Hanews-はにゅうす

ウィーン歌曲歌手、「はにうたかこ」の毎日のちょっとしたことを書いています

今夜はとうとうダヴィンチコード

2005年06月15日 22時06分45秒 | Weblog
→読んでます。もう今夜はなにもできません。すみません。


8時頃眠いなぁと思いながらも、図書館の期限がもうすぐなので読み始めたダヴィンチコード。もう止まりません。すみません。今日の日記はここまで。おやすみなさい。
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人間の記憶

2005年06月14日 17時45分03秒 | Weblog
ここ2~3日、長久手のコメダっていうお店に、私が行ったことがあったかどうか?というのがコメントで話題になっていましたが、さっぱり記憶にありません。行ったことがあるようなないような・・・
そこで今日は私の記憶がいかにあいまいか!いいかげんか!について書きたいと思います。

初対面の人には必ず「顔と名前を覚えるのが苦手なんです」と言います。向こうは私のことを特徴ある名前、特徴ある体型、特徴ある性格ですぐ覚えてしまうのですが、私は全然ダメ。あるときあまりに覚えられないので、「人間に興味ないんやろ?」と言われてすごくショックを受けたのは覚えている。そんなことないんだけど・・・

ある女優さんは高校時代の記憶がないらしい。それはカウンセリングを受けることによって実は「思い出したくない記憶」だったことが判明。もしかして私も?って思ったけど、そういうわけでもないらしい。

昨年ウィーンに行ったとき、10年ぶりくらいで会った友だちに「あの時みんなでドナウ下りしたの楽しかったね~」と言われたが「?そんなの行ったっけ?」と私。「○○ちゃんと△△ちゃんと、みんなで行ったじゃん!」「え~覚えてないよ~」友だちは、思い出せないときは友だちやめると宣言し、箱に何百枚ある写真から証拠写真を見つけだし、「これ!ほら、一緒に写ってるでしょう!」「あれ、この写真、我が家にもかるかも?」一件落着?
また「はに~ちゃん○○君のこと好きだったよね~。」と言われても、その人の顔も、名前も、同じ時代を一緒に仕事をしていたことも思い出せない。私の記憶の中に○○君は存在してないのです。友だちにいろいろエピソードを聞かせてもらって、なんとなく「そんなことあったような・・・」
つまり写真や人の話が私の記憶で、私の記憶はいつでも書き替えられるし、日々消えて行っているのです。私はおそらく合成写真を見せられて、「ここへ行きましたね?」って言われたら「はい。行きました」と答えると思います。また今でも残っている記憶は、何年かに一度人に話をして、新しく書き替えられている記憶だけなのです。

浪人したときも共通一次を受けに行って、隣に座った男性が、同級生だったので、話をしたけど、だれだったかわからなくって(卒業して1年しか立っていない)、「誰だっけ?」と聞いたら、その後、一言も口をきいてくれなかったという記憶があります。たった1年で同級生(同じクラスでした)を忘れるのもすごいけど、この話を数年に1回おもしろくおしゃべりするので覚えているだけなので、どこまで本当だったか証拠はどこにもないです。もしかしたら2日目はおしゃべりしたかもしれないけど、おもしろくしゃべっているうちに「全く口をきいてくれず」に脚色してしまい、それが私の記憶の中では本当になってしまっているかもしれません。

また携帯の中にも「これはだれ?」がたくさん。私自身が電話暗号を交換したのだけど、かけらも思い出せない人がたくさんいます。

「バカの壁」の養老先生が、他の本で、「ボケて記憶がないということはその部分すでに死んでるということ」みたいな事をかいていましたが、そんなこと言ったら人生の3分の2くらい死んでる私です。冗談でなく心配です。




