僕らがカトマンズで定宿にしているのが、カンサーゲストハウスです。
まずはそのゲストハウスの紹介です。
カンサーとはこの様に書きます
ネパールはイギリス式で、ファーストフロア(一階)と言うのが、日本での2階になって、一階はグランドフロアとなります。
このゲストハウスは、日本式に言うと6階建てで、結構大きなゲストハウスで、まあこの辺のゲストハウスの中では、中の上と言った程度の綺麗さです。
泊まってる部屋は103号室
部屋の前がベランダになってるのが気に入ってます。
とは言っても、通路でもあるんですが、、、、、
たまたま今の部屋はベッドが三つある、トリプルルームですが、ツインの部屋が空いた時に、変わるのが面倒でそのままいます。
Khangser guest houseの広告から予約すると、この部屋は一泊が21USドルの様です。
まあ実際には、殆どの人達は一部屋一泊15ドル前後で泊まっています。
これは、この辺の同じレベルのゲストハウスから比べると、かなり安い設定だと思いますが、僕らは前回も長期滞在してるし、今回も長期滞在だから、充分顔見知りだしと言う事で、一泊800円にして貰っています。
そんな値段交渉を任されて居る若い二人は、日本へ出稼ぎに行きたいと、前に来た時からいつも言ってます。
でも日本のビザが取れないそうで、保証人になって欲しいと顔を見るたび言われます。
そこでビザの事を調べて見ると、ネパール人が日本に行くのは、観光ビザでさえ中々発行してくれない様です。
一旦入国してしまうと、期限が来ても帰らず不正労働するからの様です。
前回アンナプルナ街道をトレッキングしたとき、ポカラにも幾つも日本で稼いで建てたゲストハウスがあったし、山小屋にも出稼ぎ組と呼べる位の割合で経営者になってました。
こちらの1ヶ月か2ヶ月の給料が、日本の一日の給料なんだから、誰もが行きたいと思う訳です。
しかし日本にもそんな時代がありました。
僕がハワイに居た1972年、僕はアルバイトでコックをしてたんですが、その時の時間給は7ドルでした。
一ドルが360円でしたから、2520円です。
これで8時間働くと、20160円になりました。
僕は日本を出る前に、かなりの高給料だったから、1ヶ月の給料になるには三日以上働かなければいけませんが、当時銀行に勤めて居た美由紀の給料は三万円無かった様に記憶しています。
そんな時代でしたが、誰もに夢があったと思います。
そう考えると、今の日本の若者達より、ネパールの若者の方が幸せかも知れません。
僕ら二人は、エベレストトレッキングで、使い果たした体力や気力を復活させるべく、休養を続けています。
最後の写真は、ベランダの端から見下ろした街中の様子です。
まずはそのゲストハウスの紹介です。
カンサーとはこの様に書きます
ネパールはイギリス式で、ファーストフロア(一階)と言うのが、日本での2階になって、一階はグランドフロアとなります。
このゲストハウスは、日本式に言うと6階建てで、結構大きなゲストハウスで、まあこの辺のゲストハウスの中では、中の上と言った程度の綺麗さです。
泊まってる部屋は103号室
部屋の前がベランダになってるのが気に入ってます。
とは言っても、通路でもあるんですが、、、、、
たまたま今の部屋はベッドが三つある、トリプルルームですが、ツインの部屋が空いた時に、変わるのが面倒でそのままいます。
Khangser guest houseの広告から予約すると、この部屋は一泊が21USドルの様です。
まあ実際には、殆どの人達は一部屋一泊15ドル前後で泊まっています。
これは、この辺の同じレベルのゲストハウスから比べると、かなり安い設定だと思いますが、僕らは前回も長期滞在してるし、今回も長期滞在だから、充分顔見知りだしと言う事で、一泊800円にして貰っています。
そんな値段交渉を任されて居る若い二人は、日本へ出稼ぎに行きたいと、前に来た時からいつも言ってます。
でも日本のビザが取れないそうで、保証人になって欲しいと顔を見るたび言われます。
そこでビザの事を調べて見ると、ネパール人が日本に行くのは、観光ビザでさえ中々発行してくれない様です。
一旦入国してしまうと、期限が来ても帰らず不正労働するからの様です。
前回アンナプルナ街道をトレッキングしたとき、ポカラにも幾つも日本で稼いで建てたゲストハウスがあったし、山小屋にも出稼ぎ組と呼べる位の割合で経営者になってました。
こちらの1ヶ月か2ヶ月の給料が、日本の一日の給料なんだから、誰もが行きたいと思う訳です。
しかし日本にもそんな時代がありました。
僕がハワイに居た1972年、僕はアルバイトでコックをしてたんですが、その時の時間給は7ドルでした。
一ドルが360円でしたから、2520円です。
これで8時間働くと、20160円になりました。
僕は日本を出る前に、かなりの高給料だったから、1ヶ月の給料になるには三日以上働かなければいけませんが、当時銀行に勤めて居た美由紀の給料は三万円無かった様に記憶しています。
そんな時代でしたが、誰もに夢があったと思います。
そう考えると、今の日本の若者達より、ネパールの若者の方が幸せかも知れません。
僕ら二人は、エベレストトレッキングで、使い果たした体力や気力を復活させるべく、休養を続けています。
最後の写真は、ベランダの端から見下ろした街中の様子です。