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ニーハオ春庭中国日記「偽皇宮&太極拳」

2011-10-03 19:23:00 | 日記
2007/06/02 土
ニーハオ春庭中国通信>偽満皇宮見学・『観光コースでない満州』

 13年前に比べると、きちんと整備された偽満皇宮博物館。
 そのかわり、入館料は、80元(1200円)という高さ。たぶん、冬季アジア大会開催時の観光客増加をねらって、倍額値上げされたのでしょう。2006年発行のガイドブックには40元と書いてあったので。

 レストランのウェイトレスの時給が4元から5元。入場料分を稼ぐには、20時間働かなくてはならない。
 上野の東京国立博物館、2007年4月から値上げされ、通常展示の一般・大学生入館料が600円になったことを、「高い!」と思っていますが、それでもウェイトレスが1時間働けば、入場料を払える。

 みやげ屋のおばちゃんには閉口したけれど、会場案内係の服務員さん、皆とても親切でしたし、門の守衛のカッコいいお兄さんは「いっしょに写真撮って」と頼んだら、ならんでカメラにおさまってくれました。

 若くて元気のいい守衛さんたち。彼らが守る「元皇宮正門」は、彼らの若さと同じように、明日の旧満州研究の未来へ開かれているように思いました。
 これから、旧満州時代の歴史評価に関しても、さまざまな観点での歴史研究が広がっていくのではないかと思います。

 溥儀は1906年の生まれ。2006年は溥儀生誕百年の記念の年でしたから、2005、2006年に、さまざまな旧満州関連の書籍が、「この機会に」と、出版されました。 
 その中から、元ジャーナリストで、現・アジア共生学会会長小林慶二の『観光コースでない満州』を持ってきました。

 ほぼ1ページに1枚の写真があり、「観光コースではない」と謳っているけれど、私にとってはよいガイドブック。本を片手に満州時代の建築物をみて回ろうとおもっています。

 旧満州時代の主な建築は、ほとんどそのまま、現在も病院や大学施設、政府施設として利用されています。「保存建築物」に指定され、これらは、今後も利用されていくと思うのですが、今回私が見て歩こうと思っているのは、「一般住宅」としてたてられた家。

 建てられてから、ほぼ70年を経た一般住宅は、老朽化しています。市内のあちこちで古い建物の取り壊しが行われており、つぎつぎに「旧満州時代の住宅」は姿を消し、高層アパートに建て替えられている最中。
 東京も70年前の一般住宅が残っている地域はほとんどなくなり、同潤会アパートのように、惜しまれながらも取り壊されるということが続いています。

 日本の国会議事堂を模して建てられた旧満州国務院(現・吉林大学)、旧ヤマトホテル(現・春誼賓館)などの写真を写して帰る観光客は多いですが、古くてぼろぼろになっている住宅を写す人は少ない。

 私は、そんな住宅地を写しておきたいと思っているのですが、まだ町歩きの余裕もなく仕事仕事の毎日。すでに赴任期間の半分はすぎています。
 これから先、どれだけ時間がとれるかわかりませんが、過去をきちんと見つめる目を養いつつ、町歩きをしたいと思います。

 13年前は、まだ「暗く陰鬱な満州時代」というイメージのみが残っていた偽皇宮。
 今回、展示もわかりやすく、整備がすすんだ博物館を見学して、過去の歴史について、「難しい問題があるから触れないでおく」ではなく、「お互いの理解のために、真実を追究する」ということを、もっと進めて行かなくてはならない、と感じました。

<偽満州皇宮見学おわり>
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2007年06月03日


ニーハオ春庭「牡丹アカシア君子蘭」
2007/06/03 日
ニーハオ春庭中国通信>牡丹、アカシア、君子蘭(1)

 日本では、地方自治体が、地元を代表する花や木として「県の木」や「我が市の花」を制定しています。
 中国でも、町や市のシンボルとなっている花があります。

 たとえば、『アカシアの大連』で知られるように、大連市のシンボルはアカシア。
 5月中旬から6月はじめにかけて、市内のアカシア並木は白い花房をたわわに下げて、通りは甘い花の香りに包まれます。
 養蜂業者がミツバチをアカシアの中に放ち、集められた蜂蜜があちこちで売られているそうです。

 私が13年前に大連を訪れたとき、まだアカシアの花には早くて、残念だったので、今回こそ「アカシア祭り」が行われている最中に訪れたいと思っていたのに、毎週末学校行事などがあるので、なかなか都合良くいきません。

 大連のアカシア花盛りは見逃しになるかもしれませんが、大学本部キャンパスの並木になっているアカシアをながめることで、大連の並木を想像しています。

 大連のアカシアに対して、この町は「君子蘭」をシンボルにしています。冬季アジア大会の際、市内のあちこちに君子蘭を模した巨大なオーナメントが置かれ、それがそのまま残されています。通りのあちこちに、オレンジの花をつけた大きな君子蘭型の置物が飾られているのです。