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暑くなりました~

2005年06月13日 21時56分03秒 | Weblog
暑くなりましたね~。
昨日も東京のマラソン大会で20人も熱中症にかかりたいへんだったそうです。急に暑くなったので、そうなったと言っていますが、私には他人事ではありません。
私は毎年夏の入口で、必ず体調をくずします。6月~7月に急に暑くなった時、運動もしていないのに熱中症のような感じで軽く脱水症状がでる。そうです、いきなり夏バテになるのです。身体がだるくなって、へばってきて、ひどいときには(ラッキーにも)食欲が落ちる。
4年前、オペラの合唱の子どもたちと初めての練習をしたとき(6月だった)張り切りすぎて、4時間をペットボトル1本の水だけで過ごしてしまった。練習が終わったときに「あれ、やばい?」と気がつき、大量に水分を取りましたが、時すでに遅し。家まで、口もきけない状態で搬送。で、シャワーをあび、体中に水分を補給し、1時間ほど寝ると生き返る。まるでナメクジ。
そんなふうになるのに、8月になって思いっきり暑くなり、まわりが夏バテ~って言ってるときには、いたって元気。

たぶん急に温度と湿度が変わったときにこの広い皮膚面積から発散する水分を、飲み物ですべて補給できていないんでしょう。昨日のお風呂~今日の暑さとじめじめさで来ました来ました。急にだるいです。ここ1週間~2週間、今年はバテテひっくり返らないように今からしっかり皮膚呼吸対策をとりたいと思います!
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新世界デビュー?

2005年06月12日 23時25分31秒 | Weblog
→写真はじゃんじゃん横町から通天閣を見る方向で。


今日はお風呂でダヴィンチコードを読む!と宣言してたんですけど、昼すぎ、昨日楽しく飲茶を一緒に食べたFさんからメール。「スパワールド行く?」「行く行く!」ってな感じで行ってきました。
「世界の温泉スパワールド」は月によってお風呂が変わります。今月は、女性がアジアワールドらしく、イスラム・インド・檜風呂・バリ風・どろサウナ・塩サウナ・ミストサウナに露天風呂といろいろなお風呂をはしごして、途中でスモッグに着替えてビールのんで、またお風呂に入って、タオルも使い放題だし、ほんとに手ぶらで行っても大丈夫でした。気に入ったのは露天風呂。風が気持ちよく顔に吹き付け、すごくリラックスしました。夕方からはあんどん?に灯りがはいり、雰囲気でました。最近は空いているようで、のんびりできたし、以外と穴場かもしれません。他にもいろいろおもしろかったです。

それにしても誰だかわからないけど、このお風呂を設計した人はきっとすごく楽しいお仕事だったでしょうね!設計時に「ここにインドゾウを置いて下さい。3メートルくらいの大きさの」って言うとき楽しかっただろうなぁとか、イスラム諸国なんて行ったことないだろうから、「ここはイスラム風の壁にタイルでこんな模様を」と言いながら百科事典とか、世界の歴史とか見て決めたんだろうなぁとか、そんなことを考えていました。そして子どもたちは「インドのお風呂ってこんなお風呂なんだ~」って思うのでしょう。絶対違うと思うけど、それが正しいのかどうかは私にはわかりませ~ん。

お風呂の後は、はじめて!!ジャンジャン横町に行きました。もちろんお目当ては「串カツ」
最初、TVでもおなじみの人気店に並んでみたんですが、なかなか列が進みそうになかったので、その近くの「とらや」というお店に行きました。おねえさんが不思議な魅力のお店で、美味しかったですよ。串カツは一つ100円~牛肉・豚肉・しいたけ・チーズ・たまねぎ・ししとう・アスパラを食べました。もちろんこのへんの串カツ屋のオキテ「ソースの二度づけ禁止」です!

となりの群馬から来ている同年代の男性とすこししゃべったのですが、群馬には串カツ屋はないんですって!立ち飲みの酒屋もないんですって!Fさんと私、気がついたら「おおさかで~うまれた~おんなやさかい~」って歌ってました。かわいそうな群馬人よ。

長くなりますが、この新世界・通天閣界隈の昔の写真がパネルにして道に展示してありました。
戦争より前の華やかな時代。ヨーロッパのパリを見習って、エッフェル塔のような通天閣、そしてまさしくパリと同じように放射線状に道路をつくり・・・そんな時代が今から100年も前にあったということが信じられないです。写真にみる芝居小屋の外観はどこから見てもヨーロッパにある「オペラ座」です。当時の大阪人とってもハイカラだったんですね。

今日は一日、修学旅行(体験学習)にいったような気分でした!

