犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

映画 『最高の人生の見つけ方』

2008-06-01 18:57:37 | その他
原題は、「The Bucket List(棺おけリスト)」である。棺おけリストとは、これまでの人生でやり残したことを箇条書きにし、それを死ぬまでに実行しようというものである。余命6ヶ月の末期ガンと判明した主人公の2人が、これをいかに実現してゆくのか。棺おけリストは、まさにこの映画の主題である。日本では、さすがに「棺おけリスト」では抵抗が多いと考えられたのか、邦題は「最高の人生の見つけ方」とされた。それでは、最高の人生を見つける方法は何か。この映画によれば、答えは「余命6ヶ月の末期ガンと宣告されること」である。これは結構怖い。「棺おけリスト」よりも、実は「最高の人生の見つけ方」のほうが怖い。

ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの演技が素晴らしい。人間は自らの「死」を現実のものとして考えたときに、初めて自分の今の「生」を実感する。この大切で重いテーマを、暗くならずにユーモアを込めて伝えている。この辺りで止めておけばいいものを、ランキングの好きな現代人は、100点満点や星1つ~星5つで採点したがる。このような論評をすれば、自分が偉くなったような気分にはなれるが、この映画のテーマは逃げてゆく。ニコルソンとフリーマンの演技が素晴らしいのは、「死」を見事に演じ切っているからである。しかし、2人は実際には生きているではないか。その通りである。死んだのは、劇中のエドワードとカーターである。しかし、その2人はそもそも架空の人物であり、死ぬ以前に生まれていないのでないか。その通りである。それでは、死んだのは一体誰なのか。

民主主義は、人間が生きることはそれだけで素晴らしいと教えてきた。すなわち、個性の尊重、自己実現、自己啓発、幸福追求である。また、経済至上主義は、人間はお金があれば幸せになれると教えてきた。しかしながら、これらの思想だけでは、避けられない死が目の前に迫ってきたときにどうしようもなくなる。民主主義であろうとなかろうと、人生の時間は有限だからである。人間は自らの死を意識しない間は、お金で欲望や夢を買うことができる。しかし、命だけはお金で買えない。わずか6ヶ月の余命の中で、人間は何を求めるのか。金銭欲、物欲、食欲、性欲、名誉欲、自己顕示欲。これまでの信じてきた価値が次々と崩れてゆく。宗教家は、天国に行くためにはお布施が必要だという。法律家は、遺言書の書き方と相続税対策しか教えてくれない。やはり最後に信じられるのは、やがて死ぬべき自分自身しかいない。

地球上では毎日、大量の赤ちゃんが生まれ、入れ替わりに多くの人が死んでゆく。四川大地震の死者は5万人を超えた。エドワードとカーターは、遺された6ヶ月の余命の中で、格好悪く足掻くだけ足掻いて、棺おけリストをすべて実行した。地球の側から見れば、最後にやり残したことがあろうとなかろうと、何も変わらない。2人の遺灰はコーヒーの空き缶に納められてエベレストに埋葬されたが、その日も次の日も、同じように地球は回る。人生でやり残したことがあろうとなかろうと、地球は何事もなく回り続ける。それでは、棺おけリストをすべて実現したことに、一体何の意味があったのか。その答えは、ここに人生が存在することの謎は、生きている限りいかなる方法によっても理解することができないという事実の中にある。地球が回っていることが奇跡であるならば、我々が生まれて死ぬこともまた奇跡である。