犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

この1年 (1)

2013-12-30 23:28:38 | その他

 平成25年、私が新たに担当することになった最大の仕事は、原発被害者支援弁護団に関する事務作業でした。司法制度改革によって法曹人口が急激に増え、弁護士事務所はどこも経営に暗雲が垂れ込めているようです。そして、建前論を抜きにすれば、弁護士事務所は世の中のトラブルのお陰で飯が食えているのであり、しかも飯が食えない形のトラブルには意味がないということになります。

 ここ数年、弁護士事務所にとっての救世主は、消費者金融に対する「過払いバブル」でした。これは、グレーゾーン金利を前提に、多重債務者の救済という正義を実現しながら、消費者金融各社と相互依存の関係を維持しつつ、格差社会や貧困問題に対しては何の根本的解決もなし得ない業務でした。そして、弁護士事務所と司法書士事務所はこのチャンスに群がり、ほぼ食い尽くしました。

 私も組織人の1人として、綺麗事を離れて、次なるバブルを確かに待望していました。一時期、「更新料返還バブル」や「残業代請求バブル」がへの希望が語られた時期もありましたが、これらの期待はあっけなく萎んだように思います。社会的権力や強弱関係を背景として、弱い者の味方をするという大義名分は立つ状況でした。しかし、これらのバブルは弾ける以前に膨らみませんでした。

 あらゆる経済活動の場には利権が生じます。人が食べて行くためには働かなければなりませんし、代案のない主義主張はただの机上の空論であり、お花畑です。司法制度改革の不調が否定できないレベルにまで達し、過払いバブルに続く二匹目のどじょうが待望されていた空気の中で、確かに「原発被害賠償バブル」への期待も生じました。ここには、東電という絶対悪も存在していました。

(続きます。)

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