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なつかしの青島飯店

2005年06月12日 00時15分46秒 | Weblog
今日はお友だちと3人で「香港飲茶食べ放題の会」でございました。
値段は2100円。驚くべき安さ。クーポン持ってたのでワンドリンクのお酒付き。ちょっとこわごわしながら、頼む・食べる・しゃべる・頼む・食べる・しゃべるの繰り返し。進むリズムは3拍子のワルツ?
えび蒸し餃子、カニ・フカヒレなどの蒸し餃子・酢豚・焼き豚・クラゲの和え物・ビーフンにワンタンスープ・揚げた米の団子・チンジャオロースーもちろん締めはおかゆです。デザートは胡麻団子にアイスクリーム・杏仁豆腐に白いキクラゲの甘いお菓子などなど、合計30皿を2時間で・・・しかし、品数は全部で60種類!残りの半分は次回か?

場所は日本橋の大きな交差点角。あやしいビルの3階。ホットペッパーにも毎回載ってます。
あやしいHPもあります。そして満席の繁盛ぶり。
お店の人の日本語のうまさ、店の雰囲気、匂い、そしてメニューにある写真に、実際の味(すこし落ちるかもしれませんが)チンタオそっくりでした!←わかる人にしかわからない!
お米の皮の蒸し餃子がなつかしかった~。嗚呼、ごちそうさま。








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今日の晩ご飯

2005年06月10日 23時47分12秒 | Weblog
→写真は先生のお手製ビーフシチューと、奥様お手製まめごはん。

昨日からお米のことでバタバタしてました。というのは買ったばかりの10キロのお米がまずい。どことなく薬くさい、ぬか臭い、食べてもそのにおいが口に残り食べられない。ということで米屋に連絡したら「取り替えます」と言ってもらえたので、交換してもらうことに。お米はデリケートなので、ちょっとしたことで他の物のにおいが移ってしまうらしいのです。(決して我が家のにおいではありません。)今日の夕方、新しいお米を担いで担当のおじさんがきてくれました。めでたしめでたし。

そして、今日は急に電話があり、その後、先日のオペラの演出家の先生の家へおじゃましました。
若い歌手の二人が先に朗読のレッスンを受けていたらしく、私は晩ご飯の時間におじゃますることにしました。行ってびっくり!メインのビーフシチューはなんと先生の手作り。「ルーは、まさか・・・」「いやいや小麦粉からね」で二度びっくり。「24時間ほど煮込んだかなぁ・・・」にもう一度びっくり!その他、奥様お手製の豆ごはん。先生のつくったいかなごのクギ煮、手作りの副食がたくさん出て、美味しい赤ワインと一緒に、にぎやかな食事にありつけました。横にいる二人は「肉だ~!」と大喜び。(若いときってこういう喜び方をするんです)しかし一番たくさん食べたのは私。その後は、先生とこれからやってみたいオペラの話など、いろいろ本音でお話させてただきました。それにしてもごちそうさまでした。美味しかったです!

奥様が「はに~さんが来るって最初からわかってたら、ご飯一升炊いておいたんだけどねぇ」って。すみません。
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ダヴィンチコード

2005年06月09日 23時44分23秒 | Weblog
図書館で予約していた「ダヴィンチコード」がやっと手に入った。なんでも50人待ちくらいだったような記憶がある。
この本は、牧師をしていたオーストリア人の先生が「これはおもいろいから絶対読みなさい」と言っていたので、ならば図書館で・・・と予約したのが昨年。やっとまわってきたのだ。
なんでも映画になるらしいけど、撮影の許可を教会や美術館が出さない(史実と違うから?どっちが?)らしいのです。この先どうなるのか楽しみです。
本は小分けにして読むのは苦手なので、一気に2冊読もうと思うと、この日曜日になるかな。
一番時間がとれるので、日曜日は静かに「お風呂で」ダヴィンチコード。

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2006年日本人はドイツへ!

