犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

映画 『クライマーズ・ハイ』

2008-08-12 22:33:06 | その他
● 原作 横山秀夫著 『クライマーズ・ハイ』(文春文庫) p.102~

【御巣鷹山にて=佐山記者】
 若い自衛官は仁王立ちしていた。
 両手でしっかりと、小さな女の子を抱きかかえていた。赤い、トンボの髪飾り。青い、水玉のワンピース。小麦色の、細い右手が、だらりと垂れ下がっていた。
 自衛官は天を仰いだ。
 空はあんなに青いというのに。
 雲はぽっかり浮かんでいるというのに。
 鳥はさえずり、風は悠々と尾根を渡っていくというのに。
 自衛官は地獄に目を落とした。
 そのどこかにあるはずの、女の子の左手を探してあげねばならなかった――。


● 乗客の1人、河口博次さんの遺書

 マリコ 津慶 知代子 どうか仲良くがんばってママを助けて下さい
 パパは本当に残念だ きっとたすかるまい
 原因はわからない いま五分たった 降下しだした どこへどうなるのか
 津慶 しっかりたのんだぞ
 もう飛行機には乗りたくない どうか神様たすけて下さい
 きのうみんなと食事したのは 最后とは
 何か機内で 爆発したような形で 煙が出て 
 ママ こんなことになるとは 残念だ
 さようなら 子供達の事よろしくたのむ
 今六時半だ 飛行機はまわりながら 急速に降下中だ 
 本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している


● 原作 p.406~

「人の命って、大きい命と小さい命があるんですね」
 悠木は息を呑んだ。
 頭は空転していた。それでも彩子の言葉は痛みを伴って胸に染み渡った。
 彩子は続けた。
「重い命と、軽い命。大切な命と、そうでない命……。日航機の事故で亡くなった方たち、マスコミの人たちの間では、すごく大切な命だったんですよね」「父は全然悪くなかったんです。横断歩道を渡っていて、なのに、飛ばしてきたオートバイに轢かれてしまって」「新聞だって忘れちゃったんですよね。父、偉くもなんともなかったし、世の中からいなくなってもどうってことないし。小さくて、軽くて、大切じゃない命だったから……」
 二十歳――悠木の半分しか生きていない娘がメディアの本質を見抜いていた。
 命の重さ。
 どの命も等価だと口先で言いつつ、メディアが人を選別し、等級化し、命の重い軽いを決めつけ、その価値観を世の中に押しつけてきた。


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今日で日航機事故から23年になる。その間、情報化社会は比較にならないほど進化してきた。マスコミへの批判も多いが、人間社会が言語によって形成されることを忘れれば、その批判はまず的を外す。仮にマスコミが何も報道しなければ、憶測や口コミ、流言飛語が飛び交い、事実には面白いように尾ひれが付き、風評被害やパニックが続出することになる。すなわち、一方的にマスコミを責めて済む話でもない。「マスコミは世論を悪いほうに誘導しているのではないか」との主張は、「マスコミは世論を良い方向に盛り上げるべきである」との主張と対になっている。

横山秀夫の原作は非常に心理描写が細かく、しかも行間に多くの余韻を漂わせている。映像はその迫力をもって、文字だけでは伝え切れない多くのことを伝える。しかしながら、映像でも人間の内心は写せない。小説が映像化された場合、それが成功しているのか否か、そのたびに様々な批評がなされる。堤真一と堺雅人の鬼気迫る表情、台詞のない沈黙の時間は、原作の行間に込められた人間の内心を示す。しかし、その劇中の人物を「悠木和雄」と「佐山達哉」として見るのではなく、「堤真一が演じる悠木和雄」と「堺雅人が演じる佐山達哉」として見てしまえば、直覚的な批評はあっという間に逃げてゆく。無私であるがゆえに対象と同一化し、それによって対象が秘密を明かす。映画を批評することは非常に難しい。

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