犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある死刑求刑の通り魔事件の光景

2010-02-21 23:39:06 | 実存・心理・宗教
 「これじゃ全然ダメだ。話にならない」。弁護士が差し出したのは、拘置所の被告人から預けられた被害者遺族の1人に宛ての謝罪文であった。彼女(事務員)は手に取ってみると、誤字脱字だらけのやる気のなさそうな文字が並んでいた。「○○様の大事な娘さんを奪ってしまって誠に申し訳ございません。逮捕されて、とんでもないことをしてしまった自分に新ためて気ずきまして、不眠症に悩んでいます。警察ではすべてちゃんと話したつもりでした。これまでは大人の取るべき行動ができませんでした。本当にスミマセン……」。
 とても通り魔で2人の命を奪い、死刑求刑が予想される被告人の手紙とは思えなかった。弁護士は彼女に言った。「こんなもの出したら大変なことになるから、急いでちゃんとした謝罪文を書いてくれないか?」

 彼女は昔から作文が上手く、その能力は社会に出ても重宝されていた。しかし最近は、単に社会の側が彼女の能力をいいように利用しているだけだと感じることもあった。彼女は、とにかくパソコンに向かった。
 「私は、○○様の心境を想像しようとしてはすぐに限界にぶつかり、毎日跳ね返され、絶望しています。しかしながら、この私の心境を絶望と表現することは、私自身には自業自得という最後の逃げ場があり、その場所に甘えているに過ぎません。この世に償いという形式があるとしても、人の命と人の死だけは償うことができない以上、私に償いなどできるわけはありません。私は自分の死をもってしても罪を償うことはできませんが、この理屈をもって死刑を免れる方向で嘆願を行うことは、人間として最も卑怯なことだと思われるのです……」。

 彼女は自分の書いた文章を読み返してみた。やはり全然ダメである。人を殺した経験のない第三者がいくら取り繕った言葉を発しても、伝わってくるのは偽善臭でしかない。殺された者の気持ちがわかるわけがない。もしもこの世に、人の命を奪っても許してもらえるような言葉が存在しているならば、それは誰かによってとうの昔に発見されているはずであり、今ここで彼女が発見できるはずもない。
 弁護士は彼女の書いた文章を見て、しばらく複雑な笑いを浮かべていたが、やがて満足そうな笑みに変わった。「あいつは、死刑になりたいって言って自棄になって通り魔を起こしたんだから、これでいいんだろうな。ちょっと上手すぎるけど、まあ何というか、あいつがこんな文を書けるようになったら、著しい進歩だろう」。

 その数日後、弁護士が拘置所から持ち帰った被告人の謝罪文を見て、彼女は脱力した。彼女の打った文章が、一言一句そのままに、しかもところどころに誤字を含みながら、やる気のなさそうな文字で便箋に記されていたからである。弁護士は、「もうちょっと自分の頭で考えろよなあ」と苦笑しつつ、彼女に対し、被害者遺族の1人に向けて郵便で送るように命じた。彼女は、詐欺に加担しているような後ろめたさを感じつつ、組織の職務命令に従った。
 さらに数日後、彼女が発送した郵便が、封を開けられないままクシャクシャに丸められて、別の封筒で送り返されてきた。弁護士は、彼女に対し、事前にコピーしておいた被告人の謝罪文を裁判所に証拠として提出するように命じた。立証すべき事項は、「被告人は十分反省しているにも関わらず、それが相手方に理解されず、さらに罪の意識を新たにしている事実」とされていた。

 検察官の求刑は死刑であった。これに対し、裁判所の判決は、無期懲役であった。裁判官も人間である以上、死刑か無期懲役かのギリギリまで迷い抜いた場合、最後の判断を決めるものは、過去の判例などではなく、自分の職業的良心に基づく直観である。また、この特殊な言語空間においては、すべての言葉は、「被告人の真摯な悔悟の念がわずかでも見られること」「被告人の更生の可能性が皆無ではないこと」「被告人の死刑を回避することに一筋の希望がみられること」といった基準から光を当てられ、細かく吟味される。
 彼女が弁護士から聞かされた判決理由によれば、この死刑回避の結論が導かれる過程において、彼女の書いた文章が決定的な役割を果たしていたらしい。彼女の文章は、法廷の外では全く話にならない偽善の塊であり、人の心を打たない駄文であったが、法廷内の特殊な言語空間の中ではかなりの破壊力を持ってしまい、裁判長の判断を左右したようであった。

 すべては筋書き通りであった。被告人は彼女の言葉を元にして反省の言葉を語ることを覚え、わずかでも自らに罪の意識を芽生えさせた以上、死刑回避の理由としては完璧である。裁判長であろうがなかろうが、「被告人の更生の可能性を信じたい」という気持ちにならなければ嘘である。
 彼女は、被告人が一度も自分の言葉で反省の弁を語らず、罪と罰の意味を考えないままに極刑を免れた事実を前にして、中途半端な詐欺師のように心がざわめいた。しかしその感情も、弁護士の自尊に満ちた表情と、弁護士が彼女の尽力を完全に忘れて喜んでいる様子を前にして、憤慨の情と空虚感にかき消された。そして、判決が死刑であった場合には、高等裁判所への控訴趣意書の起案で目の回るような忙しさになっていたことを想像し、安堵の気持ちが湧きあがっていることにも気づいた。彼女は、これが刑事裁判の限界であり、その限界は人間の外側ではなく内側にあることを知った。


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フィクションです。

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