犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

横山秀夫著 『深追い』

2010-07-31 00:09:13 | 読書感想文
p.192~

 幼稚園の時から3つの塾に通わされた。厳格な父。溺愛する母。名門中学での執拗ないじめ。キャリアになった。警視にもなった。だが、勇躍赴任した捜査二課の部屋は針の筵だった。無視。あるいは好奇の視線。猛獣の檻の中に放り込まれた小動物のように日々怯えていた。仲間は1人もいない。誰も助けてはくれない。それでもキャリアは威厳を保ち、常に優秀であり続けなければならない。

 なぜ警察庁に入ったのか。滝沢は疑問を森下に投げかけた。国家公務員試験のⅠ種合格者。どこでも行きたい省庁を選べたはずだった。森下はすっかり考え込んでしまった。しばらくして、「権力というものを手にしてみたかった」と答え、またしばらくして、「ただ強くなりたかった」と言い直した。


p.185~

 「警察官って職業は、大里さんが思っているようなものではないですよ。やっている私が言うんだから間違いない」。その場に大里を置き去りにして、滝沢は玄関に向かった。自己嫌悪を承知で言い放った。向けるべき相手に向けられない怒りを、無防備で人畜無害の大里にぶつけた。弱い人間の、そのまた一番の急所を突くことで発散した。

 建物を出た滝沢は天を仰いだ。自分が見下されているから、人を見下そうとするのだ。見下されない高さにまで上り詰めるしかないのだ。そう腹で言いつつ、滝沢は自分という人間を粉々に砕いてしまいたい衝動に駆られた。


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 横山秀夫氏の警察小説には、組織と個人、公と私、建前と本音といった狭間での人間の葛藤が精緻に書かれており、どの話にも読み応えがあります。私も仕事で警察署の中に何度も入ったことがあり、いつも張り詰めた独特の空気に息苦しくなりながら、警察官はこの空気が心地よいのかと思ったりします。しかしながら、横山氏の小説を読むと、そのような空気の感じ方では考えが浅いのだと気付かされます。

 法曹界や法律論は、どうしても警察=警察権力=国家権力という図式を基礎に置いており、抽象的な組織ではない人間一人一人がそれぞれの人生を生きている点については、平面的な捉え方をしているように思います。権力と闘うことによって人権が守られ、それによって偏見や差別が解消され、人間が人間として尊重される。このような思考の順序によって人間の尊厳が語られ、一人一人の人生が語られる場合、横山氏が立ち止まって苦しんでいるその部分が、一瞬で飛び越えられてしまっているように感じられます。

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