犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

黒鉄ヒロシ著 『千思万考・天之巻』

2012-08-16 00:03:56 | 読書感想文

p.80~
 源頼朝の性格は総じて陰険ということで一致する。才能や功績はさて措き、異常とも言える頼朝の人格形成に、興味の専らは集まる。家族構成、家庭環境、幼児体験などが人格形成に影響することは常識だが、頼朝の経歴は全てに於いて異常の範疇にある。
 父母なし、家なし、財産なし、更に家来の一人だに持たぬ没落の身に、源氏の嫡流の血筋など逆に大弱点となりかねない。危険を察知する極限の観察力は磨きに磨かれただろうが、同時に猜疑心もヒトの百に倍する程にも暗く黒く育ったであろう。

p.94~
 敗戦後の昭和、そして平成と平和に呆けた時代を生きる我々は戦国武将をイメージする輪郭を随分と暖かく設定する嫌いがあるのではないか。当時を描く小説やドラマの中で、武将の口を借りて「我等、戦国の世を生きる者……」なんて科白を喋らせてくれるが、武将の一人として「戦国」などという言葉を書き遺してはいない。
 後の世の我々が振り返り過去完了として「嗚呼、戦国の世でありしかや」と字句を当てるのであって当時の彼等にしてみれば全体がどうであろうが知ったことではなく、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの現在進行形の瀬戸際に肩で息をしながら血刀を持って立っていたのだ。

p.178~
 強力なリーダーシップは、同量のパワーの後押しを必要とする。歴史上に出現した名君(明君)と暗君の数を比較してみると、パワーがマイナス側に作用したケースの方が圧倒的に多いことに気付かされる。
 独裁者の特質を簡単に言ってしまえば、トップ・ダウンの命令系統にある。何事を成すにもスピーディで歯切れも良いが、善良さを維持し続ける独裁は世界史にも見つからない。すべからく欲望にからめ取られ、エンディングは悲惨である。
 合議制が何を成すにも遅々として進まずまどろっこしいのは特質がボトム・アップであるからだ。待ち望む名君、今の時代のリーダーがコトを成さんと立ち上る際に、対立する意見や、摩擦を生じる集団が立ちはだからなければ、「改革」と呼ばなくて済む。

p.222~
 引き算やら足し算、掛け算、割り算を主観的に施されるところの、面白くて遊びの領域となる歴史がある。一方、学問的と言うのか、客観的な記述としての歴史がある。後者は認知され、確立する迄に時間がかかるようである。時の経過を味方にしなければ手に入らない。
 「国家」を、ひとつの人体に譬えてみると、「戦争」とは精神に異常を来したパニックの状態と言える。巨人に於ける、貴方と私と君と僕は、細胞のひとつになる。ヘンテコな指令を脳に出されても、細胞の単位では、如何ともし難い。多くの細胞は自己保身に汲々とする弱虫だ。


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 歴史の年表を見れば一目瞭然ですが、人類の歴史は戦争の歴史です。平和な世が望ましいのであれば、何があっても黙って寝ていれば戦争は起こりませんが、そうなると正義が不正義に取って代わられてしまうわけで、「権利のための闘争」をせざるを得なくなるものと思います。正義は戦って勝ち取られなければならないことと、正しい平和をもたらすための戦争は同義です。ここで愚かなのは戦争ではなく、正義のほうだと思います。

 平和な世で比喩的に用いられる「○○戦争」の語は、歴史の年表に載る公式な戦争よりも、むしろ人が争いに巻き込まれざるを得ない状況を表わしているように思います。世の中には「戦争が大好きだ」という者が必ず一定数おり、それは不正義を打ち倒すという信念の裏付けを獲得することになります。他方で「戦争は嫌いだ」という者は争いを好まないか、あるいは反戦平和を価値として闘争する矛盾に陥るものと思います。

 平清盛は、今や源氏との覇権争いに負けた武将というよりも、視聴率戦争に負けた武将というイメージが強くなってしまったと思います。私自身、平清盛が命を懸けて戦っている心情には上手く入り込めませんが、視聴率の数字によって右往左往する関係者の心情には簡単に入り込めます。直接の利害関係のない者が、他人のランキングという争いの結果を見て楽しむのは、あまり品の良いものではないと思います。

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