犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

岩手 被災地派遣の男性職員が自殺

2012-08-26 23:36:35 | 時間・生死・人生

8月24日 NHKニュースより
「岩手 被災地派遣の男性職員が自殺」

 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市に派遣された盛岡市の男性職員が7月下旬、自殺していたことがわかりました。男性は「被災地で役に立てず申し訳ない」という内容の遺書を残していて、岩手県は派遣職員の心や体の健康管理を徹底するよう自治体に通知しました。

 自殺したのは、ことし4月に盛岡市の道路管理課から陸前高田市の水産課に派遣された35歳の男性職員です。陸前高田市によりますと、男性職員は主に被災した漁港の復旧工事を担当していましたが、先月22日、車の中で首をつって死亡しているのが見つかり、「希望して被災地に行ったが、役に立てず申し訳ない」という内容の遺書が残されていたということです。

 被災地への職員の派遣は岩手県が調整していて、ことし6月に県の担当者が男性職員と面談した際には、特に悩みは聞かれなかったということです。岩手県は職員の派遣を受けている沿岸の10市町村に対して派遣職員の心や体の健康管理を徹底するよう通知しました。


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 昨年3月11日を境に日本人の価値観は変わり、助け合いの精神、人との絆の大切さ、命の重さを思い出すに至ったという評論をかなり目にしました。いずれも地に足が着いていない抽象論であり、拙速な結論であるとの感を持ちます。ちなみに、大津市の中学生が毎日自殺の練習をさせられ、自宅を荒らされて財布を盗まれ、自ら命を絶つしかなくなったのは、震災から約半年後のことでした。こちらの事件の詳細な事実のほうに、震災の前後を通じた日本人の価値観が現れていると思います。

 被災地の外部においては、原発に関する認識を除き、日本人の価値観は震災の前後ではほとんど変わっていないと思います。相次ぐ児童虐待や殺傷事件も変わりませんし、現代社会があまりにも慌しすぎ、情報が多すぎる点も変わっていません。あらゆる欲望に溢れた現代社会は、個々の人間の欲望をお金に変えて存在しており、これは企業側の欲望の刺激と消費者側の欲望の放流との依存関係であると感じます。そして、この関係の強さは、震災などでは全く変わらなかったのだと思います。

 このような社会において、真に献身的かつ他人を理解し共感する力を持つ者は、非常に生きにくく苦しいと思います。利己的な欲望を追求する幸せと利他的な善を追及する幸せとを比べれば、精神的な高さの次元が違います。ところが、目の前の事態が上手く行かない場合、我欲の果ての苦しみは自業自得であるのに対し、献身の果ての苦しさは完全な破滅をもたらします。「他人の役に立ちたい」という純粋な思いが本当であればあるほど、人は心が折れ、足元が崩れるのだと感じます。

 震災の直後によく聞かれ、いつの間にか聞かれなくなった言葉も多くあります。例えば、「……は被災地の復興にならない」、「被災地に勇気を与えるために……」、「こういう時だからこそ元気を出して……」といったものです。今にしてみれば、欲望の追求を止める術を失った社会が、単に自粛期間に息を潜めていただけではないかと思います。震災が起ころうと起こるまいと、現代人はかつての規範意識を捨て、一線を越えたまま情報に追われているということです。

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