咳も痰も少なくはなったけど、出ています。

気長に養生するしか有りませんね。

 
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症状

2013年11月13日 14時56分16秒 | 退職生活
エベレストトレッキングから、カトマンズに降りて来て以来、体調が悪くホテルで寝たり起きたりの日々を送ってる二人ですが、今日はその症状について書きます。

まずは美由紀から

トレッキング期間中もでしたが、非常に寒く風邪気味でした。

それがそのまま降りて来ても治らず、段々酷くなって来た感じです。

咳も酷く熱が38度以上あったので、薬局で解熱剤と咳止めを買って来て飲んで居ました。

クスリを飲むと、一時的に汗が大量に出て、熱が下がるんですが、クスリが切れるとまた発熱を繰り返し、相変わらず酷い咳で、痰の質が変わり粘りがある黄色いのが多量に出始めました。

この時点で、風邪でなく急性気管支炎を疑いました。

高山で空気が薄くなってたので、意識的に過呼7吸したのが原因??

空気が物凄く乾燥してたのもいけなかった??

いずれにしても、僕らは風邪に弱い体質で、美由紀などは、常に風邪を引いていて、小学校も3年生迄は殆ど学校に行けてない位です。

急性気管支炎だと、風邪も同じで休養しか無いようですが、余りに痰が多量に出るので、抗生物質を一昨日の夜からのみ始めました。

すると、丁度そんなタイミングだったのか、熱が出なくなり、このところ食事に出掛けられるようになっています。

さて僕ですが、美由紀が少し良くなり始めた、昨日の朝から38度を超える熱が出始めました。

ずっと37度余りの熱はあったんですが、急に寒気を感じたので、昨日の夜は解熱剤を飲みました。

痰が美由紀が悪かった時と同様、粘りがある黄色いのが多量に出ます。

しかし今日になっても、38度を超える熱は出ないので、抗生物質は飲まずに様子をみています。

何となく二人共、峠は越えた様に感じてるんですが、僕は寒気が
止まらないから、37度超える熱があるようです。

扁桃腺が痛いので、扁桃腺炎が起きなければいいんですが、ちょっと心配です。

今日の昼は、久しぶりにロータスに行きました。

ここのカツカレーは大人気で、カトマンズに来た日本人の殆どが食べる程です。

そのカツカレーです。



それを食べに来てる老日本人達。混んでるから相テーブル。



この後、日焼けしてる日本人が居たので、何処に行ってたのを聞くと、7000メートル峰の頂上を目指してたけど、崩落の危険があって、断念したそうですが、、、、

来週にはアンナプルナ1の頂上を目指すそうです。

72歳と言ってましたが、僕らと大違いです。

話しは変わりますが、僕らの泊まってるホテルに、老日本人が5人数日前から泊まってます。

男ばかりなんですが74歳が最年長。1ヶ月余りのバックパッカー旅行で、ポカラから、アンナプルナを少しだけ見てきたようです、

その人達も皆さん元気で、お大事に等と声を掛けられています。

悲しいなぁ…



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高齢バックパッカー

2013年11月12日 13時48分48秒 | 退職生活
ここ数日、二人の体調が悪いので、カトマンズの街中を歩きながら、高齢バックパッカーの割合を、気にしながら見て居ました。

先ず、バックパッカーとパックツアー参加者では、滞在期間が全く違いますから、同じ人を何度も見てしまうので、バックパッカーの割合が非常に多い様に感じてしまいます。

例えばパック旅行者の場合、トレッキング期間を含めても、20日以内が殆どと思います。

しかしバックパッカーだと、アチコチに移動しながら、数ヶ月時々数年なんて人もいます。

それらを考慮した積もりで、カトマンズの旅行者を見ると、多分皆さんが想像する以上に高齢バックパッカーがいます。

まあ見分ける方法として、泊まってるホテル、服装や雰囲気、食べてる食事などで、判定します。

僕などは、バックパッカーの見本みたいなもんです。

さて今日書く高齢バックパッカーとは、何歳以上を言うかと言えば、特に日本人に結構居るので、50歳以上とします。

多分リストラや、就職難から、日本を離れた人達でしょう。

さて本題の割合なんですが、白人の場合、殆ど半分が高齢者です。

年金生活者と思えるバックパッカーが、そこら中にいます。

70代後半と思える人も珍しく有りません。

カップルだったり、男同士、女同士だったり、4~5人グループだったりです。

次に日本人ですが、3割程の様に思います。

そして特筆すべきは20代の若者が少ないです。

元々バックパッカーは20代の人達が多かったんですが、出不精になったんでしょうか?

