犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

筒井康隆著 『アホの壁』

2010-04-16 23:51:01 | 読書感想文
p.43~

 バラエティ番組がこんなに多いということは、多くの人が見ているからであろう。しかしここからさまざまなアホが生まれ、アホの言説が一般社会に拡がっている。時代に影響を受けたアホと言えようが、こうしたアホが後世に何らかの影響を、ほぼ確実に与えるだろうことが懸念される。

 彼らのやりとりを聞いていると実につまらない。お笑いも個個の芸ではそれぞれいいところを見せるが、こうした番組ではギャグもナンセンスも皆無である。何を言うかというと自分のアホさ加減を言ったり、相手のアホな日常を暴露したり、タレントの誰それのアホなエピソードを喋ったり、頓珍漢な返事や答えで自分の無能を示したりするのだが、そこにはほとんど笑いはない。

 知的な筈の科学者、医師、作家、ジャーナリスト、弁護士といった連中でさえ、こうした番組に何度も出ているうちには次第に慣れてきて、似たようなつまらぬことを言い、同じような反応をする。大声で笑う人などは特に重宝がられる。バラエティ番組でそのような教育を受けたこの連中が、一般社会にそうしたつまらない会話を持ちこむものだから、会話の知的レベルがどんどん低下していくことになる。

 居酒屋などへ行き、何人かが集って飲みながら話しているのを近くの席で聞かされることがある。たいていはまるっきりバラエティ番組を模倣したつまらない会話で盛りあがっていて、それは即ち身内の悪口、同僚の失敗談、その話をしている者の言葉尻や言い間違いを捉えた冷かし、その他その他である。そのつまらない話に爆笑で返すというのもバラエティ番組そのままだ。しかしいずれの技術においてもバラエティ番組には劣っていて、つまらなさ、アホさ加減にはどんどん拍車がかかる。

 こうした傾向が一般社会に拡がっていくと恐ろしいことになるだろう。最も危険なのは会社などにおけるブレーン・ストーミングである。そもそもが何を言ってもいい会議なのだから、これがバラエティ番組の模倣になったのでは、何かの着想に到るという本来の目的を達せられる筈がない。


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 その通りだと思います。裁判員制度は大丈夫でしょうか。

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