犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

映画 『はやぶさ 遥かなる帰還』

2012-03-25 00:03:44 | その他

 人間は「希望」「夢」という言葉に弱いものですが、宇宙旅行が見知らぬ世界への憧れであるというのは、多分に作られた固定観念であると思います。全人生を賭けて宇宙の謎を知りたいと問う者は、自分の寿命が尽きる前に何とか科学技術が追い付いてくれなければ死ぬに死ねないわけで、小惑星探査機はやぶさが小惑星表面の岩石質微粒子を採集できたか否かは、自分の人生の意義を決する問題であったものと思います。その切羽詰まった心境は、希望や夢とは無縁であったものと想像します。

 哲学的に宇宙を問うならば、「ビッグバンの前は何があったのか」、「宇宙の果ての外側はどうなっているのか」との問いによって科学の問いを凌駕できますし、「そもそも何故こんなところに(別に無いなら無いで済んでいたのに)宇宙などという空間があるのか」という身も蓋もない問いも問えるものと思います。いずれにしても、宇宙に希望や夢を求め、同時に地球上の表面に貼り付いて現実の世界で生活するという芸当の欺瞞性には敏感であるはずです。

 映画のモチーフが、はやぶさを開発した科学者・技術者たちの誇りというところであれば、人間の内的宇宙の精緻な描写は、一般的に考えられている科学よりも科学的なものになるはずだと思います。この無限の宇宙空間の中の豆粒よりも小さい星の上で生きているはずの人間の頭の中に、宇宙がすっぽりと入るからです。「絶対にあきらめない」、「日本の技術力・人間力が世界を変える」との宣伝文句は、作られた固定観念をさらに増幅する作用しか持たないとの印象を受けます。

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