最近話していて良く感じることは、62歳と言うことです
41歳で仕事を辞めて21年。
ヨットで世界を周り、キャンピングカーでスキーと山登りをしていたら、余りの愉しさに瞬く間に過ぎてしまいました
この過ぎてきた21年を、これから先で考えると・・・83歳になります
幾ら欲目に考えても・・・83歳は83歳だから・・・
最近は15年先を見ることにしています
15年先は77歳なんですが・・・
ここまでなら、半年程度の旅行なら海外にも行けるだろうし、ヨットも30フィートサイズなら一人で乗れるだろうし、北アルプスや南アルプスを歩く事も出来ると考えています
その15年に僕がしたいことは車で世界を周る事とバックパック旅行で世界を周る事に14年(毎年約半年を旅行し、半年を自宅周辺で今の様に過ごす)
最後の一年は人生の「振り返り旅行」として客船で世界を周りたいと思っています
今年も山旅から戻って早ニケ月が過ぎました
来年三月末から出発する、スキーと山登りの旅は次の計画実行の為「最後の年」になります。
今回、ヨットで別府に来て、ヨットでの生活をしていると、またヨットで世界を周りたい・・・と・・思ってしまうんですが・・・
時間がありません
車で世界を周るのに七年、バックパックで世界を周るの七年掛ける予定だからです。
これも、やってみたらどれ程愉しいか・・・
未知の世界を訪ねる愉しさはワクワク、ドキドキの連続です
ヨットで世界を周り始めて一年が過ぎた頃、美由紀が言った言葉は・・・
動けば一年でこれ程の経験が出来る。この一年の事を話すのに五年は掛かると・・・
これはそれまで20年近く(会社を始める前はハワイに一年居た)殆ど徳島から出ることも無かった美由紀だから特に強く感じたとも言えるんですが・・・
何もしなければ、一年は何事も無く終わり、一生も何事も無く終ります
長い旅をしてみれば解りますが、その年、その年にはっきりした「モノ」が確実に残り、一年でこれ程色々な事が感じられ、経験できる事に驚くはずです。そしてそれは積み上げられます
多くの退職者の人達を見ると、せっかく自由になりながら(社会や後輩達の事を考えて、席を譲りながら)その自由を無駄に使い、人生を無駄にしているように思えてなりません。
これについて最近思うんですが・・・「自分が無い」人が多いんです。
「自分が無い」とは「計画が無い」事であり、「夢が無い」事でもあり、そんな人は社会に対して「責任感」もなく「生きている価値もない」状態に思えます
それなら一日も早く死んでくれれば日本の緊迫した財政の助けになるんですが(60歳を過ぎて年金を受け取りながら後輩達、特にこれから結婚し子供を育てなければならない人達の邪魔をする輩よりは遥かに価値はあるが)・・・
死なないようにと、毎日しっかり歩いて一日でも長く年金を受け取り、何もせず(畑などをして)貯金しています
世界広しと言えど年金を貯金する人が居るのは日本だけでしょう。
60歳を過ぎて生命保険を掛けて「死んでも稼ごう」とするのも日本人だけでしょう
僕が知っている限り、その様な国はありません。
話しが外れてしまいましたが・・・社会の為に計画を持ってしっかり遊んで社会に奉仕して欲しいと願っています。
思い切って一歩飛び出してみれば、自由の価値、年金の価値も解ると思います
邪魔をしないだけでもマシではありますが、若い人達に生きる勇気や、夢を与えて上げる事が今の日本の社会が必要としている60歳を過ぎた人の存在ではないでしょうか。
人が育たない社会はやがて終焉を迎えます。
若者達を育て、自分もまた新しい自由な世界で役目を果たすべく、色々な計画に挑戦して欲しいと思います
人生は短いです。 体が二つに分けられたらどれ程愉しく色々なことができるかと・・いつも考えるほどしたいことがあります。
でも・・一つしかないから、選択し配分するから濃密になって面白いのかもしれません
しかし、いつも思う事ですが・・・丁度良い人と言うのは・・・少ない
遊びたい(計画を持っている)人は周りが経済的に心配するほど遊ぶし
話は変わって
今日はヨットを少し移動(より安全な元の位置へ)
間もなく、辻井さんが来てくれてお喋り後、一緒に外食に
ヨットに戻ってきたら・・中野さんが陣中見舞い?に寄ってくれて、最近氏のブログで「はまっている」と言う台湾で覚えた餃子を作るので「鍋をしよう」と決まり
手分けして買い物など準備
四人で先ほどまで宴会してました
今日の写真は、ウネリが入って、ヨットが揺れ泣いていた長浜港に係船しているホロホロです。
この時は・・波も無く別府より良いと喜んでいたんですが・・・
