犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

この1年 (5)

2014-01-02 22:43:56 | その他

 東日本大震災後の自粛ムードのとき、労働事件に取り組んでいる多くの弁護士が雇用問題を論じ、自粛の空気を批判していたことを思い出します。これは、弱い立場の者が「使い捨て」に遭っていたためです。ところが、その同じ弁護士が、福島第一原発の作業員の「使い捨て」の現状にはあまり興味を持っていません。政治的な主義主張とは、論者の正義を中心とした遠近法によって決まり、人は見たいものしか見ないのだと改めて知らされます。

 このルポルタージュの作者の竜田氏は、ハローワークで原発作業員の仕事を見つけ、被災地のためという義侠心もあって応募し、6次請け以下の最底辺の仕事に就いたとのことです。そして、現場では危険手当すら出ず、日給8000円の「使い捨て」の状況が横行していたとのことです。原発問題の議論に熱心で、かつ労働問題にも取り組んできた弁護士は、当然このような現状を知っています。しかし、やはりここの労働問題には力が入りません。

 このような矛盾の原因は明らかです。竜田氏が語らずに示している通り、「原発のない社会を次世代に残そう」という目標の達成のためには、現場での苛酷な作業に従事する者が必要不可欠だからです。国民世論が「一刻も早く原発をなくしたい」という方向に盛り上げられるほど、工程表にはピントが合いますが、原発作業員は国民の視界から消えます。そして、竜田氏はこの矛盾を暴くことなしに、黙々と与えられた仕事をしているだけです。

 もちろん、脱原発の活動の一環として、福島第一原発の作業員の劣悪な環境には同情の視線は向けられているものと思います。しかし、それは「諸悪の根源である原発が存在したことが問題なのだ」という原理の各論であり、犠牲者の立場にある者への上から目線に過ぎません。すなわち、誰もやりたがらない仕事を引き受けた者への敬意ではなく、逆に「あなた達の仕事は最初から最後まで無意味なのだ」という烙印を押しているものです。

(続きます。)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。