犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

岸本葉子著 『自問自答』

2009-01-09 01:36:15 | 読書感想文
p.117~

カードを握り、機器の前に立ちました。が、画面の案内に従い、進めようとすると、何種類もの番号が要るのである。パスワード。暗証番号。「パスワードってどれのこと?」 「これの他に、別の暗証番号を設定したっけ?」 どこかに控えていなかったかと、財布の中やメモ帳を、せわしく探る。ようやく、合った。で、交換されるかと思いきや、「特典のお受け取りができません」の表示。「なぜーっ」 髪をかきむしりたくなる。

そもそもなんで、こんなにいくつも、番号を入力しなければならぬのか。憮然としてくる。犯罪に使おうというのではない。カードの持ち主たる、まぎれもない本人が、嘘偽りなく申請し、特典として付与された権利を、正当に行使しようとしているだけなのに。これもパソコンに慣れないゆえでしょうね。認証ということが、いまひとつピンと来ない。「まぎれもない本人」かどうかを、パソコンが確かめるための、入力だろうけど、こちらははじめから、逃げも隠れもせず、画面の前にいるから、「そんなまだるっこいことをしなくても、見ればわかるだろう」と、もどかしい(見えないって)。

こんな複雑な手続きを、みなさん、迷わずにできるのか。何種類もの番号を記憶し、どれが何で、どんなときに要るか、すべてわかっているのだろうか。自分以外の人が、ITの天才に思えてしまう。「情報機器の発達についていけない人がキレやすくなるとの説は、あながち外れではないかも」と思い直すのでした。


***************************************************

「現代社会では、企業において情報セキュリティ管理システムの構築・運用に関する取り組みが必須であるにとどまらず、国民一人一人が情報セキュリティの重要性について理解すべきである。そして、情報セキュリティ確保のためには、セキュリティポリシーの策定及び運用の方法が最も重要なポイントであり、国民がセキュリティ意識向上に無関心であることは許されない」。このような言い回しは良く聞かれるが、人間はセキュリティ(安全・保安)と言われるたびに何故か不安になり、独特の空気を察知する。

「現代社会では、もはや従来の感覚でいることは許されない」という問答無用の理論も、独特の息苦しさを伴っている。これは、一体誰が許したり許さなかったりしているのか、その主語を考えてみればわかる。許さないという状況をもたらしている主語は、非人称の社会や構造などではなく、犯罪をたくらむ人である。これは、端から犯罪など考えていない人にとっては、単に余計なことに付き合わされている状況である。これを見抜いてしまうと余りに虚しいため、「現代社会では、・・・・・は許されない」といった大文字の正義が必要になってくる。