私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

桜の気持ち

2020-03-29 17:26:03 | 日記

            

March 29,   2020

久しぶりで、ブログのページを開いた。このままやめてしまってもいいなと思いながら、今日はやっと何か書きたくなった。外出しないので、近くの幼稚園の庭の立派な桜も、もう終わりに差し掛かっているだろう。桜の気持ちを聞いてみたい。珍しいことに、雪が降った。外出自粛ということで、寒空の下に出かけて行く気もしないが、何か日本中が沈滞ムードなのが少し怖い。こういう時、政治の世界では大切なことが、世間の目をごまかして決まっていかないとも限らない。自分の身を処していくのも大変なのにと思いつつ、若いころに、「60年安保闘争」で騒いだ時の火種が、体の中でくすぶっているのかもしれない。

買い物に出かけられないので、手元にあるもので料理しようとすると、意外においしいものが出来たりする。とろけるチーズの大袋があったので、何にでもチーズを振りかけて焼くと、食欲が出る。老後の暇な生活、3度の食事が楽しみだ。はやくこの自粛規制を終わらせてもらって、料理本を見ながら、おいしいものを作りたい。私は、ぜいたくなものを食べたいとは思わない、というか、食べる余裕もないが、自分の舌にあったものを、自分で料理する楽しみは続けてきている。夕食は、じゃがいも、玉ねぎ、とりにくを使った、チーズをタップリもったグラタンをメインにし、それに豆腐の味噌汁と、いただいたばかりの釜揚げしらすを青菜に添えて食しよう。この釜揚げシラスは、ちょっと贅沢な一品だ。御前崎に住んでいる友人の息子さんから昨日いただいたばかりだ。前にブログで触れたが、友人はいま入院している。こんな状態でお見舞いにも行けないが、皆さんが、私にまで気を使ってくださることに感謝したい。

何とか一人暮らしで頑張っているが、騒がしい世間の様子は、老いの身にも不安感を抱かせる。しかし、今手足をもがれたわけではない。そろそろと気を付けて過ごしていけば、十分暮らしていける。たくさんの人たちに助けられながら、コロナなんか跳ね返して生きていこう。画像は、妹のメールから。福寿草


新型コロナウイルス

2020-02-25 10:32:29 | 日記

February 27, 2020

2月25日(火)
前のブログでも書いたが、何となく落ち着かない。新型コロナにかかった人を、犯人捜しのように追いかけるメディアにも腹が立つが、そんなニュースに振り回されがちな自分にもうんざりする。ここ数日春の陽気が続き、駅前あたりに出かけたいところだが、急行の止まる駅で、最近は、新宿以西の拠点のようになりつつある街に、とても出かける気にはなれない。 そんなわけで、点訳のためにパソコンに向かう時間が増えた。ここは腹を据えて、点訳三昧の日々を送ろうと思いつつ、何となくむずむずしてくる。
 
2月27日(木)
入院している友人を、当人の妹さんと見舞う予定だったが、病院が見舞い人を自粛しているという連絡が入った。新型コロナの影響で、いろいろなイベントも中止になっている。こういう事態には、何か声高に言うことはない。何よりも、この風邪の当事者になっている人たちのことを考えると、心が痛む。それは明日自分の身にかかることかもしれない。家にこもって静かにしているにかぎるだろう。
画像は、妹のメールから。
 
 

 

 
 
 
 

ざわつく世の中

2020-02-21 10:12:14 | 日記
February 21, 2020
 
新聞もテレビも、新型コロナウイルスのことでいっぱいだ。友人が入院して病院に見舞いに行ったりしていることもあって、なんか気持ちが落ち着かず、ブログのことは忘れていた。こういう時こそ、世の中の動きを気をつけて観察しなければならない、と思う。国会で変な法案が通ってしまわないよう願いたい。
 
とはいっても、まずわが身が大切だ。住まいがあるのは川崎市だが、急行で最寄りの隣の駅がある都市は、東京都だ。そこで、ウイルスの新しい患者が出たというようなニュースが報道されていた。冷静にと思いながら、何か身構えてしまう。2月の末に予定されていた、点訳の勉強会が延期という連絡が入いり、ひとまずほっとした。
 
