中学校時代の冬休みに、御法度のアルバイトをやったことがある。母親のコネがあった小さな印刷会社だった。
僕のやる仕事は、何枚もの写真を切り貼りして版下を作ることだった。そこの社長が直接面倒をみてくれた。いつもオリーブグリーンのMA-1を着ている若い男で、ひどく愛想がよかった。
「君、やっぱりセンスいいよなあ。さすがクロちゃんの息子さんだね」
仕事のペースは遅かったし、やってることも簡単極まりないことだったのだが。彼が毎日褒めてくれることを母親に報告すると、こんな答えが返ってきた。
「あいつはちょっと卑屈なところがあってね、ママに頭が上がらないの。だからおべっか使ってるのよ」
それまで“卑屈な大人”というのを知らなかったので、母親の言っている意味はあまり分からなかった。僕は毎日気分良くアルバイトに出掛けた。後半になるとロットリングを使ってイラストを描かされたりした。一人前の勤め人になったようで面白かった。

アルバイトの最終日~月曜日だったのを憶えている~いつものように会社に行くと、中には誰もいなかった。僕は一人で仕事の続きをして、それからイラスト集を眺めたりして過ごした。昼前に母親がやってきた。母親の会社はすぐ近くだったのだ。
「ここ夜逃げしたんだって」
「え?」
「お昼食べに行こうか」
母親は部屋の中をぐるっと一周し、椅子の背に掛かっていたMA-1を取り上げた。
「これ持っていく?」
「どうして?」
「これカッコいいじゃない」
「でも、あの人のだよ」
「もう取りに来ないよ、誰も。アルバイト代の足しにしたら?」
袖を通してみると確かに格好良かった。ひと通りポケットをいじったりしたあとで、僕はそれを脱いでもとの場所に戻した。
「やっぱりいらないよ」
「そう。じゃ行こう」
「うん」
雑木林編へ
幼少編へ
追:印刷会社つながりで『Alice in wonderland』“印刷会社。”~にトラックバック。
僕のやる仕事は、何枚もの写真を切り貼りして版下を作ることだった。そこの社長が直接面倒をみてくれた。いつもオリーブグリーンのMA-1を着ている若い男で、ひどく愛想がよかった。
「君、やっぱりセンスいいよなあ。さすがクロちゃんの息子さんだね」
仕事のペースは遅かったし、やってることも簡単極まりないことだったのだが。彼が毎日褒めてくれることを母親に報告すると、こんな答えが返ってきた。
「あいつはちょっと卑屈なところがあってね、ママに頭が上がらないの。だからおべっか使ってるのよ」
それまで“卑屈な大人”というのを知らなかったので、母親の言っている意味はあまり分からなかった。僕は毎日気分良くアルバイトに出掛けた。後半になるとロットリングを使ってイラストを描かされたりした。一人前の勤め人になったようで面白かった。

アルバイトの最終日~月曜日だったのを憶えている~いつものように会社に行くと、中には誰もいなかった。僕は一人で仕事の続きをして、それからイラスト集を眺めたりして過ごした。昼前に母親がやってきた。母親の会社はすぐ近くだったのだ。
「ここ夜逃げしたんだって」
「え?」
「お昼食べに行こうか」
母親は部屋の中をぐるっと一周し、椅子の背に掛かっていたMA-1を取り上げた。
「これ持っていく?」
「どうして?」
「これカッコいいじゃない」
「でも、あの人のだよ」
「もう取りに来ないよ、誰も。アルバイト代の足しにしたら?」
袖を通してみると確かに格好良かった。ひと通りポケットをいじったりしたあとで、僕はそれを脱いでもとの場所に戻した。
「やっぱりいらないよ」
「そう。じゃ行こう」
「うん」
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