犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

この1年 (4)

2014-01-01 22:04:03 | その他

 昨年10月、ある方のブログで紹介されていたことがきっかけで、『いちえふ』という漫画を読みました(竜田一人著・第34回MANGAOPEN大賞受賞作・モーニング第44号掲載)。福島第一原発の作業員として働いていた作者のルポルタージュです。政治的なメッセージは何もなく、脱原発に向けての賛成反対の主義主張もありません。冒頭部分には、「これは『フクシマの真実』を暴く作品ではない」と書かれています。

 私はこの作品を見て、感想を持つことができませんでした。作者のほうが、意見や現状への不満を何も述べず、読者に同情を求めず、福島第一原発の様子を淡々と案内しているだけだったからです。読者は賛成も反対もできません。「日本崩壊なんて言ってる連中にここの作業見せてやりてえもんだ」という台詞や、「メディアの報じる話なんて俺たちは正直うんざりだ」という作者の独り言の前にただ立ちすくむのみです。

 この作品の最後は、「いつか必ずこの職場を福島の大地から消し去るその日まで」という言葉で結ばれています。すなわち、自分の仕事の目的は破壊であり、創造性は皆無であることの覚悟です。私はこの記述から、現場で働く方々の内心の象徴として、生産性とは無縁の構造下で、自らの精神の破壊と向き合う覚悟を読み取りました。これは、精神力の強さを身につけたり、逆境を克服するといった生易しい話ではありません。

 私は昔から、「目に見えない放射線」を恐れるよりも、「目に見えない人間の精神」を畏れる者です。この作品に対し、単に立入禁止区域内の場所の貴重な記録であるという評価をするだけなら、血の通った人間の精神が平板になる過程に慄然とすることもないのだと思います。そして、理屈を語るだけで体を動かさない我々の世界の側から、別の世界を覗き込みつつ、未来への希望を抽象的に語るのみだと思います。

(続きます。)

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