犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

勢古浩爾著 『人に認められなくてもいい』より (1)

2013-02-10 23:53:13 | 読書感想文

p.194~ 「ほんとうは怖いポジティブ・シンキング」より

 否定的なこともすべて肯定的にとらえかえす「ポジティブ・シンキング」という考え方がある。嫌なことがあっても、「ま、いいか」と思いを断ち切って、前向きに生きていこうとする、あの方法である。この思考の元祖はアメリカである。ところが、アメリカでは「ま、いいか」どころの話ではなかった。適切適度な自己承認どころか、強迫神経症とでもいうべき様相を呈しているのである。

 アメリカ人の乳がん患者は、「ポジティブ・シンキングが義務化され、不幸でいれば何らかの謝罪をしなければならない」ような雰囲気に囲まれるという。「患者」「被害者」という言葉は「自己をあわれみ、抵抗しないイメージがあるので」禁句とされる。もし生存できれば、「生還者」を名乗る。殉教者はそれほど尊重されず、つねに尊敬され称賛されるのは「生還者」だという。

 乳がん患者のウェブサイトには、信じられない言葉が溢れているという。乳がんになったために「いまのほうが人生を謳歌」している、「いまが最高に幸せだ」「がんは自分を元気にし、進化させてくれる」などなど。「幸せのもとは、ほかならぬがん」とか「がんは神との絆」という者までいるのだ。また乳がんになりたいか? という問いに、「もちろんです」といったりする患者もいるのである。はっきりいって、異常である。

 これは自己承認ではない。自己暗示による自己欺瞞である。弱さは敗北なのだ。ほとんど人間失格でもありそうだ。ゆえに、自分の弱さを認めることはいっさい許されない。弱さを認めることは、自分は負け犬であると告白するようなものだからである。ポジティブ・シンキングは「容赦なく個人の責任を強調」し、これができない者は「努力が不十分」「成功への確信が不十分」とされる。だから、敗北も認めない。


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 哲学と人生哲学とは似て非なるものですが、そこでは誰が語っても正解になる真理が同じように語られます。例えば、「人生は一回きりである」「人生という時間は有限である」「過ぎた時間は戻らない」というような言い回しです。そして、これらの言葉は曲者だと思います。この命題が人生哲学にかかれば、無条件に前向きでポジティブな結論が導き出され、後向きでネガティブな結論はどう頑張っても出てこないからです。

 哲学的に疑いようがない真理から、一直線に前向きの結論が導き出されたならば、これは全世界の真理でなければ気が済まなくなるのが当然の帰結だと思います。自分が好きで前向きに生きているだけでは、哲学的な真理に虚偽が混じり、自分の足元が揺れてしまうからです。従って、前向きに生きていない人の存在が目に入ると、考えを改めさせなければならなくなります。このような強制の契機は、単なる洗脳だと思います。

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