そして次はお隣の韓国人ですが、高齢バックパッカーは1ー2%で、不思議な事に孫や子供と一緒に来ています。

次は成長著しい中国のバックパッカーは東洋人の半分以上を占めています。
そして皆さん若いです。

高齢バックパッカーは一人も見ません。

ただツアーでは大挙して押し寄せています。

中国人相手のレストランやツアー会社、ホテルが増えて、ネパールは中国に乗っ取られると言ってる人達も大勢います。

それほど中国人は凄いです。

さて高齢バックパッカーの話しに戻りますが、発展に途上の国々では、高齢者に長い旅をしようと思う気持ちが、まだ生まれていないのだと思います。

しかしどの高齢バックパッカーを見ても、元気そうなのに、僕ら二人はやっと食事にだけは出られる様になったけど、何処にも行けずホテルで寝たり起きたり、本を読んでるけど。

辛いなぁ……
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ネパールの乗り物

2013年11月11日 14時06分08秒 | 退職生活
ネパールの空港に着いた時もだけど、カトマンズの街中でも、ポカラでも、またもっと小さな町に行っても、タクシーとして活躍著しいのが、我が国ブランドのスズキ マルチです。





インドで生産されてるこのスズキ マルチは800CCのエンジンを載せたアルトなんですが、車全体の半分以上の様に感じます。

最近はもう少し車体が大きいのも目立ちますが、スズキブランドは最強です。

しかしトラックやバスになると、断然強いのがインドのタタです。

見るからに頑丈そうで、乗り心地や安全性より強さが全てと感じます。





そんな中で、小さな団体客の送迎に活躍してるのが、日本が誇るトヨタ ハイエース。

これは今や世界一でしょう。何処に行っても、活躍してますね



外に東南アジアでは何処に行っても、ある庶民の足はトライシクル、リクシャーとも言いますが、観光客も喜んで乗ってます。



これは余分ですが、電柱の周辺の配線の様子です。

これで漏電や事故が起きないのが、不思議でしょ。

でも首都のカトマンズでも、毎日何時間も停電します。



もう1つオマケに、土産物屋さんの面



今日の昼は美由紀も久しぶりに日本食を食べに出ました。

もう一息かな??

