日本でも富士山に登って高山病になる人が居るようですが、富士山で高山病になって、死んだと言うのを聞いた事は有りませんから、3800メートル程度なら、死に至る事は無いのだと思います。
僕らはヒマラヤではアンナプルナBC.マレーシアのボルネオ島のキナバル山、ヨーロッパのアギュードミディと、4000メートルを少し超えた山に、いままで三度登ってますが、多少の息苦しさや高山病を感じた事はあっても、命の危険を感じた事は有りませんでした。
それが油断に繋がった、と言えない事もありませんが、今回は4800メートル辺りから、[死]がすぐ近くにあると感じました。
高山病は人によって、色々な症状となって現れます。
現れる標高も様々ですが、今回の美由紀を振り返ると、4000メートル近くになったときに、足の運びが急速に落ちました。
その頃の僕は、平常通り動けましたが、明らかに空気が薄いと感じて、出来るだけ深呼吸をし、特に息を吐ききるように心がけました。
4200メートルの小屋に着いた時、美由紀は頭痛を訴えて居ましたから、息が充分吐ききる事が出来て無かったのだと思います。
小屋で二泊して、高山病のクスリを飲んでると、頭痛は収まって来ました。
しかし相変わらず動きは緩慢で、本調子には程遠い状態でした。
ジリを出て、ここまでに15日掛かって居たので、疲れも溜まっていたと思います。
今考えれば、ここで本調子になるまで、何日でも休んで高度順応すれば良かったのでは?と思いますが、その頃の僕らはジリからずっと半月も食べてきた、エベレスト街道の食事に飽きていたんで、はやく登って仕舞いたいと言う思いが強かったです。
これを言い換えると、ジリから歩かず、ルクラに飛行機で来ていたら、食事の飽きもそれほどでなく、待てたかも知れません。
もうひとつ、前回行ったアンナプルナ街道の食事を想像していたのが、エベレスト街道ではメニューが半分しか無い上に、味も良くなかったです。
またアンナプルナでは二ヶ所であった温泉が、一つもなく気分良く休養出来ないだけでなく、常に寒い思いをしてました。
この様な事も、高山病を克服出来なかった理由だと思います。
4200メートルを出発した後も、頭痛は収まってたものの、美由紀の足取りは重く、足を引き摺りながら、コースタイム2時間の所に4時間掛かりました。
そこで再度の高度順応をしたんですが、殆ど効果は有りませんでした。
ここでもう一度4200メートル迄下って居たら、違っていたかも知れませんが、早く登って仕舞って日本食を食べたいと思う気持ちから、翌日コースタイム2時間の5000メートル近くを目指してしまいました。
息苦しそうで、重い足取りに加えて、幾分顔も浮腫んで居ました。
その上に時々止まって目を瞑り始めたので、かなり危険な状態と感じましたが、小屋までの高度が殆どなくなってたので、小屋に向かいました。
小屋に着いたすぐは少し元気を取り戻した様に見えたんですが、荷物を下ろすと眠り始め、立っていても座っていても、食べていてもすぐに眠ってしまいます。
この時点で翌日から下山と決定したんですが、今思ってもかなり危険な状態だったと思います。
5000メートル余りで高山病で冷たさを感じず、凍傷で全部の指を切り落とした人もいます。
小屋の布団の中で、凍死する人もいます。
5千メートルを超えると、夜はマイナス20度、昼でも太陽が出ないと完全なマイナス世界です。
頭痛、不眠、食欲不振、多眠、便秘、下痢、目眩、鼻水、難聴、痺れ、血圧異常、脈拍数異常、歯痛、味異常等々。
高山病は人によって、また程度によって、どの様に現れるか予測出来ないそうです。
しかし死に至る前に、高山病の症状は出ます。
本人は気づかない場合も多いそうですが、回りが気をつけていたら死ぬ事だけは防げると思います。
ヘリコプターで救助される前に、適切な判断をすることに、勇気を出して下山することも大切だと思いました。
最後に、今回の高山病発症と途中リタイアの原因は、高齢にも関わらず、自力で重いバックパックを背負って、ジリから登り始めた事にあると思います。
まあでも生きてるから、充分です。
それにしても、酸素無しで8000メートルに行く人が居るなんて信じられません。
日本の女お笑い芸人が、マナスル登ったらしいけど、ほんまに尊敬します。