2005年06月08日 22時12分06秒 | Weblog
日本のワールドカップの出場権獲得おめでとう!って言ってもサッカーはあんまりよくわからないので、それほど嬉しいわけでもなく・・・阪神が優勝するほうが嬉しさは100倍だったりするんですが、なにが嬉しいって、ドイツだもん!今度のワールドカップはドイツでしょう?ドイツのどこでするにしても、テレビやラジオや雑誌で、ドイツのあっちこっちを紹介してもらえると思うと嬉しかったりします。そして数えきれないくらいの日本人がドイツにいくことでしょう。

そして同じく2006年はモーツァルトの生誕250年記念でございます。これもたくさんの日本人がザルツブルグ(オーストリア)・ウィーン(オーストリア)・プラハ(チェコ)そしてそれに便乗してドイツもいくんでしょうねぇ・・・

夏、日本は人口減少ですずしくなるかも・・・?
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あまうり本番裏話

2005年06月07日 17時55分09秒 | Weblog
あまんじゃくとうりこひめの本番が終わり、ほっとしている今日この頃ですが、いろいろありましたよ~という裏話を(もちろん公表できる範囲で!)書かせていただきましょう。ってたいしたもんはないです。

休憩20分の間に、ドレスからばっさの役に着替えをせねばならず、時間との戦いだったのは、ご来場いただいたみなさんはご想像していただけると思います。つけまつげを引っぱりながら楽屋へ戻り、ネックレスとイヤリングをもぎ取り、まずはドーランでメイク。右足は自分で、左足はもう一人が、肌色や焦げ茶を「塗りたくる」が正しい言い方かと思います。そこへ入ってきたN先生。「アゴは線を入れないで!ああ、こうですよ」とできあがったと思った顔にパフとドーランを持ち直してすごいスピードでばっさの顔の手直しをしていく。その勢いはすごかったです。そこへ「ばっささんまだですか!一ベル鳴らしますよ。」の声。気持ちは焦るが、まにあわない!
できた!瞬間、楽屋からわらじを履いて、舞台のある3階へ走っていました。

ところが、舞台についてしゃがんでみて「ドーランの上に粉をふるのを忘れた!」と気がついた。身体のドーランがどんどん床に移っていく。あとで誰が拭き掃除をするのだ?べたべたする。気持ち悪い。それでも幕は開いていく・・・しかたない、あきらめよう。気持ちを入れ替えて、演技を始めました。あとで、衣装さんが、客席のドアに私が消えたところでパフを持って待っていてくれました。感謝です。

「うりこひめ」って実は歌うと言いにくいんです。ときどき「炒り粉ひめ」になってしまいました。「炒り粉ひめこよ~炒り粉ひめこよ~」って。

3月にも一度小学校公演でやったのですが、なぜかその時は、とのさんが扇子ではなく、稽古でしゃもじを持っていました。しゃもじの固いところで頭をぶたれたけらいさん、目に涙の熱演でした。

朝から道具の仕込み、昼からリハーサルなので、その日にならないと決まらないことがたくさんあります。客席はどこを歩くのか?最後のリハーサルまで客席の真ん中を歩いていたのですが、本番直前にじっささんが、「壁沿い歩きますので」。実は私は暗いとほとんど見えない。階段が一番きらい。さっきと階段の幅が違うはず・・・転びそうになるのを防ぐため、いつも以上にばっさは猫背だったと思いますよ。きっと。

演じてるときって以外と冷静です。「あらあらお客さん、さっきのコンサートに引きずられて、まだ緊張されてるのかしらん?」なんて思いながら大根洗ってました。

前の日に、うりこひめ、けらい、ばっさの三人ですき焼きパーティして先に打ち上げしてしまいました。すみません。

私の舞台前のおまじない。1本のリポビタンDと、鏡の前で「できる。歌える。歌詞は勝手に口からでてくる。かわいい。ステキ。」これを全部ドイツ語で唱える。日本語だとはずかしいから。

つけまつげをもらったので、つけてみた。「すごい!目が大きくなった。」隣に座っている何もつけていない姫を見て「負けた。・・・」

楽屋では、ハワイアンムームーでうろうろ。頭にバラをつけて踊っていたのは言うまでもない。

本番にお弁当を用意していただける時って、ほんとに楽しみ。「どんなお弁当なんだろう・・・」って。お弁当の内容が、ギャラよりその日の気分に直結します。なぜだろう?この日曜日のお弁当はおいしかったわ~。でも早弁なので3分ですけど。

そして、ここだけの話、来年春に私の生徒さんたちがこの作品に挑戦します!もしかしたら私たちの公演より笑えるかもしれません。どうぞお楽しみに!



