犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

南部ヤスヒロ著 『じみへん 倫理教室』

2010-02-19 00:09:20 | 読書感想文
p.142~(南部氏は高校の倫理の先生です)

 「不良に捨て猫効果」という表現があるそうだ。いかにもやさしそう、善人そう、そんな人が捨て猫を拾ってもインパクトはないが、いかにもな不良が捨て猫を撫でてるだけで、「う~ん、あいつって本当はイイ奴なんだ、見かけと違って心は優しい奴なんだ……」。携帯小説ファンの女生徒にはこんな心性の子が多い。

 倫理の授業をきっかけに、いろんな本を紹介する。読書の勧めだ。まぁ、精神分析学、心理学、哲学をちょっとかじったからと言って、専門書はハードルが高すぎる。でも、わかりやすい入門書の類や、人の生き様を主題とした文学作品くらいには親しんで欲しい。でも……地方の高校生にはやっぱり、携帯小説やライトノベルのほうが人気なんだよね。キャラクターも話の展開も「ひとひねり」に弱い。

 ホストなのに一途。レイプされたからこそ純愛。薬に手を出しているのに誠実。ドジなのに憎めない、つんつんして冷たいのに好きな人の前では甘えん坊(ツンデレ)、乱暴な言葉づかいなのに2人になると甘えてくる…… ほぼこのパターン。倫理の授業で目指すのは「ふたひねり」以上。本当に深く考えれば、ステレオタイプから脱却できる。


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 刑事裁判の裁判所書記官席からは、色々な人間の素顔が見えます。それは多くの場合、ステレオタイプの「ひとひねり」のオンパレードです。情状証人(被告人の家族・友人・上司など)は、涙ながらに「彼は本当は優しい人なんです」「本当はこんな犯罪をする人ではないんです」と訴えます。
 弁護人は、「初めから罪を犯していない人よりも、罪を犯してから反省した人のほうが偉いのだ」と言わんばかりで、(他の被告人はともかく)この被告人だけはいかに善良な人間であるかをわかってもらうために熱弁を振るいます。

 裁判官は、量刑相場に従って淡々と判決を下すだけですので、「ひとひねり」に騙されることはありません。但し、量刑相場の中には情状証人への信頼も含まれていますので、逆に「ひとひねり」に騙されっぱなしであるとも言えます。被告人の中には、執行猶予の判決を言い渡された後、「ふたひねり」の態度を見せる人もいます。
 裁判官と検察官が法廷を去り、弁護人へのお礼の挨拶も終えた後に、傍聴席の情状証人と目を見合わせて「ニヤッ」とする被告人の顔を見ると、役者が上だなと思わされます。そして、法律学の理論だけでは「ふたひねり」以上に対処できないとも感じます。

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