犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

国民の声を聞け

2012-08-04 00:07:32 | 国家・政治・刑罰

 ここのところ、私の周囲では「政府は原発再稼動に反対する国民の声を聞け」「子どもたちの未来と命を守ろう」といった言葉が多く聞かれます。まさに国民全体が真剣に活動しているのに対し、政府がその声を聞いていないという感じです。そして、私の心が引っかかっているのは、原発の是非の問題とは別に、「子どもたちの未来と命」という使い勝手のよい定型句が連呼されている点です。

 私の引っかかりは、原発事故は現に東日本大震災によって引き起こされたものであり、現に被災地では石巻市立大川小学校を始めとして、多くの子どもたちの未来と命が失われたという事実に端を発しています。「死んだ人間は終わりであり、生きている人間が優先である」という社会のルールは、本来であれば人間の倫理観との激しい衝突を生じるはずでが、ここで「未来」「命」が連呼されれば、心が引き裂かれるような、身も蓋もない暴力性が生じるものと思います。

 この社会においては、震災によって我が子を失った親を始めとして、「子どもたちの未来と命」という言葉を聞くだけで絶望し、耳を塞がなければ生きていけない方々が無数に存在するものと思います。そして、「このような言葉を大声で叫ばないでほしい」という声も、紛れもない悲痛な国民の声であり、民意の一部です。しかしながら、人が本当に語りたいことは言葉にできず、声になりません。震災から1年を経過した日本の現状は、この力関係を示しているものと思います。

 誤解を恐れずに言えば、「被災地の心の復興」「震災体験の傾聴」といった繊細な部分を容赦なく踏み潰しているのは、子どもたちの未来と命を守る正義の声高な連呼である感じます。繊細な言葉は形になるまでに時間がかかり、他者に理解されず、伝わらず、その結果として沈黙を強いられます。他方で、国民全体の民意を代弁して主張し、政府に国民の声を訴える思考においては、沈黙されていることは存在しないに等しいのだと思います。