 大連のアカシアはわかるけれど、こんな北国のシンボル花がなぜ君子蘭なんだろうと、疑問に思っていました。蘭は南方の花ですから。
 「旧満州」関連本のひとつを読んでいて謎が解けました。

 日本の皇室のシンボル「16弁の菊の花」に対して、満州帝室のシンボルとして制定されたのがオレンジ色の君子蘭でした。
 「えっ、満州国時代のことは、偽満と呼び習わし、否定的にとらえるのに、君子蘭はそのままシンボルとして採用するの?」と、思わないでもないのですが、歴史研究者でもない一般の人は、君子蘭と満州帝室の関係などまったく知らず、気にする人もいません。

 韓国は、旧植民地時代に日本側が建てた建造物を、ほとんど打ち壊しました。
 暗い時代の建築物を徹底的に否定し、名建築と謳われていても、惜しげもなく破壊しました。

 ところが、中国では、旧満州時代の建物を、ほとんどそのままそっくり現代まで利用しています。
 日本国関東軍司令部だった、日本風お城とヨーロッパ近代建築を折衷したような、「和臭ぷんぷん」の建物も、現在は吉林省共産党委員会の本部として利用されています。

 王朝が変わっても、王都は前代のものをそのまま使ってきた中国の歴史。
 北京の故宮(紫禁城)は、元、明、清の三つの王朝が引き続き利用した皇宮です。
 関東軍司令部が、共産党委員会本部に衣替えするくらいは、当然のことなのでしょう。

 まあ、建物は破壊するより利用した方がいいと思うのですが、満州帝室のシンボルとして決められた君子蘭をそのまま「市のシンボル」に制定するおおらかさは、さすが「支配者は交代しても、人民は大地に根付いている」中国だと思われます。

<牡丹アカシア君子蘭つづく>

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2007年06月04日


ニーハオ春庭「牡丹アカシア君子蘭(2)」
2007/06/04 月
ニーハオ春庭中国通信>牡丹、アカシア、君子蘭(2)

 さて、現在、町の中では牡丹が花盛り。
 牡丹は、中国全体の「国の花」候補のひとつ。中国を代表する花です。
 中国の国花は、清時代に牡丹とされていましたが、清朝が倒れて以来、正式な国花は制定されてきませんでした。

 北京オリンピック前だから、というわけでしょうか、国花を制定しようという運動が起こり、梅、蓮、牡丹などの中国を代表する花が候補に上げられており、どうやら現在は梅と牡丹のどちらにするか、というところまできたようです。
 梅の清楚さ香りのよさも捨てがたいですが、牡丹の豪華さ富貴の象徴という印象のほうが一歩リードというところらしい。

 日曜日の午後。人民広場近くの牡丹園を散歩しました。
 日本の牡丹園なら、ひとつひとつの株に品種名を高々と掲げて置かれていることが多いのですが、こちらでは、「牡丹は牡丹」

 赤、白、ピンク、色混ぜの花、色とりどりの牡丹が、咲いています。
 園内は、デジカメやビデオを構えて記念写真を撮ろうとする市民でにぎわっています。

 園の周囲には、さまざまな食べ物屋台が出ています。アイスキャンディ屋、果物屋、、、、。くだものは、梨もパイナップルも、皮をむいて割り箸にさして売られています。パイナップル四つ割のひとつが1元。

 こどもがうれしそうにほおばっている綿飴、ちょっと懐かしくなったので、機械にざらめをいれて綿飴を作っているおっちゃんに聞くと、1元。
 あいにく細かいお金なし。零細な露天の商いに百元札を出すと、「おつりメイヨウ没有」と断られるかもしれない。
 百元は高額紙幣で、物価感覚からいうと、日本の1万円札に相当。偽札も出回っているので、受け取った人はだれでも、裏表確かめ、すかしを確認し、偽札でないか十分にチェックします。

 1元の半分の5角があったので、「これだけで、小さいのを作って」と頼んでみました。
 おっちゃんは、「よし、わかった」と言って、私が「小さいのでいいよ、小さく小さく」と言っているのに、普通の大きさに作ってくれました。わ~い、おっちゃん、ありがとう。
 ふわふわの綿飴をなめなめ、牡丹を見て歩きます。

 牡丹園内で十数組の「ウェディングドレス&タキシード」のカップルをみかけました。
 中国では、結婚式の前に、貸衣装に身を包み専門の撮影業者に「結婚記念アルバム制作」を頼むことが流行中。
 部屋の中で、また屋外で、さまざまなポーズをとって、まるでスターの写真集のような立派なアルバムが作られるのです。