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ネパールでの食べ物

2013年11月10日 16時48分01秒 | 退職生活
エベレストトレッキングを途中リタイアして、カトマンズに戻って早くも5日になりました。

戻って直ぐに日本食レストランに向かい、そのあとも三日間は、朝食以外は全部日本食レストランに行ってました。

カトマンズの、タメル地区と呼ばれる、旅行者が集まるこのホテルの近くに日本食レストランは、僕らが知ってるだけで8軒あります。

ふるさと、絆、おふくろの味、ロータス、桃太郎、ちゃちゃかふぇ、古都?、田村などで、多分まだ外にもあるでしょう。

そんな中で、僕らが毎日の様に行くのは、ふるさととおふくろの味。

良く食べるのが、豚しょうが焼き定食と豚ナス味噌炒め定食、トンカツ定食。

漬け物、味噌汁が付いて300円余りだから、日本の半額以下ですが、味はまあ充分辛抱できる範囲。

朝食は前回からずっと同じレストランでセット朝食。

トースト二枚に玉子二個の僕はオムレツ、美由紀は目玉焼き、焼いたバナナと野菜炒め、珈琲はカプチーノ。

これで二人で500円ほど。

ここ三日程美由紀が寝込んでたので、僕は外で食べて、美由紀にはパンやサンドイッチ、果物を買って来て、ミルクティを出前して貰ってました。

それが今日の昼は、少し良くなったようで、隣り合わせながら、中華料理屋に出掛けました。

一度だけチベット料理のツクパも食べに行ったけど、僕の体調もイマイチだから、そうなるとヤッパリ日本食。

漬け物や味噌、醤油味が一番です。

そんな事で今晩も日本食でしょう

写真写して無いので、後で写してアップします。

一番良く行く、おふくろの味の看板



ちゃちゃかふぇと、ちゃちゃかふぇの和風ハンバーグ定食





320円でしたが、外の店と違ってお茶のサービスが有りませんでした。



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カトマンズでの日々

2013年11月09日 17時42分27秒 | 退職生活
僕らがカトマンズで定宿にしているのが、カンサーゲストハウスです。

まずはそのゲストハウスの紹介です。

カンサーとはこの様に書きます



ネパールはイギリス式で、ファーストフロア(一階)と言うのが、日本での2階になって、一階はグランドフロアとなります。

このゲストハウスは、日本式に言うと6階建てで、結構大きなゲストハウスで、まあこの辺のゲストハウスの中では、中の上と言った程度の綺麗さです。

泊まってる部屋は103号室



部屋の前がベランダになってるのが気に入ってます。



とは言っても、通路でもあるんですが、、、、、

たまたま今の部屋はベッドが三つある、トリプルルームですが、ツインの部屋が空いた時に、変わるのが面倒でそのままいます。

Khangser guest houseの広告から予約すると、この部屋は一泊が21USドルの様です。

まあ実際には、殆どの人達は一部屋一泊15ドル前後で泊まっています。

これは、この辺の同じレベルのゲストハウスから比べると、かなり安い設定だと思いますが、僕らは前回も長期滞在してるし、今回も長期滞在だから、充分顔見知りだしと言う事で、一泊800円にして貰っています。

そんな値段交渉を任されて居る若い二人は、日本へ出稼ぎに行きたいと、前に来た時からいつも言ってます。



でも日本のビザが取れないそうで、保証人になって欲しいと顔を見るたび言われます。

そこでビザの事を調べて見ると、ネパール人が日本に行くのは、観光ビザでさえ中々発行してくれない様です。

一旦入国してしまうと、期限が来ても帰らず不正労働するからの様です。

前回アンナプルナ街道をトレッキングしたとき、ポカラにも幾つも日本で稼いで建てたゲストハウスがあったし、山小屋にも出稼ぎ組と呼べる位の割合で経営者になってました。

こちらの1ヶ月か2ヶ月の給料が、日本の一日の給料なんだから、誰もが行きたいと思う訳です。

しかし日本にもそんな時代がありました。

僕がハワイに居た1972年、僕はアルバイトでコックをしてたんですが、その時の時間給は7ドルでした。

一ドルが360円でしたから、2520円です。

これで8時間働くと、20160円になりました。

僕は日本を出る前に、かなりの高給料だったから、1ヶ月の給料になるには三日以上働かなければいけませんが、当時銀行に勤めて居た美由紀の給料は三万円無かった様に記憶しています。

そんな時代でしたが、誰もに夢があったと思います。

そう考えると、今の日本の若者達より、ネパールの若者の方が幸せかも知れません。

僕ら二人は、エベレストトレッキングで、使い果たした体力や気力を復活させるべく、休養を続けています。

最後の写真は、ベランダの端から見下ろした街中の様子です。



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高山病の症状と対策

2013年11月08日 16時39分16秒 | 退職生活
日本でも富士山に登って高山病になる人が居るようですが、富士山で高山病になって、死んだと言うのを聞いた事は有りませんから、3800メートル程度なら、死に至る事は無いのだと思います。

僕らはヒマラヤではアンナプルナBC.マレーシアのボルネオ島のキナバル山、ヨーロッパのアギュードミディと、4000メートルを少し超えた山に、いままで三度登ってますが、多少の息苦しさや高山病を感じた事はあっても、命の危険を感じた事は有りませんでした。

それが油断に繋がった、と言えない事もありませんが、今回は4800メートル辺りから、[死]がすぐ近くにあると感じました。

高山病は人によって、色々な症状となって現れます。

現れる標高も様々ですが、今回の美由紀を振り返ると、4000メートル近くになったときに、足の運びが急速に落ちました。

その頃の僕は、平常通り動けましたが、明らかに空気が薄いと感じて、出来るだけ深呼吸をし、特に息を吐ききるように心がけました。

4200メートルの小屋に着いた時、美由紀は頭痛を訴えて居ましたから、息が充分吐ききる事が出来て無かったのだと思います。

小屋で二泊して、高山病のクスリを飲んでると、頭痛は収まって来ました。
しかし相変わらず動きは緩慢で、本調子には程遠い状態でした。

ジリを出て、ここまでに15日掛かって居たので、疲れも溜まっていたと思います。

今考えれば、ここで本調子になるまで、何日でも休んで高度順応すれば良かったのでは?と思いますが、その頃の僕らはジリからずっと半月も食べてきた、エベレスト街道の食事に飽きていたんで、はやく登って仕舞いたいと言う思いが強かったです。