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おまたせしました!

2005年06月06日 12時50分31秒 | Weblog
おまたせしました!サウンドオブミュージックのドレミの歌の山の話です。

そのシャーフベルクに汽車でのぼるんですが、汽車はすごい人気で、シーズンは朝一番にチケットを買わないと午後の便になってしまうくらいでした。友人と私もチケットを手に入れ、予定の時間に汽車に乗り込みました。どこの観光地も同じで、汽車の乗り込み口には写真屋のおじさんが次から次へと写真を撮っています。(帰りに買わせる気だな・・・買わないのになぁ・・・)と思いならも、笑顔でポーズを取りました。
汽車はゆっくり上へ登っていきます。途中短いトンネルのときはあわてて窓を閉めて煙が入らないようにするなど、ちょっとノスタルジアでした。(ゲホゲホしただけですけど)

頂上はたくさんの観光客で一杯ですが、のんびりしていて、まわりの湖や街が見えてとっても気持ちのいいところでした。やっぱりちょっと歌ってみたくなったりして。おそらく日本からのご婦人団体客やママサンコーラスのグループなどは、大きな声で歌っているのでしょう。

しばらく散策したあと、山から歩いて降りてみようということになりました。というのもそうやって少し歩いて降りられるように、途中にもう一つ駅があるのです。そこまでゆっくりなだらかな山肌を歩くことにしました。

汽車の時間を確かめて、いざ出発!しばらくは線路沿いに歩かねばらなず、ぽちぽちと歩いていると、なんか後ろの方から嫌な気配が・・・そうです!私たちの後ろから汽車が!
「ええっ?!☆*」^-l:」煙はく汽車にポッポーと追いかけられながら二人は走る走る。
汽車の運転手に半ばからかわれるようにして追いかけられてしまいました。

そして、次の駅まで楽に行けると思っていたのに、最終の汽車に間に合うように歩くのに必死で、山肌散策どころではありませんでした。ちゃんちゃん。





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無事に?終わりました。

2005年06月06日 00時13分59秒 | Weblog
今日はオペラ「あまんじゃくとうりこひめ」の本番でした。おかげさまでチケットは完売し、満席の客席を感じながら、私自身も楽しい時間を持つことができました。

前半のアリアは昨日お話しした「白馬亭にて」からワルツを歌いましたが、ちょっと不時着気味の・・・実は直前まで高いC音を出すか、出さないかで悩んだんですが・・・今日は賭けに出まして、そして、そこだけやり直したい気分です。すみません。

オペラの方は、リハーサルより、本番の方が、気持ちが充実していたような気がします。のぼせていたとも言うかもしれませんが、でもやっていて、これほど「ばっさ」の気持ちが沸いてきたのは、今日の本番が一番でした。
でも、実はオペラ2回目の挑戦。それも初めての日本のオペラですから、充実していましたと言いながらも、課題(和物の所作とか、目線とか、息使いとか・・・)は、たくさんあります。でもでも、とにかく今日はこれでよしとしましょう。明日からまた考えます。

演出の先生、今日はお越しいただけなかったけど音楽指導の先生、音楽スタッフ、舞台スタッフ、制作スタッフ、総勢何名いたかな・・・30名以上の手で作り上げた、思い出の作品になると思います。特に、私の衣装(着物)を毎回着せて、そしてたたんでくれた衣装スタッフさんにスペシャルサンクスです!


もしまたチャンスがあれば、そして、なにかと派閥やら、門下やらでしがらみの強い音楽の世界ですが、そういったものを越えて、充実した時間を、今回のように楽しい仲間と持つことができるなら、ぜひ挑戦したいと思います。


山の話はまたまた明日に・・・




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サウンドオブミュージックつづき・・・続かない!