 富貴の象徴である牡丹を背景にして写真を撮ったら、さぞかしカップルの将来は、豊かで明るいものとなることでしょう。
 幸せいっぱいの顔で、撮影業者の注文にあわせて、顔と顔を寄せ合ったり、二人で牡丹を見つめたり、いろんなポーズをとっていました。
 牡丹のような華やかな幸福にめぐまれますように。
 永久幸福!(いつまでもお幸せにね)。

<牡丹、アカシア、君子蘭おわり>

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2007年06月05日


ニーハオ春庭「揚琴、木琴、腹鼓」
2007/06/05 火
ニーハオ春庭中国通信>揚琴、木琴、腹鼓

 中国に来る前、「次に中国へ行ったら、練習したい」と思っていたことのひとつは楊琴(Yang chin)です。

 楊琴は、ピアノのルーツとも言われる打弦楽器。
 グランドピアノのふたをあけると弦が張ってあります。88の健を指で打つことによって健の先のハンマーが弦をたたき、音がでるのがピアノ。

 170本前後の弦を直接ばちでたたくのが楊琴。木琴とピアノの両方の特徴を持っていると思えばいい。
 170本の弦がありますが、マンドリンのようにひとつの音を数本の弦で出すので、音階は5オクターブ前後です。

 揚琴はこんな楽器。
 http://www.chinamusic.gr.jp/catalog/yokin.html

 私は、ピアノも木琴(マリンバ)も、子どもの頃に練習しただけで、今は楽器の練習から遠ざかってしまいました。
 習字と楽器演奏は、老後のぼけ防止用&老後の生き甲斐として、楽しみにとってあります。
 
 年取ったら練習すると言っても、木琴は、ピアノより高いので、年取ったら買えないかもしれません。
 昨年、東京の滝野川会館で行われた、日本木琴協会による「東京マリンバコンサート」の演奏を聞いた時もらったパンフレットでは、マリンバ(大型木琴)に200万300万円という値段がついていて、びっくりしました。ピアノに比べて需要が少ないから割高なのかもしれません。

 ピアノは、高級グランドピアノは高いけれど、アップライトはそれほどでもないし、なにより、今は電子キーボードがどんどん安くなっている。
 私が幼い娘のために、当時としては「食費を切りつめて買った」程度のキーボード、今ではおもちゃ屋で売っています。

 で、揚琴も、日本で買うと普及品で15~20万、高級品だと30万~50万します。中国で買う10倍です。
 中国で買うなら、高級品5000元(7万5千円)、普及品2000元(3万円)程度。
 仕事を無事おえたら、自分へのご褒美として、買って帰ろうと思っていました。

 ただ、大きいので持って帰るのは難しい。
 それに、調律がとても難しい楽器で、毎回演奏する前には、演奏者自身が30分以上かけて、170本の弦を1本1本調律しなければならないと知り、「わぉ、演奏はしたいけれど、私には30分も調律する几帳面さがない」と思い、あきらめかけています。
 毎回、誰かが調律してくれたあと弾くだけならいいですけれど、それじゃ演奏者仁義に悖るということになるのでしょう。

 今のところ、揚琴も木琴も演奏できず、鼓の演奏ばかり。
 はい、腹鼓。
 中華料理食べすぎて、ぱんぱんになったおなかを叩くと、いい音がします。ポポン、ポ~ン!腹鼓。自前の打楽器。
 少しひっこめ!この腹!ポポンぽんポン。
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2007年06月06日


ニーハオ春庭「二十四式太極拳」
2007/06/06 水
ニーハオ春庭中国通信>二十四式太極拳

 勤務校には、日本へ留学する学生への日本語教育部門の他、「教育部出国留学生培訓」という部門があり、副校長がふたりいます。
 日本語教育担当の副校長と、留学生教育担当の副校長のふたり。

 留学生教育担当の副校長テイ先生、専門は「政治経済学原理」ですが、太極拳の名手でもあり、胡弓を奏でる趣味人でもあります。
 昼休みの副校長室から、胡弓の練習の音が流れてくると、中国情緒いっぱいになります。

 テイ先生は、本部キャンパスの留学生に太極拳を教えています。留学生の正規の授業なのだそうですが、体育の単位になるのか、「中国文化」授業の一環なのかは聞き逃しました。
 胡弓を弾きこなし、太極拳は名人級のすらりとした副校長先生、ファンが多く、留学生にも大人気。