これを言い換えると、ジリから歩かず、ルクラに飛行機で来ていたら、食事の飽きもそれほどでなく、待てたかも知れません。

もうひとつ、前回行ったアンナプルナ街道の食事を想像していたのが、エベレスト街道ではメニューが半分しか無い上に、味も良くなかったです。

またアンナプルナでは二ヶ所であった温泉が、一つもなく気分良く休養出来ないだけでなく、常に寒い思いをしてました。

この様な事も、高山病を克服出来なかった理由だと思います。

4200メートルを出発した後も、頭痛は収まってたものの、美由紀の足取りは重く、足を引き摺りながら、コースタイム2時間の所に4時間掛かりました。

そこで再度の高度順応をしたんですが、殆ど効果は有りませんでした。

ここでもう一度4200メートル迄下って居たら、違っていたかも知れませんが、早く登って仕舞って日本食を食べたいと思う気持ちから、翌日コースタイム2時間の5000メートル近くを目指してしまいました。

息苦しそうで、重い足取りに加えて、幾分顔も浮腫んで居ました。

その上に時々止まって目を瞑り始めたので、かなり危険な状態と感じましたが、小屋までの高度が殆どなくなってたので、小屋に向かいました。

小屋に着いたすぐは少し元気を取り戻した様に見えたんですが、荷物を下ろすと眠り始め、立っていても座っていても、食べていてもすぐに眠ってしまいます。

この時点で翌日から下山と決定したんですが、今思ってもかなり危険な状態だったと思います。

5000メートル余りで高山病で冷たさを感じず、凍傷で全部の指を切り落とした人もいます。

小屋の布団の中で、凍死する人もいます。

5千メートルを超えると、夜はマイナス20度、昼でも太陽が出ないと完全なマイナス世界です。

頭痛、不眠、食欲不振、多眠、便秘、下痢、目眩、鼻水、難聴、痺れ、血圧異常、脈拍数異常、歯痛、味異常等々。

高山病は人によって、また程度によって、どの様に現れるか予測出来ないそうです。

しかし死に至る前に、高山病の症状は出ます。

本人は気づかない場合も多いそうですが、回りが気をつけていたら死ぬ事だけは防げると思います。

ヘリコプターで救助される前に、適切な判断をすることに、勇気を出して下山することも大切だと思いました。

最後に、今回の高山病発症と途中リタイアの原因は、高齢にも関わらず、自力で重いバックパックを背負って、ジリから登り始めた事にあると思います。

まあでも生きてるから、充分です。

それにしても、酸素無しで8000メートルに行く人が居るなんて信じられません。

日本の女お笑い芸人が、マナスル登ったらしいけど、ほんまに尊敬します。

まあ皆さんも5550メートルのカラパタールに挑戦してみて下さい。

言ってる事が解りますから、、、、






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遥かなるエベレストの3

2013年11月07日 16時50分50秒 | 退職生活
4252メートルのペリチェで二日間の高度順応を済ませ、コースタイムで4時間のロブチェ(4930メートル)を目指しましたが、美由紀の高山病が強く、足の運びが極めて遅いので、中間点のトゥクラ(4620メートル)で泊まって再度高度順応することにしました。







この時点で僕は酸素が薄いと感じ、呼吸に気をつけていましたが、特に高山病の症状は全く有りませんでした。

美由紀も幾分回復した様に見えたので、翌朝ロブチェを目指しました。

ところが、トゥクラの小屋を出てすぐ、先を行ってた若いフランスのカップルの女性が意識を失い、崩れる様に倒れ大声で助けを呼んで、小屋に収容されて行きました。

それからまた30分程して、顔色を変えて小屋のスタッフが僕らを追い越して行くと思ったら、また上の方で団体の一人が倒れて居ました。

続いてそんなのを見たので、慎重にゆっくりと登りました。


回りの景色が変わり、雪の間を進みます。





エベレスト登山で亡くなったシェルパ達の墓が並んでる間を進みます。







雪が段々多くなってきますが、道は緩やかな登りだから、息苦しさは余り有りませんでした。

ところが、美由紀の様子は変で、足の運びが遅いだけでなく、歩きながら眠り始めました。






それでもロブチェの小屋は目前だから、励ましながら到着。



ただ到着はしたものの、立っていても座っていても、すぐに眠ってしまいます。

実はこの様な状態は非常に危険で、寒さも感じなくなっているので、凍死することもあります。

実際にこの翌日、この小屋の上のゴーラクシェプで韓国の若い女性が二人、朝に凍死してるのが発見されています。

そんな事で、下山に決定。

注意して寝かせ、僕は平気なのに、、、と思っていたら、僕にも強烈な下痢が始まりました。

これも高山病の症状のひとつだそうで、明け方に下山の為に下痢止め剤を飲んだんですが、これが効きすぎて、このあと数日全く出なくなって、大変苦しむと言うオマケ付きでした。