2005年06月04日 10時03分29秒 | Weblog
ウィーンへの奨学金は1年間だけだったので、その後は自分で生活費を稼がねばならず、おみやげ屋の店員に始まり、ベビーシッター、ガイド、教会ミサのソリストや合唱のエキストラ、簡単な通訳などなどいろいろしました。

その中でガイド(本当は免許がないので空港へのトランスファーが多かったですけど)をやっていると、ザルツブルグへもお客さんをつれていくことが何度かありました。バスでザルツブルグへ向かうときは、かならず昨日のヴォルフガング湖へ寄り道します。そして昼食を食べるところが湖に面した「白馬亭」という旅籠(旅館)なんです。ここの名物は「焼き鱒のレモンバターソース」美味しいんですけど、骨が多くて・・・

ところで明日のオペラ「あまんじゃくとうりこひめ」の前に行われる、ガラコンサートで、私はこの「白馬亭」を舞台にしたオペレッタから1曲歌います。女主人と、やとわれのホテルを切り盛りしている男性(こういうのってなんて言う職名なんだっけ?)のドタバタ恋愛物なんですが、映画にもなったのでヨーロッパではとても有名なんですよ!まだ若い女主人が、いつまでたってもまじめすぎてこっちを向かない彼に(彼はベルリンから来たお客の金持ちの方が彼女には合っていると思っている)「人それぞれの音楽があるでしょうが、私はウィーンのワルツがいいわ。そのメロディーは歌っているでしょう、私はあなたが!一番だって」と歌います。つまり「ベルリン」じゃあ、固くってイヤダワって言う意味でしょうか?
とってもかわいいワルツの曲です。ぜひお楽しみ下さい!

ああ、山の話が・・・それはまた明日・・・・(いつまで引っぱるんでしょう?)

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サウンドオブミュージック

2005年06月03日 16時48分50秒 | Weblog
昨日の続きですけど、オーストリアの一番ドイツ側、ザルツブルグはみなさんご存知だと思います。そうです!モーツァルトの生まれた街です。そのザルツブルグからバスで1時間くらい行ったところには大小さまざまな湖があり、リピーターの観光地として人気です。

その中でヴォルフガング湖は一番大きな湖ではなかったでしょうか?(違ったらごめんなさい)近くにはシャーフベルクという、サウンドオブミュージックで有名な山があり、そこも2両編成くらいの汽車で上まで登ることができます。
いままでヴォルフガング湖には4回行ってるので、ごちゃまぜの話しになっているかもしれませんが、ある夏のことです。友人と二人で避暑をかねてヴォルフガング湖に行きました。街の観光案内のおばあさんはとてもやさしく、安い宿を求めている私たちに親切に対応してくれました。なぜこんな事を書くかというと、夏の避暑地に宿の予約ナシで来る私たちが間違っていたのです。どこに電話をしても「満室」20分も待ったでしょうか、やっと1軒の宿がみつかりました。地図をもらって、汗だくになりながら20分、やっとの思いで見つけたとき、宿のおじさんは「君たちが来るのが遅かったから、今飛び込みできたこの人にお部屋渡したよ。」もう一回20分歩いて観光案内に戻る気力はありませんでした。そこで「このままでは次の宿を見つける気力さえない。そこの高級ペンションでジュースを飲もう。」二人はよたよたと高級ペンションのバルコニーにへたりこみ、悲愴な顔をしてジュースを飲み干したです。あまりの悲惨な雰囲気に(だって避暑地ですよ。私たちの顔は真っ暗でしたから。)ウェイトレスのお姉さんが「どうしたの?」と声をかけてくれました。声をかけないとこの日本人、湖に飛び込むのではないか?と思ったのでしょう。それとも声をかけてもらうようにじっと見つめていたのか?私たちは救いの手が登場とばかりに、宿がきまらなくて行くところがないと訴えました。「ちょっと待ってね。」とお姉さんは奥にひっこみ10分。「このホテルにどうぞ。値段はさっきのペンションの値段でいいわ。」なんと!嬉しい。これで荷物を置ける。シャワーを浴びれる。案内された部屋は、さっきまで誰かが使っていたような、うす暗い女中部屋でした。それでも野宿よりはいい。私たちはそこに泊めてもらうことにしました。次の日の朝、その高級ペンションで食べた朝ご飯は、いままでどこのごはんよりも美味しかったのが今でも記憶に残っています。クルミやレーズンなどがぎゅうぎゅうに入ったパンは手に持つとぼろっと崩れるくらい実がいっぱいなんです。あのパンまた食べたい!

