犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

生命のメッセージ展 in ぐんま県庁

2008-07-21 18:56:19 | その他
生命のメッセージ展の会場に、1枚の大きな写真パネルがあった。犠牲者の等身大のパネルが森の中にいくつも立っている。生命のメッセージ展のホームページで何回も見ているが、このような大きな写真の目の前に立つのは初めてである。一瞬ギョッとした。見つめられている気がしたからである。そして、なぜか自分が車の運転免許を取った日のことを急に思い出した。

警視庁の府中運転免許試験場は、東京都立多磨霊園のすぐ隣にある。私は、無事に免許が取れたことを祖父母の墓前に報告しようと思った。しかし、墓地の中をしばらく歩いていて、急に恐ろしい気分になった。無数の墓石が自分を見つめている。いつも彼岸の頃には沢山止まっている車は1台もなく、いつもは大勢の人で賑わう広場にも人っ子一人いない。平日の昼間にここに来たのは初めてであった。無数の死者に囲まれて、自分だけがぽつんと生きている。突然この事実に直面し、私は足がすくんでしまった。

少し広い所に出たとき、フッと風が吹いて木々の枝が揺れた。もう一度、爽やかな風がサーッと吹き抜けて、全身がひんやりとした。そのとき、なぜか恐怖心が一瞬で消えた。奇跡でも超常現象でも何でもなく、自分が死者に守られているような気がしたからである。なぜその瞬間だったのかわからないが、風は吹いたのではなく、吹き渡っているという感じであった。死者の目が怖いと言っても、そもそも自分は祖父母の墓前に報告に行くのではなかったのか。いずれ自分もそこに入るのではないか。私は苦笑しながら祖父母の墓前に行き、もらったばかりの免許証を置いて、一生涯の安全運転を固く誓った。

この日の出来事は、10年以上もずっと忘れていた。しかし、生命のメッセージ展の会場のパネルを見たとき、その日の記憶と全身の感覚が一瞬で甦ってきた。パネルには、『千の風になって』の歌詞が大きく書かれていた。

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって 
あの大きな空を 吹きわたっています

そういうことだったのか。10年以上前の記憶と、2年前の大ヒット曲が、なぜか生命のメッセージ展の会場で結びついた。犠牲者の等身大のパネルに自分が守られているような気がした。

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