世の中の騒ぎを別にして、私の日常は穏やかに過ぎていく。料理について書こう。このところ、白和えに凝っている。最初は、新聞に出ていた「セリの白和え」だったが、この料理は、栄養の点でも素晴らしいと思う。和える材料をいろいろ変えて、しばらく楽しみたい。一人暮らしだと、料理もたんぱくになってくる。新聞に載る料理の情報は、貴重だ。

ラジオ深夜便

2020-02-03 09:30:39 | 日記
February 3, 2020
いつの間にか2月に入っていた。行動のうえでは何も忙しいことはないのだが、心が忙しい。先日病に倒れた同年の友人のことや、抱えている点訳についてなど、自分の頭の中で整理して済むことが、なかなかスムーズにいかない。昨日は、いつも利用している小田急線の急行の止まる駅近辺を案内してという友人と彼女のお嬢さんを案内して、商店街を少し散策し、ランチを食べて別れた。私がこの地に越してきたときは、周辺は森ばかりだったところだ。
 
振り返ってみると、何の縁もない土地に越してきて、いつの間にか、私の人生で一番長く住んでいる場所になった。今病床にある友人や、その御家族との交流で、ささやかな人脈もできた。冬の日差しが差し込む部屋で、パソコンに向かいながら、たぶんこの地で最後の日を迎えるのだろうと思ったりもしている。
何となく感傷的な気分になるのは、今深夜のラジオで朗読されている、林芙美子作『浮雲』が耳に残っているからかもしれない。私の中では、たくさん読んできた海外のものを含む小説の中で、5本の指の中に入る名作だ。もちろん読書会でも取り上げ、私はレポーターをさせてもらった。久しぶりに手に取り、心に残る最後の場面を、声を出して読んでみる。このごろ目も悪くなっているので、俳優の朗読で名作を味わうのもいいなと思う。
 
ここまで書いて、入院している友人の妹さんから電話があり、午後から一緒に見舞うことにした、毎日でも出かけたいが、土、日は、ご親族や学生時代のお友達などがみえていると思い、遠慮した。病床が空き次第、リハビリ専門の病院に転院されるとのことだ。住まいからはさらに近くなるので、もっと行きやすくなる。何しろ頑張ってと心の中で声をかける。画像は、ベランダのパンジー。

読書会、点訳の会

2020-01-20 21:34:08 | 日記
January 23, 2020
1月21日(火)
2020年最初の読書会、ここ数日いろいろあって、本にゆっくりと向き合う心境ではなかった。こうして慣れ親しんだ読書会の方々と、くつろいで本の話ができることは、うれしい。 本は、ガブリエル カッツ『パリに見いだされたピアニスト』(マグノリアブックス)。 映画のノベライズであり、同名の邦題で、日本でも上映された。たまたま近くの映画館で上映されていたので見に行ったが、ほぼ原作通りだったと思う。というのは、この頃物忘れがひどくて、よく内容は覚えていない。ただ、本書はCD付きだとよかったと思うほどにピアノの名曲が登場するので、映画を見る機会があったことは良かった。
 
1月23日(木)
やはり今年最初の点訳の会。新しい方が入会したり、やめる方があったりしているが、私は、この会に関しては、あまり他人は意識しない。いつも校正を交換し合う方数名との交流を大切にしている。そんなことよりも、私のパソコンがなかなかうまく進まない。フロッピーデスクとパソコンとの関係がうまくいかないようだ。今頃フロッピーを使っているところなど珍しいと思うが、何しろ新しい機器を扱うことには関心がない方ばかりの集まりなので仕方がない。こんなことばかりに時間がとられることに少しイライラする。気を静めて、パソコンからしばらく離れよう。
脳梗塞を患って入院している友人のことが気にかかる。いろいろなことが続いた年明けだったが、そろそろ1月も終わりに近い。逃げていく時を追いかけているような気分だ。


病院へ

2020-01-18 09:57:16 | 日記

                                 

January 18, 2020

同年の友人が、救急車で運ばれて、地元の大学病院に入院したという知らせに驚いた。近くに住む友人の妹さんに同行させてもらい見舞った。私がこの地に移ったときに、それまでたしなんでいたバイオリンだけは続けたいと思い、先生として紹介してもらった時からの付き合いだ。50年来の友人、というか、私はだいぶとうが経ったバイオリンの弟子である。脳梗塞とのこと、私だということは認識してくださっているように思えたが、言葉が出ない。涙がこぼれた。事情があって見知らぬ土地に住むことになり、知人を通して紹介していただいた方だ。若いころにはいろいろな賞にも入賞されたバイオリニストだったそうだが、私が知り合った時は、二人のお子さんを育てる主婦であり、それでもお弟子さんはずいぶん抱えていた。

