犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

小林美佳著 『性犯罪被害にあうということ』 その3

2009-12-22 00:39:01 | 読書感想文
この本の筆者である小林さんの事件については、まだ犯人が捕まっていない。しかし、実際に犯人が逮捕・起訴されたとしても、この種の犯罪では周知の通り、そこから先の裁判がまた大変である。従来の刑事法の制度設計では、演繹的に性犯罪被害者を眼中に入れることができないからである。強制わいせつ罪や強姦罪には、長らく6ヶ月間の告訴期間制限が設けられていた。これは、「犯人がいつまでも逮捕されるかわからない不安定な状況に置かれることは人権侵害である」との価値観が人権論に合致したからである。さらには、被害者が法廷の場に呼び出されて証言しなくてはならない苦痛は、典型的な二次的被害であり、特に事件を詳細に掘り返されて尋問される行為はセカンドレイプの典型である。平成12年の刑事訴訟法改正では、証言の際の証人への付添い、被告人と証人の遮蔽、ビデオリンク方式による別室からの証言を可能にする規定が新設されたが、そもそも近代刑法の大原則は、このような制度を上手く消化することができていない。

例えば、ビデオリンク方式の導入に対する反対論には、次のような強姦罪と強姦致傷罪の差異を強調するものがあった。「強姦罪は3年以上の懲役刑であるが、強姦致傷罪は無期懲役又は5年以上の懲役刑である。すなわち、被害者がレイプの際に怪我をしていたか否かによって、刑の重さが最低でも2年は異なることになり、しかも無期懲役の可能性すら出てくる。従って、被害者の傷がどの時点でどのように生じたのか、客観的な証拠及び多数の証言をもって明確に確定しなければならないことは言うまでもない。もちろん、我々は被害者の悲しみは十分に理解しなければならず、心のケアをしなければならない。しかし、そのことによって事実認定がおざなりになることは断じてあってはならない。ビデオリンク方式による別室からの証言は、裁判の大原則である直接主義が損なわれ、防御権・弁護権の中核である反対尋問権が侵害されており、日本国憲法第37条2項に違反するばかりか、フランス人権宣言によって確立された近代司法の大原則にも違反する。2年間の刑の重さの差、ましてや無期懲役の可能性は、人一人の人生を左右しかねないものであり、人の一生を決めるものであることを肝に銘じなければならない」。

このような考え方は、近代刑法の大原則が性犯罪被害者の二次的被害を助長していることは十分に認識しており、何とかしなければならないと思いつつも、もはや演繹的に身動きが取れないため、人権宣言や近代憲法といった権威を持ち出して、人間の微妙な心情を押し潰すしかなくなっている。ここにおいては、人間の理性から最も遠く離れた本能むきだしの獣の行為をした当事者が、なぜか人間の理性の象徴である人権宣言や近代憲法の担い手となる。これは、野獣が都合のよいときだけ人間界に帰っているような違和感を生じさせる。近代社会は人間の身体性よりも理性を上位に置いた。そのため、事件の現場を離れた大学の研究室で、刑法177条の「姦淫」の法解釈が、過去の判例の集積の上に観念的に繰り広げられている。ここにおいては、たった一人で誰の助けも得られず、ひたすら犯人の欲望が満たされることだけを待ち望んでいた事実や、そのような性犯罪被害者の人生の瞬間は彼女が生きている限りは消えない事実に対する絶望は欠落している。性犯罪被害者への裁判での二次的被害を防止しようとするならば、論理的には近代刑法の大原則を後退させ、反対尋問権を制限するしかない。ゆえに、この論理的な部分を直視しようとしなければ、「心のケア」と「癒し」で性犯罪被害者の口を封じるしか方法はなくなる。

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1 コメント

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Unknown (yuu)
2011-01-30 11:23:46
表面的にしか見ていないのでは?

http://doradora-katudou.seesaa.net/article/182994581.html
性犯罪被害者が相談した警官はレイプ犯で裏金作り担当係で御栄転。

警察が性犯罪捜査?ご冗談でしょ。

この活動は警察の予算増額のためなんじゃないかな。
いまの警察の実態からすると、そんなふうに疑いたくなる。

警察なんかに騙されるなよ。
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