うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

曇天観測不能....(8212)

2008年11月16日 21時12分50秒 | うべプラネタリアン
11/16 20:00に月の暗部から、3等星のふたご座εが出現する様を見ようと
待ちかまえたが、厚い雲で月の姿すら見えなかった。
昨夜来の雨は朝9時ころまで残り、終日雲が厚かったので、早い時間に
観測会の中止宣言をした。そのためかいくつかの問い合わせの電話があったが
足を運ぶ人はいなかった。
先週はまれに見る好天が続いたから、星虫たちも、フラストレーションはたまっていない。
さてその次は、来月1日と2日の、「月と金星と木星の近接」を楽しむこととしよう。
その時こそ晴れてほしいなぁ。

四日続きの好天2.... (8211)

2008年11月15日 16時57分14秒 | うべプラネタリアン
11/11~14好天だった。
結局、個人的であれ、公開であれ、この4日間連チャンで天体望遠鏡を開けた。
晴具合や透明度など空の状態で、一番の好条件だったのは、11/12だったろう。
一方、この間の月齢は13~16、月見には絶好だが、星見には最悪。
なかなかうまくいかんもんだ。
でもね、秋の好天時の透明度のいい宵は、月明だろうが、星日和だろうが、
ホントにうれしいもんだね。
殊にこの時期、木星と金星が見た目で接近しつつある。
好天の宵は夕焼けも美しいから、その中で、宵の明星と、夜半の明星が
コラボを演じると、凄みを感じて体の芯がぞくぞくする。
それに加えて、皓々と輝る月が昇ってくるわけだから、我を忘れてしまうのも、
空好き、星好きなら仕方がない。
いい数日を過ごさせていただいた。
今宵(11/15)は小雨模様。
明日は、ふたご座ε星(3等星)の星食(月が恒星をかくす)がある。
月の昇ってくる時刻には、すでに背後にふたご座ε星を抱いているのだが、
20時に月の暗部側からこの恒星がはき出される。
その現象を観測したいと考えているが、雲行きはどうだろう。
画像は、11/14の木星と金星、会館屋上から。

朝から好天....(8208)

2008年11月12日 23時01分25秒 | うべプラネタリアン
プラネタリウムのある青少年会館は、4階建で5階屋上に望遠鏡ドームがある。
だから見晴らしはいい。
遠く北九州の山並みが見え、大分の由布岳の双耳峰まで見える。
今日は朝からそんなめったにないほどの雲ひとつない好天だったので、
突然予定外の観望会を開くことにし、メールのネットワークで呼びかけた。
たくさんの人が来られた。多くの方から「今日はいい天気だから、
天体観望会のお招きがあるといいねと、心待ちにしてたんですよ」と言われた。
ああ、そういう世界が構築されてきたのだと、ひとつの感慨があった。
でも、今日は月齢14、本来なら敬遠するところだ。
いい天気すぎて、月が明るすぎて、まるで星空観望にはならない。
好天なら好天で、月がなきゃぁなぁと、不遜なわがままを言う。
そんなこんなの中で、ざわざわがやがやと、常連(はるか)や、初めての方や、
羽化したばかりの星虫(その名は有衣)も、たくさんたくさん...うれしいことである。
そうそう、今日は木星の衛星の位置が面白かった。ガニメデとカリストが見事な二重星になっていた。

ガリレオ 3(すばる①)....(8207-1)

2008年11月11日 17時45分29秒 | うべプラネタリアン
ガリレオが、1609年晩秋、手製の望遠鏡を宇宙に向けて月を観た。
ついで、オリオンの三つ星や“すばる(プレアデス星団)”を観た。
ガリレオのすばるのスケッチは画像の通り。
先日のページに記したとおり、彼の望遠鏡は口径4㌢の30倍程度のもので、
透明度もおそまつ、色収差もひどかったろうに、見事な観察眼だ。
このスケッチを見ていても、彼の震えるような感動が伝わってくる。
我々も、初めて、すばるを視野にとらえたときは、涙が出るほど感動する。
その思いは、時代を問わず同じなのだ。
彼は、まわりの人々にも「まあ、見てみろ」と言ったはずだ。
人々はあるいは信じなかっただろうし、まやかしだとして拒否した人もいたろう。
でも、子どもは素直に歓声をあげたのではなかったか。
声高な地動説の発表で宗教裁判にかけられるエピソードも興味のあるところだが、
私は、世界で最初の望遠鏡を使って夜空を見た男の“ふるえ”に触れてみたいのだ。

ほしぞら寄席....(8206)