標高5000メートル、今回行こうとしたカラパタールは5550メートル。

毎日何人もが、ヘリコプターで
救助され、毎年多くの人達が死にます。

でも、そこに向かう人達は続きます。

僕らは行き着け無かったけれど、生きています。

体力も気力も使い果たしたけれど、その内回復もするでしょう。

エベレストトレッキング、それは予想以上に難しく、遥かなる道のりでした。

最後に、カラパタールを目指して、ロブチェを出発する人達の写真をアップしときます。



しかしここが出発出来ても、カラパタールに着ける人は半分程です。





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遥かなるエベレストの2

2013年11月06日 20時39分09秒 | 退職生活
最近では、普通になってるエベレストトレッキングのスタート地点のルクラまで、飛行機が飛んで無かった時代の、スタート地点は僕らが今回歩き始めたジリが玄関口でした。

今はジリから登り始める登山者は、全体の1%程度と思いますが、現在も殆どの物資はロバや牛の背中に載せられて、奥へ奥へと運ばれます。

我等より、随分早く登って行きますが、それでもベースキャンプ近く迄ともなると、半月位掛かりますから、全ての物価は上に行くほど高くなり、僕らが行けた最高地点のロブチェでは、トイレットペーパー1巻がなんと350円しました。

当然食事代も高く、下界の10倍近くになりますが、運んでるのを見てたら、納得です。

食べさせて貰えるだけ、有り難いと思えるんですが、残念ながら途中からは、食べないと死ぬから、兎に角食べようと口に入れてるだけの状態でした。

これは高山病のせいでもありましたが、疲れてもいたし、20日も同じ様な味が続き、飽きていたのも原因でしょう。

今日はここまでにして、写真を少しアップしときます。

富士山より高い3867メートルにある、世界遺産の仏教寺院です。



僕らがニ度目の高度順応に連泊したペリチェの集落。標高4252メートル。



ここで美由紀が高山病の頭痛を訴え始めました。

二日間居たのと、貰ったクスリで頭痛は止まったけれど、空気が薄く酸素不足で足を引き摺って、やっと歩いてました。

この辺りでは毛の長い牛のヤクが荷物を運び、乳を出し、ウンコは薪の代わりとして燃料になって、毎日食堂のストーブで焚かれ、カマドでも焚かれて、それで調理された料理を食べていました。

長い毛は衣類にも使われるので、ヤクは大活躍なんです。



肉もステーキで何度も食べたし、ミルクから作ったチーズも良く食べましたが、濃厚でおいしいんですよ。

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カトマンズで日本食

2013年11月05日 19時03分33秒 | 退職生活
世界一危険な飛行航路、ルクラからカトマンズに無事到着しました。

どのくらい危険かと言うと、この様に大勢が毎日離発着を見てるんですが、それはここがまるで、航空ショーの会場の様で、なをかつ毎年事故が見えるオマケ付きなんです。



僕らも滞在中は毎日見に行ったんですが、滑走路が短く、まるで航空母艦
並み。

それを補う為に20度程の角度がついています。

まあこの事は後日詳しく書きますが、うまく飛べると景色は最高。











こんな13人乗りの飛行機です



これは搭乗券



空港の待合室から見たルクラの町と山



カトマンズに着いてタクシーを乗り付けた場所は、日本食屋さん。

そして今も別の日本食屋さんから、戻ったところです。

当分はカトマンズで静養しますから、明日から色々な事を報告しますね。

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生きてルクラに居ます。

2013年11月02日 10時41分22秒 | 退職生活
後日詳しく書きますが、5千メートルで美由紀が眠り始めて、、、、

高山病って怖いですね。

次々トレッカー達が、落後したりヘリで救助されたり死んでしまったり。

それでも沢山の
人達が次々登ります。

何はともあれ、我等二人は昨日の午後、飛行場があるルクラまで下山しました。

一刻も早く、カトマンズに着いて、日本食が食べたいと思うんですが、視界不良で飛行機が飛びません。

飛んでも良く落ちる飛行機だから、まだまだ油断出来ませんが、1400人待ちだそうだから、視界が良くなれば5日後位にはカトマンズに着けるでしょう。

写真少しアップしときます。

ナムチェを出てしばらくは山腹の気持ち良い道を、ローチェやエベレストを眺めながら、歩きます。





間もなくアップダウンが始まるんですが、4000メートルを超える迄は、道端に並べられた土産物も楽しく見えるし、食事やお茶の味も正常でした。



それが4000メートルを超えて、空気が薄いと感じ始めると、全てが代わり始めるんです。





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