弟子としてのバイオリンは、練習しないので一向に上達しなかったが、同年齢ということもあり、何でも語り合える友人となり、また知り合いの少ない土地で、ずいぶんお世話にもなった。振り返るとさまざまな思い出が頭を駆け巡るが、何かこれからさらに一層のご縁が続くという予感がしてきている。今は一時的に言葉を失われているが、きっと回復されて、バイオリンを弾く姿を見せてくれるだろう。夕暮れ近くなり、すこし重い心を抱えたまま帰宅した。大学病院の集中治療室なので、親族以外は面会できないということを、帰りに受付で聞いた。家で静かに回復を祈りたい。

画像は、お見舞いにと花屋さんで作ってもらった小さな花束。お花のお見舞いは駄目とのこと、さもありなんと持ち帰った。



過ぎゆくとき

2020-01-15 09:30:58 | 日記

January 15, 220

2020年の1月も、今日で半月過ぎてしまった。物事に取り掛かり行動するスピードが遅いので、なかなかはかがいかない。ふりかえると、新しい年を迎えてから、何をしたのやら。ただ、何となく毎日やるべきことは決まっている。そんなことの積み重ねが1日の終わりであり、1年の終わりであり、人の人生の終わりであるのだろう。眠れぬままに聞いているラジオの深夜番組で紹介されていた、石田衣良の短編が面白かったので、本屋で目に入った石田衣良『眠れぬ真珠』(新潮文庫)を購入し読んだ。最初と最後の数ページのために、セックス描写の羅列で終始する中身を添えた本、これが今どきの小説なのか。何とも言えない気持ちを抱きつつ読了した。選んだ本が悪かったのか、何しろこの作家の本はお断りだ。
 
テレビのチャンネルを適当にいじっていたら、漁師の男性が、フジコ ヘミングの「ラ カンパネラ」の演奏に刺激を受けて、弾けるまで挑戦したという番組があり、面白かった。まず、仕事の合間を縫っての1日8時間の練習がすごいと思った。私も、手持ちの小さなキーボードを使って、老人ホームにあるピアノで何か弾けるようになるまで習得したいと思いつつ、日常の雑務に追われて実現しないままでいる。年の初めなのか、こういた番組が多いが、登場する人たちは、だれもが大変な努力を重ねている。これは皆、専門家ではない、市井の人の物語だ。何をいまさら感動しているのと笑われそうだが、老年になって、所在なく過ごす日々に受ける小さな刺激が、生きていくよすがとなる。
 
画像は、今年から使うことにした卓上カレンダーの表紙に写っている猫。猫シリーズなので、毎月いろいろな猫が登場する。腹が立つようなことが多いこの頃、猫の写真を前にすると、気持ちが穏やかになる。

新しい年を迎えて

2020-01-06 13:29:29 | 日記

January 6, 2020

あけましておめでとうございます。

2020年からサイトを新たにして、読書関係の記事を中心にしたブログをはじめようと予定していたが、結局昨年まで書いていたサイトに続けることにした。なんか意気込みとは別の方向になってきているようで、自分でも忸怩たる思いはあるが、楽な道を選択してしまった。掛け声ばかりでごめんなさい。

新年から暖かい日が続いている。もちろん冬なので朝晩の冷え込みはあるが、若いころから体験してきた冬のイメージが、近年徐々に変わって来ているようだ。さて、昨年末から今年にかけて、世界の情勢が少しづつ変化してきている。いわゆる「きな臭い」という表現に通じる雰囲気である。世界のどこかで戦争は起こっている。戦いのない日を夢想するのは無理だとしても、今の穏やかに思える日々が続いてくれることを願っているが、どうなっていくのだろうか。