まあ皆さんも5550メートルのカラパタールに挑戦してみて下さい。
言ってる事が解りますから、、、、
僕らはヒマラヤではアンナプルナBC.マレーシアのボルネオ島のキナバル山、ヨーロッパのアギュードミディと、4000メートルを少し超えた山に、いままで三度登ってますが、多少の息苦しさや高山病を感じた事はあっても、命の危険を感じた事は有りませんでした。
それが油断に繋がった、と言えない事もありませんが、今回は4800メートル辺りから、[死]がすぐ近くにあると感じました。
高山病は人によって、色々な症状となって現れます。
現れる標高も様々ですが、今回の美由紀を振り返ると、4000メートル近くになったときに、足の運びが急速に落ちました。
その頃の僕は、平常通り動けましたが、明らかに空気が薄いと感じて、出来るだけ深呼吸をし、特に息を吐ききるように心がけました。
4200メートルの小屋に着いた時、美由紀は頭痛を訴えて居ましたから、息が充分吐ききる事が出来て無かったのだと思います。
小屋で二泊して、高山病のクスリを飲んでると、頭痛は収まって来ました。
しかし相変わらず動きは緩慢で、本調子には程遠い状態でした。
ジリを出て、ここまでに15日掛かって居たので、疲れも溜まっていたと思います。
今考えれば、ここで本調子になるまで、何日でも休んで高度順応すれば良かったのでは?と思いますが、その頃の僕らはジリからずっと半月も食べてきた、エベレスト街道の食事に飽きていたんで、はやく登って仕舞いたいと言う思いが強かったです。
これを言い換えると、ジリから歩かず、ルクラに飛行機で来ていたら、食事の飽きもそれほどでなく、待てたかも知れません。
もうひとつ、前回行ったアンナプルナ街道の食事を想像していたのが、エベレスト街道ではメニューが半分しか無い上に、味も良くなかったです。
またアンナプルナでは二ヶ所であった温泉が、一つもなく気分良く休養出来ないだけでなく、常に寒い思いをしてました。
この様な事も、高山病を克服出来なかった理由だと思います。
4200メートルを出発した後も、頭痛は収まってたものの、美由紀の足取りは重く、足を引き摺りながら、コースタイム2時間の所に4時間掛かりました。
そこで再度の高度順応をしたんですが、殆ど効果は有りませんでした。
ここでもう一度4200メートル迄下って居たら、違っていたかも知れませんが、早く登って仕舞って日本食を食べたいと思う気持ちから、翌日コースタイム2時間の5000メートル近くを目指してしまいました。
息苦しそうで、重い足取りに加えて、幾分顔も浮腫んで居ました。
その上に時々止まって目を瞑り始めたので、かなり危険な状態と感じましたが、小屋までの高度が殆どなくなってたので、小屋に向かいました。
小屋に着いたすぐは少し元気を取り戻した様に見えたんですが、荷物を下ろすと眠り始め、立っていても座っていても、食べていてもすぐに眠ってしまいます。
この時点で翌日から下山と決定したんですが、今思ってもかなり危険な状態だったと思います。
5000メートル余りで高山病で冷たさを感じず、凍傷で全部の指を切り落とした人もいます。
小屋の布団の中で、凍死する人もいます。
5千メートルを超えると、夜はマイナス20度、昼でも太陽が出ないと完全なマイナス世界です。
頭痛、不眠、食欲不振、多眠、便秘、下痢、目眩、鼻水、難聴、痺れ、血圧異常、脈拍数異常、歯痛、味異常等々。
高山病は人によって、また程度によって、どの様に現れるか予測出来ないそうです。
しかし死に至る前に、高山病の症状は出ます。
本人は気づかない場合も多いそうですが、回りが気をつけていたら死ぬ事だけは防げると思います。
ヘリコプターで救助される前に、適切な判断をすることに、勇気を出して下山することも大切だと思いました。
最後に、今回の高山病発症と途中リタイアの原因は、高齢にも関わらず、自力で重いバックパックを背負って、ジリから登り始めた事にあると思います。
まあでも生きてるから、充分です。
それにしても、酸素無しで8000メートルに行く人が居るなんて信じられません。
日本の女お笑い芸人が、マナスル登ったらしいけど、ほんまに尊敬します。
まあ皆さんも5550メートルのカラパタールに挑戦してみて下さい。
言ってる事が解りますから、、、、