2008年11月10日 20時43分51秒 | うべプラネタリアン
うべプラネタリウムは「ほしと○○のゆうべ」と名付けて、年4~5回さまざまな
コラボレーションを楽しんでいる。
○○は、合唱だったり朗読だったりマンドリン演奏だったり、いかようにも変化する。
とうとうこのたび“落語”をやることになった。称して『ほしぞら寄席』。
演者は西岐波の浄土真宗のお寺のご住職さんだが、この人は多才な人で、
何よりも、何事にも面白がるお人柄がうれしい。
今日、現場(舞台)を見ておきたいと言われて、プラネタリウムに来られたので、
プラの席の上にパネルを置いて、やっつけの高座をしつらえてみた。
気軽に「いいですね」と笑っていただいた。こちらも気軽になった。
真っ暗な中での噺なので仕草が見えませんと言うと、
「かまいません、“音”だけでやりましょう」とのご返事。
ちらっと打ち合わせただけで、こりゃもう、大成功だ!と感じさせた。
星虫の皆々様、11月20日(木)18:00開演ですぞ。遠慮なくどしどしお越しになって下さい。
その日良く晴れていたら、天体望遠鏡も開け、第二部として天体観望会も開く。
ばかばかしいこと大好き人間に、またもや、おつきあいのほど。無料です。

ガリレオ 2(望遠鏡)...(8205)

2008年11月09日 22時03分30秒 | うべプラネタリアン
眼鏡師の作ったおもちゃは、度の強い(焦点距離の短い)凸レンズと、
度の弱い凹レンズの組み合わせだった。
当時は、虫めがねからの発想だから、その組み合わせを疑うべくもなかった。
それでは、像を結ぶはずもなく、使い物になるような代物ではない。
ガリレオは、理論上、焦点距離の組み合わせは、逆でなければならないとして、
度の弱い凸レンズと度の強い凹レンズを、自分で研磨して、望遠鏡第一号を作ったのであった。
口径3㌢で倍率3倍程度のものだったが、理論が正しければ、その改良タイプは容易い。
第二号機は口径4㌢、6倍だった。第三号機は9倍の倍率、これでベネチアの貴族に
デモンストレーションを行い、ベネチアの元老院は、武器として役立つことを見抜き、
大変な高額の報奨金をガリレオに支給したのだった。
同型四号機を納入し、続く五号機を製作、五号機の倍率は30倍に飛躍した。
このタイプを後に大量に作ってかなり儲けたようだが、五号機の最初の作品は、
大層お気に入りで、終生手元から放さなかったといわれる。
空に向けたのはこの五号機だった。口径4㌢30倍単レンズ正立像。
1609年暮、最初のターゲットは“月”だった。
ついでオリオン、プレアデス、天の川と続き、1610年1月7日、問題の木星をとらえたのだった。

画像は、08.11.4 Jupiter 会館にて

ガリレオ・ガリレイ 1 ...(8204)

2008年11月08日 16時56分42秒 | うべプラネタリアン
来年(2009)は世界天文年と位置づけられ、世界各地で天文学イベントが行われる。
来年を世界天文年としたのは、近代天文学の父とされているガリレオ・ガリレイが
手製の望遠鏡を初めて夜空に向けて、望遠鏡による天体観測をしたのが1609年だったことから、
ちょうど400年目に当たるからである。
ガリレオが地動説を唱え、それがために宗教裁判にかけられたことは有名な話だが、
地動説そのものは、ガリレオの活躍するずっと以前1543年に、ポーランドの天文学者コペルニクスが
「天球の回転について」という本でとなえている。
しかし、コペルニクスは理論だけで、それを立証するすべを何も持たなかった。
そのため、わずかな先進的な哲学者や天文学者が、それが正しいらしいとは考えていたが、
人々はほとんどその理論を支持しなかった。常識的な理論ではなかったからである。
その数少ない熱心な支持者の一人がガリレオだった。ガリレオは実験科学者だったから、
それを実証する方法を常々考えていた。
1600年頃ひとつのおもちゃが発明された。
凸レンズと凹レンズを組み合わせると遠くのものが近くに見えるという玩具だった。
眼鏡師がたわむれに作った望遠鏡は、ガラスレンズが粗悪で濁っていたから、
像はうっすらとしていて、ゆがんでいた。とても実用になるものとは考えられなかったが、
ガリレオはこれにひどく興味を示した。
折しも透明で質のいいガラスがベネチアで作られるようになり、ガリレオは、早速小さなガラスを
手に入れて、自分でレンズに磨き込んだのである。
実は、彼は当時金に困っていたので、質のいい光学器械を作れば、それでひともうけできると考えたのであった。
ガリレオの作った望遠鏡の第一号機は倍率6倍だったが、像ははっきりしていて
まずまず満足のいくものだった。
気をよくした彼は、すぐさま、倍率9倍の格段に優れた第二号機を作り、ベネチアに売り込んだのである。
これが高額で売れたので、さらに性能のいい三号機を作り上げ、それを待ちに待って、空に向けたのであった。

というわけで、われら星虫たるもの、ガリレオのことは少しは人より詳しく知っておかねばなるまい。
今後折に触れ紹介しよう。画像はガリレオの生地ピサ。