p.30~
青年時代に生きがいについて悩むひとはかなりいても、大人になると避けておくのがふつうになる。男のひとにしても女のひとにしても、単に社会的な役割を果たすだけで人間の生存意識のすべてがみたされるかどうか、一個の独立人格としての存在理由は何か、というような問いは意識にのぼらないのが一般であろう。それは一種の防衛本能のようなものかも知れない。なぜならば、うっかり本気でこういう問題に立ちむかうならば、今まで安全にみえていた大地に突然割れ目ができ、そこから深淵をのぞきこむような不安や不気味さにおそわれる恐れがあるからである。
しかし長い一生の間には、ふと立ちどまって自分の生きがいは何であろうか、と考えてみたり、自分の存在意義について思い悩んだりすることが出てくる。この時は明らかに認識上の問題となってくるわけで、大まかにいって次のような問いが発せられるわけであろう。
1.自分の生存は何かのため、またはだれかのために必要であるか。
2.自分固有の生きて行く目標は何か。あるとすれば、それに忠実に生きているか。
3.以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか。
4.一般に人生というものは生きるのに値するものであるか。
生きがいということがとくに認識上の問題になるのはどういうときであろうか。いうまでもなく青年期は一般に、もっとも烈しく、もっとも真剣に生の意味が問われる時期である。ところがその青年たちも大人になると、いつしか生存の意味を問うことを忘れ、ただ生の流れに流されて行くようにみえる者が多い。その流れがせかれるようなことでもないかぎり、ふつう壮年期は無我夢中で過ごしてしまい、だんだん年をとって来てそれまでの生きがいがうしなわれ、生きる目標を変えて行かなくてはならないときに、この問題が再び切実に心を占めることになる。これは、老人一般の最大の問題であろう。いわゆる社会保障制度の充実だけで解決できるものでないことは、北欧の老人自殺率がよく示している。
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昨年は、30歳代の自殺者数がバブル期の約2倍の4850人となり、統計を取り始めた昭和53年以降最多となった。警察庁によると、前年比で増えた30歳代の自殺原因は、就職の失敗が35%増、仕事の失敗が32%増、職場の人間関係が26%増、生活苦が25%増だそうである。一般に壮年期は25歳から45歳までと定義され、本来は最も気力・体力が充実している20年間である。そして、神谷氏が述べるように、多くの人は生存の意味を問うことを忘れ、ただ生の流れに流されて無我夢中で過ごしてしまう20年間でもある。上記の自殺の動機にしても、青年期や老年期のそれとは異なり、人生の悩み、生の意味の喪失という方向性ではない。
神谷氏が述べる「安全にみえていた大地に突然できる割れ目」とは、自殺の危険性と高めるものとは全く違う。生きがいといった問題に本気で立ち向かい、そこから深淵をのぞきこむような不安や不気味さに襲われることからは、単に「死ぬまでは生きているしかない」とのありきたりの解答が出てくるだけであって、自ら命を絶つ行動とはかけ離れているからである。その意味では、単に社会的な役割を果たすことに集中する人間の防衛本能が、皮肉にも30歳代の自殺者数の増加を招いてしまっている。このような状況を改善しようとすると、現代社会では、良くわからないカタカナ語(セロトニン・ノルアドレナリンなど)、適当にわかるカタカナ語(ストレス・メンタルヘルスなど)、良くわからない漢字(統合失調症・適応障害など)、適当にわかる漢字(心の悩み・癒しなど)が連発されるのが常である。しかし、どれを取っても、「生きがい」という素朴な言葉の力に及んでいるようには見えない。
青年時代に生きがいについて悩むひとはかなりいても、大人になると避けておくのがふつうになる。男のひとにしても女のひとにしても、単に社会的な役割を果たすだけで人間の生存意識のすべてがみたされるかどうか、一個の独立人格としての存在理由は何か、というような問いは意識にのぼらないのが一般であろう。それは一種の防衛本能のようなものかも知れない。なぜならば、うっかり本気でこういう問題に立ちむかうならば、今まで安全にみえていた大地に突然割れ目ができ、そこから深淵をのぞきこむような不安や不気味さにおそわれる恐れがあるからである。
しかし長い一生の間には、ふと立ちどまって自分の生きがいは何であろうか、と考えてみたり、自分の存在意義について思い悩んだりすることが出てくる。この時は明らかに認識上の問題となってくるわけで、大まかにいって次のような問いが発せられるわけであろう。
1.自分の生存は何かのため、またはだれかのために必要であるか。
2.自分固有の生きて行く目標は何か。あるとすれば、それに忠実に生きているか。
3.以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか。
4.一般に人生というものは生きるのに値するものであるか。
生きがいということがとくに認識上の問題になるのはどういうときであろうか。いうまでもなく青年期は一般に、もっとも烈しく、もっとも真剣に生の意味が問われる時期である。ところがその青年たちも大人になると、いつしか生存の意味を問うことを忘れ、ただ生の流れに流されて行くようにみえる者が多い。その流れがせかれるようなことでもないかぎり、ふつう壮年期は無我夢中で過ごしてしまい、だんだん年をとって来てそれまでの生きがいがうしなわれ、生きる目標を変えて行かなくてはならないときに、この問題が再び切実に心を占めることになる。これは、老人一般の最大の問題であろう。いわゆる社会保障制度の充実だけで解決できるものでないことは、北欧の老人自殺率がよく示している。
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昨年は、30歳代の自殺者数がバブル期の約2倍の4850人となり、統計を取り始めた昭和53年以降最多となった。警察庁によると、前年比で増えた30歳代の自殺原因は、就職の失敗が35%増、仕事の失敗が32%増、職場の人間関係が26%増、生活苦が25%増だそうである。一般に壮年期は25歳から45歳までと定義され、本来は最も気力・体力が充実している20年間である。そして、神谷氏が述べるように、多くの人は生存の意味を問うことを忘れ、ただ生の流れに流されて無我夢中で過ごしてしまう20年間でもある。上記の自殺の動機にしても、青年期や老年期のそれとは異なり、人生の悩み、生の意味の喪失という方向性ではない。
神谷氏が述べる「安全にみえていた大地に突然できる割れ目」とは、自殺の危険性と高めるものとは全く違う。生きがいといった問題に本気で立ち向かい、そこから深淵をのぞきこむような不安や不気味さに襲われることからは、単に「死ぬまでは生きているしかない」とのありきたりの解答が出てくるだけであって、自ら命を絶つ行動とはかけ離れているからである。その意味では、単に社会的な役割を果たすことに集中する人間の防衛本能が、皮肉にも30歳代の自殺者数の増加を招いてしまっている。このような状況を改善しようとすると、現代社会では、良くわからないカタカナ語(セロトニン・ノルアドレナリンなど)、適当にわかるカタカナ語(ストレス・メンタルヘルスなど)、良くわからない漢字(統合失調症・適応障害など)、適当にわかる漢字(心の悩み・癒しなど)が連発されるのが常である。しかし、どれを取っても、「生きがい」という素朴な言葉の力に及んでいるようには見えない。
「出立の病」という表現は、事態をとても正確に捉えていますね。今の民主主義社会では、自殺の増加は格差拡大のせいだ、政府が悪いという声ばかりが大きくて、少々うんざりします。