犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ルサンチマンの融合

2007-06-25 17:31:44 | 実存・心理・宗教
ニーチェの実存主義のキーワードが「力への意志」である。これは、生命体が持っている根本衝動である。これを超越論的な「人権」や「人間の尊厳」のレベルで捉えてしまっては台無しである。「人権」や「人間の尊厳」といったきれいごと、美辞麗句の欺瞞性を暴くのが「力への意志」である。

ルサンチマンも力への意志の消極的な表れ方である。一方でルサンチマンが大きければ、それは「反動的な力」となる。被告人が国家権力に対して自己中心的に防御を尽くす心情がこれに該当する。他方でルサンチマンが小さければ、それは「肯定的な力」となる。弁護士が被告人の防御を援助する心情がこれに該当する。ここに、社会の異端者に追いやられた被告人のルサンチマンと、国家の最難関の司法試験に合格したエリートである弁護士のルサンチマンとが奇妙に融合する。

被告人にとっての防御活動は、ただ単に自分の身柄が自由になりたいという意志に基づいている。拘禁状態から解放されて外に出たいという単純な欲望である。これが「反動的な力への意志」である。これに対して弁護士の防御活動は、自由・正義・公平・公正・愛など、崇高な倫理を実現する一環としてなされる。これが「肯定的な力への意志」である。こうして、最下位のルサンチマンと最上位のルサンチマンが奇妙にシンクロする。

弁護士が被告人のために弁護を尽くすことによって、絶対的な理念の渇望という「肯定的な力への意志」が発現される。これは被告人個人を超えて、人類共通の人権という文脈を有する。そして、被告人自身もこの文脈に乗ることによって、自分自身の犯罪を他人事にすることができる。これは、弁護士にとっても被告人にとっても、潜在的なニヒリズムの進行である。

被疑者国選弁護制度の採用については、冤罪を防ぐとともに、事態の真相究明にも寄与する効果があり、被害者のためにも有用であると言われる。しかし、その反面として、このようなルサンチマンの奇妙に融合によって、被疑者が自分の罪を向き合う貴重な時間が奪われるマイナス面も見過ごせない。社会の異端者に追いやられた被告人のルサンチマンが、被害者に対する攻撃に転化することは必然的である。