犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

養老孟司著 『バカの壁』

2007-06-30 12:16:02 | 読書感想文
言わずと知れた400万部を超えるベストセラーである。現代社会においては価値観が多様化し、知識はますます細分化され、専門化されている。その結果として、共通理解の土台がどんどん小さくなり、現代では人と人とがわかり合うことが難しい。この原因を「バカの壁」であると指摘するのがこの本である。

現代社会における価値観の多様化、知識の専門化という点から、逆に国民の権利意識の向上、裁判の重要性という結論を導くのが法律学である。これは、バカの壁そのものである。養老氏からすれば、法律も裁判もバカの壁であり、真面目に法治国家を運営している法律家は笑い飛ばされる存在でしかない。

専門用語で細分化された現代法治国家においては、加害者の弁解は、どんな下らないことでも大真面目に聞かなければならない。逆に、被害者の苦しみの吐露は、どんなに哲学的な洞察が含まれていても、法律的には全く聞く必要がない。この法律の壁、司法の壁が、バカの壁である。

法治国家においては、裁判所書記官によって作成された公判調書は厳格な公文書であり、法廷で行われた内容は調書によってのみ証明されるという強い効力が認められている。例えば、加害者が法廷で「四次元ポケットでドラえもんが何とかしてくれると思った」と述べたならば、書記官はそれを一言一句誤りなく文字にして調書にし、法廷の場所と日付を書いて記名押印しなければならない。これが憲法の保障する厳格な刑事裁判の帰結であり、法律家の職責の重さということである。

法治国家における公判調書は何よりも厳格な公文書であるから、誤字脱字があれば大変である。もし書記官が間違って「ドラえもん」を「ドラエモン」と書いてしまったら、印鑑を押して訂正しなければならず、「削除3字、加入3字」と付記しなければならない。これが法律家の職責の重さである。このように一言一句を大切にすることによって冤罪を防ぎ、裁判は国民の信頼を得ることができるという建前だからである。

このように書記官の調書には強い証明力が認められるため、調書異議という制度が定められている。もしも書記官による訂正の前に、人権派弁護士によって誤字脱字が発見され、「ドラエモン」なるものは存在しないと攻撃された場合には大変である。裁判所は、「公判調書第○ページ第○行目における『ドラエモン』との表記は、『ドラえもん』の誤記であることが明白であるから、これを『ドラえもん』に訂正するものとする」という決定書を作り、この謄本を当事者全員に郵便で特別送達しなければならない。これも法治国家を担う法律家の重要な職責である。

このようなことばかりやって朝から晩まで忙しく走り回っている法律家が、犯罪被害者の問題の本質に深く切り込めるわけがない。法律家のバカの壁は厚い。冗談のような刑事裁判の儀式が笑えないというのでは、現代社会はかなりバカバカしい。怒っても仕方がないことは、笑い飛ばすしかない。