2012年9月7日(金)00:37 朝日新聞
{新潟県胎内市教育委員会は6日、同市大塚にある4世紀前半の「城(じょう)の山古墳」から、銅鏡や勾玉(まがたま)、大刀(たち)など、近畿地方の大和政権の古墳から出土した副葬品と同じような組み合わせの副葬品が見つかったと発表した。日本海側では従来、能登半島がこの時代に大和政権の影響が及んだ「北限」と見られていたが、新潟県北部まで影響が及んでいたことを示す発見という。
城の山古墳は、JR羽越線・中条駅の南西約2キロの水田地帯にある長径41メートル、短径35メートルの円墳で、高さは約5メートル。市教委は、古墳時代前期の古墳としては日本海側最北だとして1997年に調査を始め、今春からは古墳上部にある長さ約10.5メートル、幅約5メートルの墓坑の内部を調べていた。
出土した副葬品は、直径約9センチの銅鏡のほか、長さ67センチの大刀やおの、ヒスイの勾玉1点、緑色の凝灰岩でできた管玉(くだたま)8点など。弓2張の遺物や、矢を入れる革製の箱「靫(ゆぎ)」に塗られていた漆も確認された。表面にはししゅうで描かれたひし形の模様が残っていた。}
新潟県胎内市教育委員会は6日、4世紀前半の「城の山古墳」から、勾玉や大刀などの副葬品が100点以上出土したと発表した。奈良県などの古墳と同等の副葬品で、市教委は「被葬者は畿内の有力者と太いパイプを持っていた。全国的にも重要な古墳だ」としている。大和政権の直接的な影響が及んだ範囲はこれまで、石川県中能登町の雨の宮遺跡などの副葬品から、能登半島が北限と考えられてきた。今回の発見により、直線で約250キロ北上したことになる。
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