犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

映画 『容疑者Xの献身』

2008-11-16 19:42:40 | その他
原作 p.45 
こういう男に靖子は惚れたのだと思い、小さな泡が弾けるように嫉妬心が胸に広がった。彼は首を振った。そんな気持ちが生まれたことを恥じた。

p.74 
最後の彼女の一言で、彼の全身の血が騒ぎだした。顔が火照り、冷たい風が心地好い。腋の下には汗までかいていた。

p.163 
「石神さんにそういっていただけると安心です」 靖子の言葉に、石神は胸の奥に明かりが灯ったような感覚を抱いた。四六時中続いている緊張が、一瞬だけ緩んだように思った。

p.184 
草薙は頭を下げ、歩いてきた道を戻っていった。その後ろ姿を見ながら、石神は得体の知れない不安感に包まれていた。それは、絶対に完璧だと信じていた数式が、予期せぬ未知数によって徐々に乱れていく時の感覚に似ていた。

p.238 
湯川は笑顔で頷くと、くるりと踵を返した。歩き始めた彼の背中に、靖子はいいようのない威圧感を覚えた。

p.255 
だが次の瞬間、物理学者の顔つきが変わった。彼は突然椅子から立ち上がると、頭に手をやり、窓際まで歩いた。そして空を見上げるように上を向いた。

p.322 
湯川の話に、靖子は混乱し始めていた。何のことをいっているのか、まるで理解できなかったからだ。そのくせ、何かとてつもない衝撃の予感があった。


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ベストセラーの映画化がなされると、必ず両者の比較による論評がなされる。そして、映画は原作に忠実でない、あるいは原作の良さを表現し切れていないといった感想も出ることになる。しかしながら、文字をそのまま映像にすることは不可能である。原作には原作の良さがあり、映画には別の作品としての独立した良さがある。映画の大画面と大音響による迫力は、印刷された本の文字によっては出すことができない。これは、映画の素晴らしい部分である。これに対して、人間が自ら文章を読み、意味を把握することによってもたらされる独特の興奮は、映画によっては生じることがない。本の文字の行間を読む力量、その場面の映像を思い浮かべる力量の集積が、その人間自身に独特な余韻をもたらすことになる。これが能動と受動の差である。

「それは、絶対に完璧だと信じていた数式が、予期せぬ未知数によって徐々に乱れていく時の感覚に似ていた」。このような何とも言えない不気味なフレーズは、読者に独特の高揚感をもたらす。それでは、映画ではこの部分をどのように映像化すればよいのか。まず、画面に数式や未知数を出して説明しても、小難しいだけで原作の緊張感は伝わらない。また、そのような感覚を持っているはずの主人公の顔をアップにしても、主人公の内心の数式や未知数の動きは全く伝わらない。そうかと言って、原作のとおりにナレーションを入れるわけにも行かない。結局この部分は、どんなに優れた監督でも映画で表現することはできない。それは、人間の内面は絶対に映像化できないということでもあり、文章によってその内面の入口まで誘導するよりほかないということでもある。

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2 コメント

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こんにちは (ゆく)
2008-11-17 17:54:52
ある週刊誌に東野圭吾さんの記事が掲載されていました。東野さんは、映画やドラマの脚本が原作と違っていてもお任せするらしいです。作家の中ではすごく寛大らしいですね。本は読者のものだからというのが私の考えだからだとも書いてありました。そのあたりの読みが流石ですね。どちらで感動してもそれは人それぞれ微妙に違っていて、読者や観た人のものでしかないのかもしれません。
本は行間を読み、映像は俳優の表情や声の調子や間を読む・・共通しているのは、読む人間の感性がなければ何も生まれないということでしょうか。
時々、はっとするような表情で何かを伝えられる俳優さんもおられますが、個人的には、本で行間を読む方が好きです。私もやはりこちらのほうが内面に深く届いてくるように思います。
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そうですね。 (某Y.ike)
2008-11-17 20:45:56
週刊誌の話は初めて知りました。さすがは東野さんだと思います。読者の心を支配しようとするようでは、登場人物の心も操れないということでしょうか(その登場人物は東野さん自身の創造なのですが)。

この物語は、私の個人的な感想としては、やはり原作のほうが内面に深く届いてきました。それでも、堤真一さんの怪演(?)はすごかったです。最後の場面は、文字には出せない映像と音響の力に圧倒されました。
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