犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

神谷美恵子著 『神谷美恵子日記』

2009-03-20 19:04:34 | 読書感想文
● 神谷美恵子著『生きがいについて』に対する坪内祐三氏の解説より

私は『生きがいについて』というタイトルの本に安易に手を出してしまいがちな、そういうヤワな読者が嫌いだ。本当に真剣な人は、「生きがい」とは何か、まさにギリギリまで考え抜き、そのギリギリの極で思考されたものを、ようやく筆にし、それを『生きがいについて』と題して作品化することはあるかもしれないが、『生きがいについて』という本を自ら読もうとしないだろう。例えば、『神谷美恵子日記』を読めば、そのことがよくわかる。そこで神谷美恵子に振り落とされてしまう人もいるだろう。むしろ、そういう人のほうが多いかもしれない。

『生きがいについて』を手に取る読者の多くは、たぶん、自分探しをしている人たちだろう。だが、そういうあなたたちは、どこまで本当の自分探しをしているのだろうか(ここで私が述べる、本当の自分探し、とは、もちろん、“本当の自分”探し、ではなく、“本当の”自分探し、である)。単なる“自己中”によって、すなわち実は他者の眼を意識しながら自分の「生きがい」を探し求めようとしているのではないか。神谷美恵子の述べる「生きがい」とは、他者との関係性から生まれてくるものではなく、もっと根源的、まさにラディカルなものなのだ。


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● 神谷美恵子 昭和34年11月10日の日記より

朝女学院へ行くとき一人山道をえらび、しいんと静まりかえった木立をすかして青い空に映える紅葉黄葉を仰ぎながら人間の生甲斐や意味感について考えた。ただ動物の様に生きることではまん足できず、己が存在の意味を感じないでは生きていられない人間の精神構造を思う。宗教の大きな存在理由はそこにあるのであって、フロイドがきめこむ様に、単なる恐怖の産物としてしまうわけには行かない。「イミ感について」という書きものをまとめてみたい。パトロギッシュ〔病的〕な場合もふくめて。


● 昭和34年12月2日の日記より

お使いの途中、いちょうのまばゆいばかりの王者のごとき姿を仰いであの樹一本をゴッホの様に描き出せたら、もうそれで死んでもいいのだな、と思った。生きているイミというのは要するに一人の人間の精神が感じとるものの中にのみあるのではないか。ああ、私の心はこの長い年月に感じとったもので一杯で苦しいばかりだ。それを学問と芸術の形ですっかり注ぎ出してしまうまでは死ぬわけには行かない。ほんとの仕事はすべてこれからだというふるい立つ気持でじっとしていられない様だ。


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人間はいつの時代も、物質的な豊かさ、経済的な利益を追求するのみでは、その生きがいが満たされることはない。現在でも書店の店頭には、夢を実現し、人生の勝者になるための膨大な数のビジネス本、自分探しの本、成功哲学の本が並び、短期間ですぐに入れ替わっている。神谷氏は、現代の成功哲学風に言えば、「本を書くという長年の夢を実現し、その著書が広く評判を呼んだ人物」である。しかしながら、このような捉え方は、神谷氏が捉えていたものとは対極にある。

神谷氏にとっての生きがいは、『生きがいについて』という本を書き上げるという形で表れたが、これは神谷氏に限っての逆説ではなく、生きているすべての人にとって同じことである。生きがいとは、このような形でしか表れない逆説的な構造を持っている。従って、『生きがいについて』という本は、独特の読み方を要求される。坪内氏が述べるところの「神谷美恵子に振り落とされてしまう」というのは、恐らくはそういう意味である。それゆえに、現代の経済不況の脱出のヒントとして、神谷氏の著作が見直されることはない。

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4 コメント

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Unknown (豆象屋)
2009-03-23 06:23:28
不思議なことに、最近私も”生きがいについて”の新装版が通常価格の半額でBOOK OFFにて購入できたので、購入、この坪内氏の解説で、"果たして自分はどちらであるのか、この本を買ってしまったが”と引っかかっていたのでした。そのことを思い出させて頂きました。

日記の方は未読でしたので、こうして本人の日々の考え方を知ることでなにかつかめるような気がしました。
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Unknown (某Y.ike)
2009-03-23 22:56:46
こんばんは。哲学をすることが生きていることそのものであるならば、他人の思想から答えを得ようとすることは、やはり入口が反対になってしまいますね。

神谷美恵子日記はおすすめです。神谷さんの身になれるとか、気持ちがわかるというのではなく、神谷さんの人生をそのまま生きているような気になります。
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おじゃまします。 (ゆく)
2009-03-27 09:48:21
神谷さんは、知識を出来るだけ捨てよ、自分の頭で考えよと言われていますね。
解ったつもりの知識は、本当の自分を知らず知らずのうちにぬりつぶしてしまうのかもしれないですね。
自分の人生は後にも先にもひとつしかなく、誰かの教えにそのまま当てはめることは難しく・・・答えを出すことも、完うすることも、(「自分」といえども)解ることもできないように思えます。
それらが出来る(出来たと思える)ことは、私にとってはですが、安易な諦めのようにも思えます。
気が遠くなる中、神谷さんの考え抜かれた言葉に心動かされたり、思いとどまることが多いです。
自分の人生(絶望)に当てはめて、違う形(解釈)になることもありますが、それは神谷さんは百も承知であり、読者に望むところかもしれないですね。
「自分の頭で考えてみよ」と、厳しく優しく言われているように思います。
「生きがいについて」は、今でも繰り返し読みます。読み終えることのない本です。
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こんばんは。 (某Y.ike)
2009-03-28 00:25:06
今の日本でも、「自分の頭で考えよ」という自己啓発の広告は多いですが、実際のところは神谷さんのそれとは正反対ですね。
「自分の頭で考えてみよ」というのは、おっしゃるとおり、もっと厳しいものであり、かつ優しいものだと思います。
効率や損得に価値が置かれるならば、マニュアル的な思考が主流になり、自分の頭で考えているはずが、実は誰かの教えの受け売りだったという笑えないことになりますね。
自分の人生に当てはめて違う形になるということが、「自分の頭で考えること」そのものではないかと思います。
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