最近では、普通になってるエベレストトレッキングのスタート地点のルクラまで、飛行機が飛んで無かった時代の、スタート地点は僕らが今回歩き始めたジリが玄関口でした。
今はジリから登り始める登山者は、全体の1%程度と思いますが、現在も殆どの物資はロバや牛の背中に載せられて、奥へ奥へと運ばれます。
我等より、随分早く登って行きますが、それでもベースキャンプ近く迄ともなると、半月位掛かりますから、全ての物価は上に行くほど高くなり、僕らが行けた最高地点のロブチェでは、トイレットペーパー1巻がなんと350円しました。
当然食事代も高く、下界の10倍近くになりますが、運んでるのを見てたら、納得です。
食べさせて貰えるだけ、有り難いと思えるんですが、残念ながら途中からは、食べないと死ぬから、兎に角食べようと口に入れてるだけの状態でした。
これは高山病のせいでもありましたが、疲れてもいたし、20日も同じ様な味が続き、飽きていたのも原因でしょう。
今日はここまでにして、写真を少しアップしときます。
富士山より高い3867メートルにある、世界遺産の仏教寺院です。
僕らがニ度目の高度順応に連泊したペリチェの集落。標高4252メートル。
ここで美由紀が高山病の頭痛を訴え始めました。
二日間居たのと、貰ったクスリで頭痛は止まったけれど、空気が薄く酸素不足で足を引き摺って、やっと歩いてました。
この辺りでは毛の長い牛のヤクが荷物を運び、乳を出し、ウンコは薪の代わりとして燃料になって、毎日食堂のストーブで焚かれ、カマドでも焚かれて、それで調理された料理を食べていました。
長い毛は衣類にも使われるので、ヤクは大活躍なんです。
肉もステーキで何度も食べたし、ミルクから作ったチーズも良く食べましたが、濃厚でおいしいんですよ。
今はジリから登り始める登山者は、全体の1%程度と思いますが、現在も殆どの物資はロバや牛の背中に載せられて、奥へ奥へと運ばれます。
我等より、随分早く登って行きますが、それでもベースキャンプ近く迄ともなると、半月位掛かりますから、全ての物価は上に行くほど高くなり、僕らが行けた最高地点のロブチェでは、トイレットペーパー1巻がなんと350円しました。
当然食事代も高く、下界の10倍近くになりますが、運んでるのを見てたら、納得です。
食べさせて貰えるだけ、有り難いと思えるんですが、残念ながら途中からは、食べないと死ぬから、兎に角食べようと口に入れてるだけの状態でした。
これは高山病のせいでもありましたが、疲れてもいたし、20日も同じ様な味が続き、飽きていたのも原因でしょう。
今日はここまでにして、写真を少しアップしときます。
富士山より高い3867メートルにある、世界遺産の仏教寺院です。
僕らがニ度目の高度順応に連泊したペリチェの集落。標高4252メートル。
ここで美由紀が高山病の頭痛を訴え始めました。
二日間居たのと、貰ったクスリで頭痛は止まったけれど、空気が薄く酸素不足で足を引き摺って、やっと歩いてました。
この辺りでは毛の長い牛のヤクが荷物を運び、乳を出し、ウンコは薪の代わりとして燃料になって、毎日食堂のストーブで焚かれ、カマドでも焚かれて、それで調理された料理を食べていました。
長い毛は衣類にも使われるので、ヤクは大活躍なんです。
肉もステーキで何度も食べたし、ミルクから作ったチーズも良く食べましたが、濃厚でおいしいんですよ。