私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

好きな作家

2014-07-29 19:46:59 | 日記
July 29, 2014

午前中に、事務所まで出かけて、点訳データを点字印刷機ですりだした。代々木ゼミナールのハイレベル数学のテキストで、まさに今進行中のものだ。点訳できた順に依頼者に送っているようだ。帰宅したのは正午過ぎ、しかし今日は風があって、ここ数日の暑さと比べるとかなり楽だった。何人かまだ仕事をされてられる方々は、この炎天下に年寄りが帰っていくのは大丈夫かなといった思いがあるように見受けられたが、私はそんな軟ではありません。冷房のきいたローカルの電車の中で、持参した乙川優三郎『トワイライト・シャッフル』を読み、家でも読み続けて、夕食前に読み終えた。

この本は、「小説新潮」に連載されていたものに書下ろしを加えた、13の短編からなっている。私が図書館から借りて表紙の装丁をみた時、ふとへミングウェイを連想したことは、この前のブログで書いた。すっかりそんなことは忘れて読み続けながら、長い間ほとんど翻訳ものばかりを読んでいて、日本の作家では辻邦生、加賀乙彦といった作家の本を読んできた私の読書歴の中で、突然乙川優三郎が飛び込んできたのは何故だろうと、考えていた。何度もこのブログで書いていることだが、新聞小説の連載からこの作家の本を読むようになった。本書は、他愛もないとはいえないとしても、まあ男と女のお話である。以前の私ならば読む前から手に触れなかったであろう。しかし何か惹かれるものがあった。そしてこの短編集を読み進めていくと、10作目の「ビア・ジン・コーク」で謎が解けたように思った。これも男と女の話ではあるが、チェーホフとへミングウェイの作品が、具体的に登場してきている。へミングウェイは大好きな作家で、今でも読み返している、またチェーホフの短編は、卒論のテーマとして扱い、もう絶版になっている神西清・他訳の全集が書棚を飾っている。チェーホフの短編や戯曲の中にある言葉の数々を、老年になった今読み返した時、感慨深く読めるのではないかと思う。大作家の感性に通じるところがあるなどというのはおこがましいが、好きな作家というものは、自分とどこかで共有できるものがあるのだろう。

次に、この短編の中で、チェーホフとへミングウェイの作品が登場した部分を、長くなるが引用させていただく。上はへミングウエイ、下はチェーホフの作品が取り上げられている箇所。

「キリマンジャロは標高六〇〇七メートル、雪におおわれた山で、アフリカの最高峰と言われている。その西の山頂は、マサイ語で“ヌガイエ・ヌガイ”、神の家と呼ばれているが、その近くに、干涸らびて凍りついた、一頭の豹の屍が横たわっている。それほど高いところで、豹は何を求めていたのか、説明し得た者は一人もいない」
 夜更けに読みはじめたとき、ああ、この豹はへミングウェイ自身のことであろう、と直感した。他人に理解できない崇高な魂の行方を明記した作家は、自分を美化せずにはいられない大いに見栄っ張りだったかもしれない。さもなければ本当に孤高の人なのだろう。(乙川優三郎『トワイライト・シャッフル』新潮社)

「悪がどんなに大きかろうと、夜はやはり静かで美しく、この世には同じように静かで美しい真実というものが現在も未来も存在する。そして地上の一切のものは、月の光が夜と溶けあうように、その真実と溶け合うことをひたすら待ち望んでいる」
 人間の瑣末な営みを包み込んでいる広々とした調和の世界に気づいてほしい、あなたの不幸や不安はその微々たる欠けらに過ぎないのだから、もっと大きな揺るぎない真実を見なさい、そう言われているようで気が楽になる。(乙川優三郎『トワイライト・シャッフル』新潮社)

画像は、「芙蓉」。小田急線代々木八幡駅から、点訳事務所のある渋谷に向かう時に横切る広い「井の頭通り」の交差点で、排気ガスにも負けずけなげに咲いていたところを携帯で撮った。


最新の画像もっと見る