犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

「死に神」表現のその後

2008-08-13 22:55:22 | 時間・生死・人生
月刊誌『創』の9・10月号で、森達也氏が、オウム真理教の新実智光被告の手紙を紹介しつつ死刑廃止論を述べている。森氏はその中で、鳩山前法相を「死に神」と表現した朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」に関して、新聞社に抗議を行った「全国犯罪被害者の会」と「地下鉄サリン事件被害者の会」を非難している。その上で、森氏は次のように述べている。「もちろん被害者遺族の辛さを、僕らはできる限りは想像しなければならない。その苦しみや怒りを少しでも和らげるために、この社会はさまざまな方策を考えねばならない。でもそれと加害者への報復や憎悪を全面肯定することは、ぜったいに別の位相のはずだ」。ここには、今回の「死に神」表現に関する問題の根深さが見事に表れている。問題の中身が対立しているのではなく、何をどのように問題するのかという形式が全くかみ合っていないからである。

「被害者遺族を保護して救済すべきである。しかし、加害者への報復や憎悪を全面肯定することは別の位相である」。このように言われると、直感的に「何かが違う」と感じる。何がどう違うかという話ではなく、言語の文法が違う、何かがかみ合っていないという違い方である。人間は自分の人生を生きることしかできず、他人の人生を生きることはできない。従って、この世のすべてのことは、実際に経験した者にしかわからない。最愛の人を突然亡くすという経験は、この最たるものである。人間は一度しか生まれられず、一度しか死ねない以上、生死に関する経験は、他者の想像をその論理の形式において厳格に拒む。苦しみを想像してくれるのはありがたいが、違うものは違う。励まされても違うし、慰められても違う。善意であるだけに苦しいが、どうにもピントが外れている。そうであるならば、一致しているのは、「違う」という点だけである。すなわち、「違う」という点のみが「同じ」である。

物事は経験した者にしかわからない。この当然のことがわかることによって、物事は初めてわかる。わからないことがわかり、わからないことによってわかる。他者の苦しみの想像はできるが、実際にはわからない。親を殺された人は子供を殺された人の経験がわからず、子供を殺された人は親を殺された人の経験がわからない。同じ犯罪被害者遺族として括られたところで、その中では相互にお互いの辛さがわからない。ましてや、被害者遺族でない者にとっては、被害者遺族の気持ちなどますますわからない。気持ちがわからないという以前に、最愛の人を突然殺されるとはどのようなことなのか、その事実がわからない。人生の一回性、生死の一回性という人間の存在形式を経てみれば、これも当然のことである。森氏の主張に対する言いようのない違和感は、ここに端を発している。

考えることと生きることは同じであり、すべてが人生である。多くの場合、他者の苦しみは想像するより実際にはもっと辛いものであるが、そのことすら知りようがない。それどころか、現実の現実たる不可解さは、自らの以前の想像をもはるかに超える。これは完全な主観であり、近代の物理的・客観的世界のパラダイムではない。しかしながら、客観性の側から物事を見ると、なぜかすべての議論は逆立ちし、そこに強烈な違和感が生じてしまう。人間は誰しも一度しか生まれることができず、一度しか死ぬことができない。その中核の問題である殺人や死刑について論じているのに、「加害者への報復や憎悪を全面肯定することは別の位相である」と言い切ることが果たして可能なのか。そこには、主観を突き詰めた結果としての客観、すなわち間主観を通じた客観性、反転の過程がない。死刑を考えることは、その中に死を考えることを含む。この世の制度としての刑罰を論じるとしても、大前提として間主観の反転を経ておかなければ、議論はかみ合わずに迷走する。

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3 コメント

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死刑正当論の紹介 (竹本護)
2008-09-07 19:27:20
『死刑正当論」を紹介します。
以下のURLを見てください。

http://www1.odn.ne.jp/shikei-ron
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Unknown (DH)
2008-10-31 20:08:11
こんばんは。
拙ブログへのコメントありがとうございました。

廃止を求めること自体は自由なのですが、アムネスティに典型的に見られるように、「死刑=絶対悪=国家権力による犯罪」「死刑囚=合法的殺人の犠牲者」という論理を問答無用的に振りかざすやり方はむしろ一般市民を廃止論から遠ざける結果になってしまっているように思います。
もう少し普通の人々の共感が得られるようなやり方をすればいいのになあ、などと思ったりします。まあ存置派がこんなことを言うのは彼らにとっては、余計なお世話かも知れませんが(笑)
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DH様 (某Y.ike)
2008-11-01 00:30:04
こちらこそ、コメントをありがとうございました。

死刑存廃論は、「生死」と「善悪」がストレートに問われており、極めて哲学的な問題ですね。そして、哲学とは、誰が何と言おうと「本当はどうなんだろう」と自分の頭で懸命に考えて、自分なりに納得できる結論を獲得しようとする動きのことですから、死刑存廃論の答えは永久に出ません(笑)。

ですので、アムネスティの「死刑=絶対悪=国家権力による犯罪」は逆効果を生むのだと思います。「これが答えだ」と押し付けられれば、意味もなく反発したくなるのが人間というものだからです。
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