うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

ガリレオ 4 (年譜)....(8213)

2008年11月17日 22時31分48秒 | うべプラネタリアン
ガリレオ・ガリレイは、ベンチェンツォ・ガリレイの子として
1564年ピサ郊外で生まれた。
コペルニクスが地動説を発表したのは1543年、ガリレオの生まれる前だ。
ガリレオはピサ大学の医学部に入学する。当時の最高学府である。
彼が教授として赴任したのは、1592年、パドヴァ大学数学科、28才の時だった。
おもちゃのような、望遠鏡の原型が発明されたのは1600年頃。
1600年といえば、日本では関ヶ原の戦いのあった年である。
その望遠鏡を改良して、天文や武器として使用に耐えるものにしたのはガリレオだった。
ガラスを磨いて手製の望遠鏡を作りそれを空に向けたのが1609年、本格観測を開始したのが1610年、36才の時。
その時ガリレオは故郷フィレンツェに帰っている。
月や、太陽黒点や、木星の観測から、コペルニクス地動説の正しさを確信したガリレオは、
1632年「天文対話」という本を出版し、公然と地動説を唱えたが、その本は出版と同時に発禁となっている。
その後、宗教裁判異端審問所から終身刑を言い渡されるのが1633年、69才の時である。
亡くなったのは1642年、78才。
ローマ法王が、ガリレオの復権を認めたのは1992年。
宗教裁判より実に359年後であった。