犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

藤井誠二著 『重罰化は悪いことなのか - 罪と罰をめぐる対話』  第Ⅶ章

2009-03-27 14:35:30 | 読書感想文
第Ⅶ章 編集者との対話  藤井誠二×双風舎編集部 より

p.221~

たとえば、北朝鮮による拉致被害者の家族集会には万人単位で人が集まりますが、一般の犯罪被害者集会にはせいぜい2~300人くらいしか集まりません。この差はいったいなんなのだろうか、と思うことがあります。防犯集会にも、たくさんの人が参集します。動員もあるでしょうけど、人の「集まりやすさ」ということをどうしても考えてしまう。これは悪いことではない。「集まりやすさ」は、人びとの正義感や何かしなければならないという衝動と結びついていると思います。

子どもたちを主人公にした防犯運動には、もちろん評価すべき点もたくさんあります。誤解してほしくないのですが、「集まりやすさ」=「わかりやすさ」は、どうしても複雑な部分を見なかったり、実効性などを見なかったりする傾向にいきやすいのです。逆にいえば、被害者の運動は、かならずしも防犯運動などとリンクする必要はありませんし、そう簡単にリンクできるものではありません。被害者グループと一言でいっても、犯罪の内容や様態によって、さまざまなグループに分かれているのです。


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「犯罪被害者等基本計画」において、毎年、犯罪被害者等基本法の成立日である12月1日以前の1週間(11月25日~12月1日まで)が「犯罪被害者週間」と定められている。これは、内閣府が国民に対し、犯罪被害者等に対する関心をより一層高め、支援の大切さなどを理解することを目的としている。そして、周囲の人は被害者の気持ちを温かく受け止めて接し、責めたり無理に励ましたりすることを避け、興味本位のうわさ話などを避けることが大切であると説明されている。また、同週間においては予め標語が募集され、最優秀作品は「犯罪被害者週間国民のつどい・中央大会」において担当大臣より表彰が行われるほか、犯罪被害者週間のポスター等にも使用される。平成20年の最優秀作品は、「乗り越える 勇気をくれる みんなの支援」であった。また、平成19年の最優秀作品は、「悲しみを 希望にかえる 社会のささえ」であった。

藤井氏の捉えている地点は、このようなお役所の儀式のレベルを遥かに凌駕する。同氏の最大の功績は、犯罪被害者の活動は多かれ少なかれ国家権力の側に立たざるを得ないことや、犯罪被害者集会には人が集まりにくいことを、率直に議論の大前提に置いたことである。そこから、表面的な美辞麗句ではない議論の足場が形成される。今の世の中では、「我々一人一人が自分のこととして考えて行きましょう」と言えば1分後に忘れられ、「今後の検討課題は山積みである」と言えば10秒後には放置されるのが通常である。罪と罰の問題は、このような方法で片がつくものではない。いかなる人生を歩んできた人が、突然の事件や事故で人生を絶たれてしまったのか。全く関係のない加害者と被害者(になってしまった人)の人生が、どうして一瞬だけ不幸で最悪の交錯をしてしまったのか。これらの問いは、人間の内側に深く沈潜する。ここにおいて、法や制度は無力であり、最終的には生身の人間同士の関係性が求められてくる。これは、法や制度を認めた上で反動的に「人間」を思い出すといったヒューマニズムではない。

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