第2次世界大戦が終わった年に小学校2年生だったことを思い返すと、それ以来私自身の意識の中に戦争はなかった。学生時代の「安保反対闘争」なんか、考えてみるとちっぽけなものだった。しかし、もうこの世にさよならをしていい年になって、戦争の足音が聞こえてきている。私自身の生活は何の変化もないが、新聞やテレビの小さな窓から入る情報が、それを知らせてくれている。今世界は、社会は、私たち老人を置き去りにして進んでいく。以前は、たとえ回りが少々変わってきていても、人間という単位で考えるとき、そんなに大きな違いはないと思っていたが、どうもその境界を越えてきているようだ。私たち置き去りにされつつある世代、でも、今の哲学のないあほな世界に屈服したくはない。たとえ人生の終わりが近いとしても、言わなければならないと思うことには、手をあげていきたい。

新年にあたって、ごまめの歯ぎしりと分かりながら、自分を鼓舞していこう。「戦争反対!」、これに尽きる。昨年から続いている「英和辞典」の点訳のためにパソコンに向かう日々は始まったが、肝心の読書はこれからだ。石田衣良の短編から読み始めたい。

画像は、1月2日に、友人の息子さんが住む御前崎までのドライブに同行させてもらったときに、スマホで撮った。お天気が良く、富士山の姿を満喫できた。


最後のブログ

2019-12-20 17:43:46 | 日記

December 20, 2019

今日が最後のブログになった。たしか2005年の4月に始めたと記憶しているので、足掛け15年ほど続けたことになる。60歳代の後半から80歳に入った今、うれしかったこと、つらかったことなど、様々な体験があった。よくここまで一人で歩んでこれたという思いもあるが、家族、友人の支えがあってこその今だとしみじみ思う。予期せぬことの最たるものは、老いるということだ。もちろん頭脳も衰えてきていることは確かだが、それ以上に身体の劣化は駆け足でやってきた。悲しいことだ。

今私の生活の中心は、盲人のための点訳のボランティアだ。いろんなグループに属し、様々なものの点訳を経験した。現在は、英和辞典の点訳を、7、8人の方と携わっている。外国語の点訳は、その言葉ができないと駄目なように思われているが、全く関係がない。1文字1文字を記号と考えて点字に直していくので、忍耐と、校正を通じてのちょっとしたコミュニケーション力があればいい。私が始めたころから、パソコンを使った点訳が普及した。それも運がよかったと思っている。あと何年出来るかわからないが、できるところまで続けていくつもりだ。

もうひとつ、20歳代に参加した読書会がある。この会は、無理をしないから続いてきたといえるだろう。レポーターになった人が本を選び、各人が読んで、皆で話し合う。自分ではとても手にしないような本がテーマ本になり読む。私にとっては、これが一番の醍醐味だ。皆さん、子育てや介護など、生きていくうえで直面するすべてを経験されたいる。そういう点では、独り身の私は肩身が狭いが、人が生きていくということは、どういった形であれ簡単なものではない。私は、経済的な面での苦労を背負いながら、何とか生きてきた。本を読むことで支えられたことも多々あったと思う。だいぶこころもとなくなってきたが、健康に留意して、この会がまだまだ続いていくことを願っている。

来年も書き続けたい思いと、いろいろな点で限界が来ているという思いが交差しながら、今日で私のブログを終わりにすることにした。つたないブログを覗いてくださった方々に感謝したい。

 


転倒

2019-12-15 08:29:00 | 日記

December 15、2019

老人にとって、転ぶことは命取りになる。気を付けていたのだが、駅前に行く途中の公園の中で、雨で湿った落葉に足を取られて転倒した。頚椎をひねったらしい。いつものように医者には行かず、様子を見ることにした。おとといのことなので、すでに2日経っているが、痛みはとれない。このブログ打つことができるのだから、時薬が治してくれるだろう。それにしても、眼鏡の紛失や転倒と、マイナスなことが続く。とりあえず、近くのメガネスーパーで、遠目の眼鏡を調達しよう。

今年も残りわずかになった。19日が今年最後の点訳の例会日なので、持参する自分の点訳したファイルを見直そう。いつまでたってもたくさんのミスはなくならなくて、校正が戻ってくるとがっかりする。私は点訳を初めて10年余、30年も40年も続けているこの会のメンバー―の方々と肩を並べることは、しょせん無理なことだ。まあ自分のできる範囲で協力していこう。画像は、駅前に行く途中の公園で。ここで転んだ。