先日、街を歩いているときに面白い光景を目撃しました。
僕の前を一人の中年男性が歩いていたのですが、彼は肩をがっくりと落とし、足を引きずるようにし「ああ俺は何もかもくたびれた...」といった感じでした。眺めているのはアスファルトのみ。時折力なく唾をぺっぺしながら、殺人的に混んでいるエスカレーターに向かっていたのです。

彼は突然、立ち止まりました。そこは駅構内に向かうエスカレーターの前。僕は彼にぶつかりそうになり、ついでに後ろから誰かに意地悪く押され、思わず彼の後ろ姿を睨みました(意味ないけど)。
彼は盲目の女性をエスコートし始めたのです。そこは一寸でも先に乗り込もうとする人で混雑しており、彼女は乗ることが出来ずにいたのですね。彼は慣れた様子で自分の腕を取らせ、一緒に乗り込みました。
僕はそのとき、心を閉じた状態だったので、盲人にはまったく気付かなかった。その中年男性に一本取られた思いでした。しかも彼はエスコート中も、終わってからも、相変わらず「もう何もかもうんざり」という様子なのです。人助けをしたあとの、あの晴れ晴れとした気分を味わっているようには見えないのです。
僕はすっかり混乱してしまい、そのまま埠頭まで歩いていきました。レインボーブリッヂのループの直下、東京湾の真ん中です。船着き場に降りてみると、水面は日の光を浴びて、思いがけず透明度がありました。ボラかなにかの稚魚が群れているのもはっきりと見えるほどです。

しゃがみこんで水中を眺めていると、不意にギリシアの海が想い出されました。あそこでは海水に色というものがまるでなくて、海底の砂や岩が間近に見えるのです。そしてその上を泳いでいる魚たちは、まるで宙を飛んでいるようでした。
きっとこうして、世界中の人々が異国に想いを馳せているのだろうなあと思いました。異国の楽しさは異邦人の楽しさです。そして日常は、自国のルーティンに溺れて心を開いたり閉じたりしている。
そうやって人々の営みは続いていくのでしょうね。
おわり
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