他の話で終わってしまいました。ドレミの歌の山の話はまた明日・・・
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懐かしのアルプス

2005年06月02日 14時25分33秒 | Weblog
ブログの後ろの写真に、新しくアルプスがあったので、変えてみました。たぶんスイスだと思うけど、なつかしいです。

せっかくオーストリアに7年もいたのに、自分の足で山登りは一度もしたことがないです。
(スキーもないです。私が滑れるような初心者マークはどこにもない?)
ところが、インスブルックにお気に入りのペンションがあって、そこから標高2400メートルの頂上までケーブルで行けるので、なんどかそこへは休暇かねて行ってました。
菩提樹という名前の、かわいいペンションでした。昨年も行ったんですよ。雪だったので山には登れませんでしたけど・・・

さて私には、トイレがめんどうなところへは行かないというのがありまして、中学の修学旅行に長野へ行った時、茂みの中へ「花を摘みに」行った、思春期の恥ずかしい思い出があり、トイレのないところは行かないというのではなく、行けないのが本当です。
だから日本の山はハイキングコースでさえ、ドキドキして出かける前にトイレばっかりですし、山でなくてもトイレのない、または不便なバスとか、入ったら途中後戻りできない美術館とか、もうドキドキです。

話を戻しましょう。アルプスですね。そんなアルプスになぜ行けるのか?
オーストリアはたとえ2400メートルでも、ちゃんと水洗のトイレがあるのです!
いつだったか、富士山が世界遺産になれないのは、トイレ事情があまりに不衛生だから落選したという記事を読みましたが、そりゃ、2400だろうが3000だろうがトイレを作って水を流しているヨーロッパの国からみたら、神様がわりにあがめている山があの状態なのは「信じらんない!」でしょうねぇ。

山と言えば、今、ママさんコーラスで歌っているドレミの歌の山、ザルツブルグ郊外、ヴォルフガング湖の、名前はシャーフベルクだったっけ?にも登りました。これは汽車で上まで登れるんです。ここでの珍道中はまた明日・・・


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お誕生日ありがとう。

2005年06月01日 13時29分45秒 | Weblog
今日は41回目の誕生日。朝早くからたくさんの方にお祝いメールいただきました。
本当にありがとうございます!
今年は今のところパーティとかしない(公演前なのでできない)ので、よかったらブログにも「お祝いカキコ」お願いします!

さて、お誕生日は毎年違うことをしよう。違う祝い方をしようと思って、いままでいろいろやってきました。パーティ。旅行。映画。飲み会。一人静かに瞑想。スパ。などなど・・・。
今年は公演前ということもあって、何もできないので、これから髪をカラーしに行って気分を変えるくらいです。

41年ですから、人生は(あまり長生きはしないと思いますけど)まあ、折り返し地点ということにしておきましょう。でも、「歌う」ことに関しては、うまくいってもあと10年がピーク。その後うまく長らえても、あともう10年なので、最近はよく「残された10+10年」でどんな曲を歌っていこうかと、いろいろ考えてしまいます。
また、60才で退職という会社員とは違い、引き際を自分で決めないといけない職業なので、その線引きも難しく、また人それぞれです。

ある有名な歌手は「世界中のどこでかはわからないが、私がブラームスとヴォルフのプログラムで演奏会をしたら、それが最後の演奏会です。」と言って、一番いい時期に、いつのまにか引退した歌手もいますし、ルチアポップという歌手は癌をかかえたまま、よろよろしながら舞台にあがり、最後の演奏会をしました。私はそこに居合わせましたが、お客はだれもそのことを知らず、2ヶ月後に亡くなってはじめてそれが最後の演奏会だと知りました。ルードヴィッヒの最後の演奏会にも運良く行くことができましたが、楽屋で「これで風邪が引けるし、孫と遊べる。」とよろこんでいました。日本人歌手でも70才になっても現役で歌っておられる方もいますし、声がでなくなるわけではないので、その選択は本人にまかされ自由に決めることができます。
まあ、いつ引退してもいいように、全力で毎日やってればいいのでしょうが・・・

誕生日なのでまじめに考えてしまいました。
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