p.327~ 小川洋子氏の解説より
「私は話をでっち上げているのではなく、現実の世界に対応しようとしているだけだ」。『来たるべき作家たち』のインタビューの中で、ポール・オースターはこう語っている。にもかかわらず彼の小説はしばしば、現実のねじれから圧倒的な虚構の世界へ、読者を引きずり込む。そしてねじれの中で目眩を起こしている間に、ふと気が付いた瞬間、新たな現実の地平に取り残されている。
オースターの小説を考える時、偶然という要素はどうしても外せないが、彼はそれを必然的な生死の対極にあるものとしてとらえている。理論や科学や法律でうまく取り繕われているようでありながら、実は人生の大半は理由のつかない偶発的な出来事によって形成されている。彼はその不可思議の奥に、真の物語を掘り起こそうとしている。虚構などという便利な言葉で、片付けてしまうわけにはいかないのだ。
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偶然と必然の振り分けが法理論的に語られるとき、それは因果関係論の形を採ります。こうなってくると、社会通念の内容をめぐって争われることになり、その出来事は偶然なのか必然なのか、ますます混沌としてきます。偶然だと考える者は偶然であると主張し、必然であると考える者は必然であると主張し、どちらも証拠を出し合って正当性を論じ始めると、これは議論のための議論に陥ります。
偶然という要素を必然的な生死の対極にあるものとして捉えるならば、生死という汎時的な一点を離れて、特定のある時点での生死の偶然性と必然性を論じることの不可能性に気付かされます。その死が偶然であったと結論することが絶望であるならば、必然であったと結論すれば済むものではなく、逆もまた同じです。この点については、それだけで何冊も小説が書けるほどの内容であり、それでも偶然と必然の振り分けの答えに達することはないのだと思います。