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追放された巨星の父 「武田信虎」 <中編>

2006年08月16日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は戦国最強軍団と恐れられた武田軍の頭目、武田晴信こと信玄の父、「武田信虎」です。

晴信くんと違ってゲームとかでもほぼ絶対に登場しない、万が一登場してもどうせ悪役になってしまうだろう、気の毒な信虎さまについてのつづきー。
うふふ…。

群雄割拠の甲斐国を統一した武田信虎。
地盤を固めた彼は早速外への侵攻を開始します。
この信虎さま、イメージそのまま武威のみに頼るかと思いきや、意外にも外交政策を駆使して敵を絞り込むなど、なかなかの戦略をしております。
本来であれば、この有能な当主のもとで順調に拡大発展して行くところなんですが、彼には致命的な欠点があったと伝えられています。

粗暴で傲慢、極悪非道。

合戦では豪快な猛将振りで周辺に恐れられていた信虎ですが、それは平時でも変わらずおっかながられていたようなのです。
よく伝えられる話では、妊婦の腹を引き裂いたとか、苛烈な処刑を行ったとか、逆らった家臣を手打ちにしたとか…などなど様々です。
さらに、たいそうな戦好きで内政を顧みず、国を大いに疲弊させた、というのですよ。

…これらの話が全て真実であるならば、なるほど追放されても仕方ない凶悪な人間だった、となるでしょう。
ただ、一つ気をつけなければいけない事は、後の人々がその息子「武田晴信」を英雄とするため、彼によって追放された実父・信虎は歴史的に”極悪人でなければならない”ということなのです。

まず確実なことは、信虎はある時(※天文十年(1541)です)突然に追放され、その後実利を得たのは息子晴信であるということ。
また、これは晴信一人の力でできることでなく、家臣団が一致団結してそれを助けたことなのです。
(※あるいは家臣団が率先してそう仕向けた)


まず、信虎は甲斐を武力によって短期間で従えたため、多少強引な手段を用いていたであろうことが想像できます。
また、当人が勇猛果敢であったのは事実のようなので、普段でも粗暴な感じだったと思われます。
大将というより、先陣をきって戦う猛将タイプだったのではないでしょうか?
晴信はそんな父の行状を目の当たりにしていたためか、逆に知将タイプで人使いにも長けていました。
家臣の話もよく聞いていたようです。

この点で、「人は城…」の文句で知られる晴信とは違って、部下に心服されるというより、恐怖をもって支配していた人であろうと思われます。
まぁ、状況としても余裕はなかったでしょうし。

戦に明け暮れて内政にはノータッチであった、といわれる点もやや疑わしいと思われます。
先に述べたように、外交感覚には意外と優れたところがありますから、余計な戦闘を回避しようとしていた面が見られます。それでも、あちこちに敵がいる状況下では国力的と見合わないところもあったのでしょう。
さらに、晴信の際立って良かった政治と比較されてしまったため、悪いと批評されてしまったに過ぎないのではないでしょうか?

⇒つづく

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