5/28(金)7℃
おはようございます。
太陽が燦々と輝く私の大好きな朝です。気持ち・性格同様にくよくよせずおおらかにノー天気で今日も一日過ごしたいと思っています。
それにしても、”ヤバイ”んじゃないですか?朝が冷えること。さすがに霜害なんてありませんが、動植物の生態・成長には少なからず影響が有りそうな気がするんです。
特に、地温の影響などで作物の成長に支障が出たり、動物の産卵にも影響があるようで、例年だと気づくはずの我が家のモリアオガエルの泡球がまだ見えないんです。
カエルそのものがすべていなくなたとは思えず、”気候のせいかな”なんて一人考えをしています。
今日、日中は暑くなりそうですから、日焼けを気にされる方は完全防備でお出かけください。
(BUT、小麦色の肌も素敵です。昔の夏目雅子さんのポスターを思い出すなぁ)
今日の湯来の民話は『石ヶ谷峡の名号岩(みょうごういわ)』です。
むかし、菅沢の石ヶ谷峡を旅の僧侶が名号を唱えながら登っていきます。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
頑強そうなこのお坊さん、何か悟ることあってか、神妙な面持ちで谷あいの清き川の流れを見たり、山理樹木や岩肌に目を向けながら一歩一歩進んで行きました。
しばらく行くと、眼前に50mはあろうかという岩壁につき当りました。お坊さんは、樹木が生い茂り、その樹木の中から顔を出す石をじっと見つめて立ち止まりました。
半刻あまり見つめていたお坊さんは手を合わせて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と一心に岩にむけて名号を唱え続けました。夕暮が迫るころ、ようやくお坊さんは荷物を降ろし、「この、比久が瀬を住居となして、法を修め、身を修めよう」と心に決め、住むようになりました。住居といっても大きな石と石との間に柵をわたし、その上にむしろを敷いて寝床としました。昼は村に出て托鉢を受けました。
托鉢で村の人々から頂いた食べ物は持ち帰り、火で焼いたり、煮たりせず空腹を感じるとその都度生で食べていました。
「仏法を修め、この地に仏法を広めよう」、「発願のしるしにまず、この岸壁に六字の名号を刻むぞ」と岩壁に立ち向かいました。字を刻もうとするところは、高さが数十メートルもあり、下は谷川で人間は登ることができません。
しかし、このお坊さんは松の木を切り倒しかけてははしごを作りました。そして、縄で身を吊るして巨大な岩壁に、南無阿弥陀仏の六字の彫刻を始めました。身の危険もかえりみず、一心に刻み続けるお坊さんの様子を見に来た人たちは、驚嘆して見とれていました。
この噂は広がり、役人の聞くところとなりました。
「食べ物を火で熱して食べず、岩壁に上るこの仕業、怪しき僧をこのまま居住させると後難のたたりがある」と言って追い出しました。六字の名号を刻み、その横に小さく浄心とお坊さんの名前を刻み始めたところでした。
今でもかすかに「浄心」と読めるので、この僧侶の名前だろうと言われています。
なお、追放されたお坊さんがその後どうなったかはわかりませんが、お坊さんが刻んだ六字の名号が、今もはっきり残っており、「石ヶ谷の名号岩」と言われています。
補足説明しますと、渓谷の林道を挟んで対岸の山肌の岸壁に六字の名号を肉眼で直接拝むことができます。少し前に、地元有志の方々によって彩色が施され、とてもきれいになっています。
地上50mの岸壁を見上げると私が書き込みしていない絵があと一つ、何かが見えます。
新緑のシーズンでもあり、この「あと一つ」を目撃にお出かけください。
この他にも、自然を感じ取れる「看板を喰らう木」や新緑と大小の滝、森林セラピーをお楽しみください。
次回の湯来の民話は「かくし弾丸」です。お楽しみに。
5月。
五月病に病むんじゃないかと、湯来の情報の巡ってこないことを嘆き過ごした1ヶ月。あっという間に日々が過ぎ去ったような気がします。
充実しているのか、要領が悪いのかはさて置いて、これから先”何かをしたい”気持ちが日に日に増してきています。
新しい情報を集めておきますので週明けをお楽しみに。
それでは、体調管理には十分気をつけながら、今日も充実した日が過ごせますように。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
ではまた来週、またお会いしましょう。
