くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

心、開いて その2

2005-04-15 16:45:38 | エッセイ

 それでは、国内での旅行はどうなのか。一寸イメージしてみましょう。

 金曜日の仕事帰り。いつもと同じく疲れ切ってはいるけど、がっくりと肩が落ちてはいない。何故なら、これから旅行に向かうからです。
 都合上、車の旅にしましょう。友人を拾ってから高速道路へ乗り入れる。郊外へ向かう車で混み始めているけど、小一時間も走ったらもう隣の県。インターを降りてから向かったのは山上湖です。友人が馴染みの、こぢんまりとした旅館があるのです。

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 翌日はノープラン。西に向かって街道が延びているので、そこを走っていくことにしましょう。高原を渡る快適なドライブです。途中牧場があり、自家製ソフトクリームが売っています。売店のおじさんは人なつこくて素朴。可愛い仔牛を見ていけ、と土地の言葉で勧めてくれます。
 そこから先、道は狭く荒れています。折しも雨が降ってくる。崖のコンクリートがねずみ色に濡れている。「だから日本は貧乏くさいんだよな」なんて文句も出ます。
 県境を越えてようやく晴れてくる。ひなびた温泉街が現れました。足湯に浸かっていると、地元のおばさんが話し掛けてきます。旅の話しをしていたつもりが、なぜか人生の苦労話しになったりする。おばさんは、上京してしまった一人息子の心配をしている。自分は何となく親のことを話したりする。普段は決して言わないが、育ててくれたことに感謝しているとか、そんなことです。
 やがて空はきれいな夕焼け。おばさんは良心的な宿を紹介してくれました。明日は日曜日です。

 国内の旅行でも、やはり開放感もあれば感動もあります。違う言葉を話す人々のあいだにいれば、自分は異邦人です。通りすがりの者だけが味わえる責任のない楽しさ。旅人の心は気紛れです。出会った人が良かったら、その土地は素晴らしい土地だと思ってしまう。

 ところで、イギリス人作家のディック・フランシスは冒険小説のなかでこんなことを書いています。

~自分がいつもの自分から解放されたように感じるのは、みんなが自国語でない言葉で話しているためであることがわかった。抑制心を植えつけるあらゆる要素から離れて、べつの空、別の文化のもと、別の時間で生きていると、自分を解放することはしごく容易である~

 どうやら、我が国がそれほどひどい国だというわけではなさそうだし、日本人だけが海外旅行で鬱憤を晴らしているわけではないようです。 

続く
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参考文献
ディック・フランシス『飛越』ハヤカワ文庫