憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

歴史

2012年10月23日 07時00分54秒 | 温泉
10/23(火)12℃     


 おはようございます。

 昨晩は久しぶりに天気予報がピッタリの夜でしたね。

 自宅到着の20分位前から雨がポツリポツリと降り始め、自宅到着時にはすぐに車から出られないほどの雨。早朝は早朝で雨に風。
 今朝は道路面に数多くの葉っぱが落ちていていたし、バス停は倒れていたし、整備工場の幟も車道へバッタリ。
 湯来は急カーブが多いですから、車の運転には充分御注意ください。

 今朝は、湯の山温泉の歴史について少し語ってみたいと思います。

 今を遡ること約1,200年前の大同2(807)年、村人によって発見されたと伝えられています。人々はその湯を尊び、湯元大明神として社を建立し崇敬しました。
 時は移り変わり、宝永4(1,707)年、温泉の効能が広島藩主や遠く江戸まで広がり、多くの人達がその御神徳を得るために参拝・入浴をしました。病気治癒については、その当時から今に引き継がれている拝殿屋根裏に掲げられた「琵琶琴」「竹製の松葉杖」「木製の車椅子」等によって史実を裏付けることができます。
 現在の本殿・拝殿の元始は寛延2(1,749)年に藩主浅野公によって藩事業として再建計画されました。
   6月 湯所に壁書「入湯心得書」を掲げる。
      矢野村国学者渡辺正任が来村。神社にお参りし入湯して「水内紀行」を著す。
 7~8月 藩役人等が代参し、湯所普請を開始
  10月 御社・拝殿建設を開始
      温泉を管理する庄屋からこの年の夏の入湯者数を報告「約7,800人越える」とある。
 翌年1月 藩主浅野吉長候参拝、鉄灯篭や金幣などが寄進された他、遷座際も執行された。
 再翌年8月 藩主吉長公再来
 1,797年 藩絵師岡山民山が「都志見往来日記」を著す
 1,825年 芸藩通志に「湯之山明神霊泉」として詳しく紹介
 1,832年 同所山層楼「和田村霊泉之図」の木版を発行
 1,845年 藩家老の浅野孫左衛門の若君が参拝入湯
 1,859年 近郷の狂歌連中「当境勝景狂歌集」額を奉納
 1,861年 藩主浅野茂長(長訓)公参拝入湯
 昭和33(1,958)年、県史跡に、昭和49(1,974)年には国の重要有形民俗文化財の指定を受けています。
 平成3(1,991)年、環境庁の国民保健温泉地に「湯来・湯の山」温泉が選定される。
 平成11(1,999)年、旧湯治場建立250年祭が開催され、当時を偲ばせる入湯行進が繰り広げられた。

 湯の山温泉に祀られている神々
 ・くらおかの神
 ・くらみづはの神
 ・くらをやまづみの神
 ・おおなむちの命
 ・すくなひこなの命
 ・おおいづちの神

 説明資料「鉱泉由来、佐伯郡社寺、済美録」
 

 もう少し詳しく書き込みのできる方がいらっしゃいましたら、補記をお願いします。

 午後からは天気が回復するようです。
 気持ちも”カラッ”っとなるといいですね。

 今日も一日、楽しく過ごしましょう。でわでわ
コメント
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