当時の日本を取り巻く環境の急激な変化。それに対処するための雪中行軍ですが、明暗を分けることになるポイントが示されました。
1、目的達成への使命感。(ロシアの植民地政策を阻止)
2、情報収集と用意周到な準備。
3、発想力と創意工夫。
4、判断力と決断力。
5、指揮官のゆるぎない信念の強さと行動力。
「弘前隊は少数精鋭37名を厳選し、民間人である斉藤記者を入れて38名で部隊を編成224キロ・10泊11日間の行程表を連隊に提出。一度は部隊人数が少なすぎるとつき返された。福島大尉は、人数が多いからといって成功しない!と反論。1人1人がしっかりしなくては成功しないと説得しました。そして徹底的に雪山、八甲田山の情報収集をしました。またぎ・木こり・炭焼き・村人から雪山の実際を訊いていた。それによって食料・衣料を決めていきました。零下20度以下だと、手袋も3枚は必要・凍傷を防ぐために、足の指1つ1つを油紙で巻いて、トウガラシの粉を掛けて3枚靴下も履いた。そして八甲田山よりも高い山で雪穴を掘る訓練を1週間行ないました。湿ってマッチは役立たない恐れがあるので、火打石とカンナクズ、のこぎりまで準備しました。
一方、青森隊は情報・ほとんど無し!1月23日出発の5日まえに村人に聞くだけだった。1月23・24日は「山ノ神の日」で山に入っちゃいけない日だと教わるだけ。弘前隊は3年前から準備をしていた。
青森隊は210名の大所帯。リーダーが12名もいて、その内8名が隊長よりも年上・先輩が占めていました。それに、青森隊は、出発直前に隊長が交代しています。結果・210名中1月31日に救助・収容されたのは17名・その内6名は病院で亡くなっていますから、11名しか生還できませんでした。
この写真にもありますが、生還した方も全員凍傷です。手足を切り落として胴だけで生きなければならなくなった方もいます。悲劇です。
1月23日に出発して、24日にはもう70名が脱落・25日にさらに70名が凍傷で動けなくなり、27日には30名しか生きていなかったのです。
しかし、この成功も失敗も、満州・シベリアの戦争に役立っています。司馬遼太郎「坂の上の雲」にも書いてあります。
青森隊捜索のときには、ずーと紐を繋げ、1キロごとに、おにぎり・衣類・を大きな袋に入れて配置して行軍の動線を作っていきました。
これが実践に役立ったのです。
弘前隊も吹雪に阻まれて1歩も動けなくなりました。マタギも戻りたいと言い出したが、福島大尉は、戻る道も雪で消されている。戻ってもダメ。行ってもダメなんだ。だけど我々はロシアと戦っているんだ・進もうと!!部隊を鼓舞しました。
ロシアに攻め込まれるかもしれない・攻め込んでいくかもしれない・だけど絶対にロシアの植民地にだけはなりたくないっていう気概だった。それが弘前隊と青森隊の明暗を分けたのだと思います。」
青森・ご当地で八甲田山雪中行軍の背景と実際を聴く事ができました。ハッピードラッグさんありがとうございました。
1、目的達成への使命感。(ロシアの植民地政策を阻止)
2、情報収集と用意周到な準備。
3、発想力と創意工夫。
4、判断力と決断力。
5、指揮官のゆるぎない信念の強さと行動力。
「弘前隊は少数精鋭37名を厳選し、民間人である斉藤記者を入れて38名で部隊を編成224キロ・10泊11日間の行程表を連隊に提出。一度は部隊人数が少なすぎるとつき返された。福島大尉は、人数が多いからといって成功しない!と反論。1人1人がしっかりしなくては成功しないと説得しました。そして徹底的に雪山、八甲田山の情報収集をしました。またぎ・木こり・炭焼き・村人から雪山の実際を訊いていた。それによって食料・衣料を決めていきました。零下20度以下だと、手袋も3枚は必要・凍傷を防ぐために、足の指1つ1つを油紙で巻いて、トウガラシの粉を掛けて3枚靴下も履いた。そして八甲田山よりも高い山で雪穴を掘る訓練を1週間行ないました。湿ってマッチは役立たない恐れがあるので、火打石とカンナクズ、のこぎりまで準備しました。
一方、青森隊は情報・ほとんど無し!1月23日出発の5日まえに村人に聞くだけだった。1月23・24日は「山ノ神の日」で山に入っちゃいけない日だと教わるだけ。弘前隊は3年前から準備をしていた。
青森隊は210名の大所帯。リーダーが12名もいて、その内8名が隊長よりも年上・先輩が占めていました。それに、青森隊は、出発直前に隊長が交代しています。結果・210名中1月31日に救助・収容されたのは17名・その内6名は病院で亡くなっていますから、11名しか生還できませんでした。
この写真にもありますが、生還した方も全員凍傷です。手足を切り落として胴だけで生きなければならなくなった方もいます。悲劇です。
1月23日に出発して、24日にはもう70名が脱落・25日にさらに70名が凍傷で動けなくなり、27日には30名しか生きていなかったのです。
しかし、この成功も失敗も、満州・シベリアの戦争に役立っています。司馬遼太郎「坂の上の雲」にも書いてあります。
青森隊捜索のときには、ずーと紐を繋げ、1キロごとに、おにぎり・衣類・を大きな袋に入れて配置して行軍の動線を作っていきました。
これが実践に役立ったのです。
弘前隊も吹雪に阻まれて1歩も動けなくなりました。マタギも戻りたいと言い出したが、福島大尉は、戻る道も雪で消されている。戻ってもダメ。行ってもダメなんだ。だけど我々はロシアと戦っているんだ・進もうと!!部隊を鼓舞しました。
ロシアに攻め込まれるかもしれない・攻め込んでいくかもしれない・だけど絶対にロシアの植民地にだけはなりたくないっていう気概だった。それが弘前隊と青森隊の明暗を分けたのだと思います。」
青森・ご当地で八甲田山雪中行軍の背景と実際を聴く事ができました。ハッピードラッグさんありがとうございました。