写真をクリックすると大きく見えます
41歳で仕事を辞めて21年。
ヨットで世界を周り、キャンピングカーでスキーと山登りをしていたら、余りの愉しさに瞬く間に過ぎてしまいました
この過ぎてきた21年を、これから先で考えると・・・83歳になります
幾ら欲目に考えても・・・83歳は83歳だから・・・
最近は15年先を見ることにしています
15年先は77歳なんですが・・・
ここまでなら、半年程度の旅行なら海外にも行けるだろうし、ヨットも30フィートサイズなら一人で乗れるだろうし、北アルプスや南アルプスを歩く事も出来ると考えています
その15年に僕がしたいことは車で世界を周る事とバックパック旅行で世界を周る事に14年(毎年約半年を旅行し、半年を自宅周辺で今の様に過ごす)
最後の一年は人生の「振り返り旅行」として客船で世界を周りたいと思っています
今年も山旅から戻って早ニケ月が過ぎました
来年三月末から出発する、スキーと山登りの旅は次の計画実行の為「最後の年」になります。
今回、ヨットで別府に来て、ヨットでの生活をしていると、またヨットで世界を周りたい・・・と・・思ってしまうんですが・・・
時間がありません
車で世界を周るのに七年、バックパックで世界を周るの七年掛ける予定だからです。
これも、やってみたらどれ程愉しいか・・・
未知の世界を訪ねる愉しさはワクワク、ドキドキの連続です
ヨットで世界を周り始めて一年が過ぎた頃、美由紀が言った言葉は・・・
動けば一年でこれ程の経験が出来る。この一年の事を話すのに五年は掛かると・・・
これはそれまで20年近く(会社を始める前はハワイに一年居た)殆ど徳島から出ることも無かった美由紀だから特に強く感じたとも言えるんですが・・・
何もしなければ、一年は何事も無く終わり、一生も何事も無く終ります
長い旅をしてみれば解りますが、その年、その年にはっきりした「モノ」が確実に残り、一年でこれ程色々な事が感じられ、経験できる事に驚くはずです。そしてそれは積み上げられます
多くの退職者の人達を見ると、せっかく自由になりながら(社会や後輩達の事を考えて、席を譲りながら)その自由を無駄に使い、人生を無駄にしているように思えてなりません。
これについて最近思うんですが・・・「自分が無い」人が多いんです。
「自分が無い」とは「計画が無い」事であり、「夢が無い」事でもあり、そんな人は社会に対して「責任感」もなく「生きている価値もない」状態に思えます
それなら一日も早く死んでくれれば日本の緊迫した財政の助けになるんですが(60歳を過ぎて年金を受け取りながら後輩達、特にこれから結婚し子供を育てなければならない人達の邪魔をする輩よりは遥かに価値はあるが)・・・
死なないようにと、毎日しっかり歩いて一日でも長く年金を受け取り、何もせず(畑などをして)貯金しています
世界広しと言えど年金を貯金する人が居るのは日本だけでしょう。
60歳を過ぎて生命保険を掛けて「死んでも稼ごう」とするのも日本人だけでしょう
僕が知っている限り、その様な国はありません。
話しが外れてしまいましたが・・・社会の為に計画を持ってしっかり遊んで社会に奉仕して欲しいと願っています。
思い切って一歩飛び出してみれば、自由の価値、年金の価値も解ると思います
邪魔をしないだけでもマシではありますが、若い人達に生きる勇気や、夢を与えて上げる事が今の日本の社会が必要としている60歳を過ぎた人の存在ではないでしょうか。
人が育たない社会はやがて終焉を迎えます。
若者達を育て、自分もまた新しい自由な世界で役目を果たすべく、色々な計画に挑戦して欲しいと思います
人生は短いです。 体が二つに分けられたらどれ程愉しく色々なことができるかと・・いつも考えるほどしたいことがあります。
でも・・一つしかないから、選択し配分するから濃密になって面白いのかもしれません
しかし、いつも思う事ですが・・・丁度良い人と言うのは・・・少ない
遊びたい(計画を持っている)人は周りが経済的に心配するほど遊ぶし
話は変わって
今日はヨットを少し移動(より安全な元の位置へ)
間もなく、辻井さんが来てくれてお喋り後、一緒に外食に
ヨットに戻ってきたら・・中野さんが陣中見舞い?に寄ってくれて、最近氏のブログで「はまっている」と言う台湾で覚えた餃子を作るので「鍋をしよう」と決まり
手分けして買い物など準備
四人で先ほどまで宴会してました
今日の写真は、ウネリが入って、ヨットが揺れ泣いていた長浜港に係船しているホロホロです。
この時は・・波も無く別府より良いと喜んでいたんですが・・・
写真をクリックすると大きく見えます