おはようございます。
太陽が燦々と輝く私の大好きな朝です。気持ち・性格同様にくよくよせずおおらかにノー天気で今日も一日過ごしたいと思っています。
それにしても、”ヤバイ”んじゃないですか?朝が冷えること。さすがに霜害なんてありませんが、動植物の生態・成長には少なからず影響が有りそうな気がするんです。
特に、地温の影響などで作物の成長に支障が出たり、動物の産卵にも影響があるようで、例年だと気づくはずの我が家のモリアオガエルの泡球がまだ見えないんです。
カエルそのものがすべていなくなたとは思えず、”気候のせいかな”なんて一人考えをしています。
今日、日中は暑くなりそうですから、日焼けを気にされる方は完全防備でお出かけください。
(BUT、小麦色の肌も素敵です。昔の夏目雅子さんのポスターを思い出すなぁ)
今日の湯来の民話は『石ヶ谷峡の名号岩(みょうごういわ)』です。
むかし、菅沢の石ヶ谷峡を旅の僧侶が名号を唱えながら登っていきます。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
頑強そうなこのお坊さん、何か悟ることあってか、神妙な面持ちで谷あいの清き川の流れを見たり、山理樹木や岩肌に目を向けながら一歩一歩進んで行きました。
しばらく行くと、眼前に50mはあろうかという岩壁につき当りました。お坊さんは、樹木が生い茂り、その樹木の中から顔を出す石をじっと見つめて立ち止まりました。
半刻あまり見つめていたお坊さんは手を合わせて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と一心に岩にむけて名号を唱え続けました。夕暮が迫るころ、ようやくお坊さんは荷物を降ろし、「この、比久が瀬を住居となして、法を修め、身を修めよう」と心に決め、住むようになりました。住居といっても大きな石と石との間に柵をわたし、その上にむしろを敷いて寝床としました。昼は村に出て托鉢を受けました。
托鉢で村の人々から頂いた食べ物は持ち帰り、火で焼いたり、煮たりせず空腹を感じるとその都度生で食べていました。
「仏法を修め、この地に仏法を広めよう」、「発願のしるしにまず、この岸壁に六字の名号を刻むぞ」と岩壁に立ち向かいました。字を刻もうとするところは、高さが数十メートルもあり、下は谷川で人間は登ることができません。
しかし、このお坊さんは松の木を切り倒しかけてははしごを作りました。そして、縄で身を吊るして巨大な岩壁に、南無阿弥陀仏の六字の彫刻を始めました。身の危険もかえりみず、一心に刻み続けるお坊さんの様子を見に来た人たちは、驚嘆して見とれていました。
この噂は広がり、役人の聞くところとなりました。
「食べ物を火で熱して食べず、岩壁に上るこの仕業、怪しき僧をこのまま居住させると後難のたたりがある」と言って追い出しました。六字の名号を刻み、その横に小さく浄心とお坊さんの名前を刻み始めたところでした。
今でもかすかに「浄心」と読めるので、この僧侶の名前だろうと言われています。
なお、追放されたお坊さんがその後どうなったかはわかりませんが、お坊さんが刻んだ六字の名号が、今もはっきり残っており、「石ヶ谷の名号岩」と言われています。
補足説明しますと、渓谷の林道を挟んで対岸の山肌の岸壁に六字の名号を肉眼で直接拝むことができます。少し前に、地元有志の方々によって彩色が施され、とてもきれいになっています。
地上50mの岸壁を見上げると私が書き込みしていない絵があと一つ、何かが見えます。
新緑のシーズンでもあり、この「あと一つ」を目撃にお出かけください。
この他にも、自然を感じ取れる「看板を喰らう木」や新緑と大小の滝、森林セラピーをお楽しみください。
次回の湯来の民話は「かくし弾丸」です。お楽しみに。
5月。
五月病に病むんじゃないかと、湯来の情報の巡ってこないことを嘆き過ごした1ヶ月。あっという間に日々が過ぎ去ったような気がします。
充実しているのか、要領が悪いのかはさて置いて、これから先”何かをしたい”気持ちが日に日に増してきています。
新しい情報を集めておきますので週明けをお楽しみに。
それでは、体調管理には十分気をつけながら、今日も充実した日が過ごせますように。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
ではまた来週、またお会いしましょう。