犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

東野圭吾著 『さまよう刃』

2008-08-21 22:38:25 | 読書感想文
p.346~

 長峰は続けた。
 「じつをいいますと、私だって復讐に躊躇いを感じなかったわけじゃないんです。伴崎を殺したのは衝動的なものですが、スガノカイジを追いつつ、やっぱり迷いはあったんです。もしかしたら彼は今頃、本気で反省しているかもしれない、後悔しているかもしれない、これからは真人間になろうと思っているかもしれない、だったら絵摩の死もまったく無駄ではなくなる、一人の人間を更生させたことになると考えられないこともない、するとその人間を殺すのではなく生かすことのほうが意味があるのではないか……なんていうふうにね」
 彼はふっと唇を緩め、頭を左右に振った。「とんだお人好しでした。この記事を読んで、私は確信したんです。奴らは一人の女子高生の自殺さえ、何の教訓にもしなかった。反省材料にできなかった。むしろ、好結果だと思っている。それはつまり、絵摩を死なせたことについても、おそらく同様だということを示しています。スガノは反省も後悔もしていない。姿を隠しているのは、ただ単に捕まるのが嫌だからにすぎない。今頃はどこかで息をひそめて、自分たちの罪がなかったことにならないかと虫のいいことを考えているに違いないんです。私は断言しますが、そんな人間に生きていく資格などない。更生する見込みもない。だったら、せめて遺族の怒りをぶつけたい。恨みを晴らしたい。自分がどれほどの憎悪を受ける行為をしたかを思い知らせてやりたい」
 語るうちに、自分の言葉に興奮したように、長峰の声は大きくなっていった。和佳子は萎縮していた。彼の怒りが自分にぶつけられているような気さえした。事実彼は、遺族の悲しみを理解せず、復讐は許されないことだ、とお題目のように唱える一般大衆にも憤りを感じているのかもしれなかった。


p.497~

 「警察というのは何だろうな」 久塚が口を開いた。「正義の味方か。違うな。法律を犯した人間を捕まえているだけだ。警察は市民を守っているわけじゃない。警察が守ろうとするのは法律のほうだ。法律が傷つけられるのを防ぐために、必死になってかけずりまわっている。ではその法律は絶対に正しいものなのか。絶対に正しいものなら、なぜ頻繁に改正が行われる? 法律は完璧じゃない。その完璧でないものを守るためなら、警察は何をしてもいいのか。人間の心を踏みにじってもいいのか」 そこまでしゃべった後、久塚はにっこりと笑った。「長い間警察手帳を預かっておきながら、俺は何ひとつ学んでなかったよ」
 

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小説家は法律家よりも法律のことを知っている?

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2 コメント

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この本を読みました (ゆうとまま)
2008-09-01 11:06:43
私も昨日この本を読みました。あまりにも内容に感情移入しすぎてしまい、気持ち悪くなりました。
司法は残念ながら被害者のためにあるわけではないというのは実体験として感じているところです。
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そうですね。 (某Y.ike)
2008-09-01 23:48:17
私も東野さんの本はだいたい1日で読んでしまい、その後でどっと疲れが来ます(笑)。

それにしても、「社会派推理小説」が持つ言葉の力には驚かされます。「刑罰には被害感情を反映すべきか」といった賛成・反対論とは鋭さが違うようです。

またこの小説の印象的な部分を、「ネタバレ」にならないように、取り上げてみたいと思います。
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