 「中国らしいものを身に付ける」計画、揚琴はまだ練習できませんが、5月中旬からテイ先生に太極拳を教わっています。

 私たちが習うことになったのは、「二十四式」というもっとも代表的な動きの太極拳です。
 野を駆ける馬のたてがみの動き(左右野馬分鬣)、鶴が羽をひろげた動き(白鶴亮翅)など、24の姿勢があり、ポーズとポーズの間は、ゆったりゆっくりとしたつなぎの動作があります。

 「二十四式簡化太極拳」は、太極拳の基本の動きを体系化して定められました。応用がさまざまにある中の、もっとも基本的なものです。
 国家体育委員会が、全中国国民の体力向上をはかって制定したものなので、多くの中国人に親しまれており、各地の公園などでは、朝早くから人々が集まって練習を続けています。

 日頃練習しているジャズダンスの振り付けに比べれば、それほど複雑な動きではありません。しかし、約10分間、ひとつひとつの動作をきちんと筋肉をつかって動かしていくと、ゆっくりとした動きでも、24の動作を終えると、気持ちのいい汗が吹き出します。
 
 先生は各ポーズの手の位置、背骨、足の向きなど細かい注意をしながら、つなぎの動きについては「慢、慢、ゆっくりゆっくり」と、指示します。
 日本舞踊もそうですが、太極拳も、重心を低く、ずっと中腰、ひざを曲げているポーズがつづき、ゆっくり動くのはかえって難しい。
 テイ先生の動きは、なめらかな中に力強さがあります。

 太極拳を紹介しているサイト。
 言うてはなんですが、私の先生は、このインターネットの先生の動きよりはるかに上手で美しいです。
http://chinalife.fc2web.com/texts/24/index.htm

<太極拳つづく>

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2007年06月07日


ニーハオ春庭「太極拳練習」
2007/06/07 木
ニーハオ春庭中国通信>太極拳練習

 太極拳、音楽に合わせて美しく動く、という点では舞踊に通じる要素もありますが、元々は「拳法」のひとつですから、要所要所は、この形を応用すれば、相手を一撃で倒せる、という武術です。
 先生が模範をやってみせると、本当に人を倒せてしまえる、と思えます。
 私が同じ動きをしても、まねっこですから、「拳法」にはほど遠いのですが。

 太極拳は、「気」を利用した武術のひとつです。
 日本の太極拳教室は、少林寺、カンフーなどを合わせて教える「武術」としての太極拳を重視しているように思いますが、中国の公園などで行われているのは、健康法のひとつとして。日本の「ラジオ体操」にあたるような、「健康な身体をつくるために」と、練習するグループが多いです。

 ラジオ体操も、動きのうまさを競うコンクールがあると聞いたことがありますが、太極拳も、各地でコンクールや発表会があります。 

 今回、大学内で、大学教職員による「学部対抗、教職員身体表現発表大会」が行われることになりました。

 学部対抗の大学内発表会に、勤務校も毎年参加しており、去年は「合唱大会」が行われて、私の所属部署は一等賞を獲得したそうです。今年は、「身体表現」がテーマ。
 私が太極拳を習うことになったのは、この「教職員行事」に参加するためなのです。

 私の勤務校は、師範大学の郊外キャンパスの中に設置されています。
 師範大学は国立ですが、日本の国立大学と同じように、現在は独立行政法人になっています。従来のように教師養成の教育学部だけなく、歴史文化学部、商学部、数学統計学部、物理学部、計算機学部、生命研究学部、文学部、体育学部など、さまざまな教育部門があります。

 私の所属部署には、師範大学学部として「留学生教育」を行う部門と、「日本国文部科学省国費留学生」への日本語教育を行う中国教育部直属の部門のふたつがあります。

 外国からの留学生は、本部キャンパスで学んでいるため、日頃は日本語教育を行う先生と、留学生に中国語を教える先生は、あまり交流がありませんでした。
 今回、このふたつのキャンパスの先生がいっしょになって、太極拳の練習を行いました。

 大学内競技会の中国語の名称は、「教工健身操比賽」
 「教工=教職員」「健身操=健康な身体を作る体操」「比賽=競技会」

 「健康な身体」を作るための競技ですから、太極拳だけでなく、エアロビクスを発表する部や新体操あり、日本のラジオ体操のような音楽に合わせての体操あり。
 各学部や「図書館」「国際学術交流センター」など、所属部署ごとにさまざまな出し物を披露します。

 私の所属部署は「太極拳」を、テイ先生プラス教職員代表24人で披露する、ということになりました。

 「留学生教育部」には、中国から日本へ行く留学生に日本語教育を行う先生、英語圏へ留学する中国の学生に英語教育を行う先生、中国にきた留学生へ中国語を教育する先生がいます。
 アメリカ人のマリー先生は、練習には何回かきたけれど、大会には参加しないことになりました。

 所属部署には、日本人教師が8名います。
 3月から7月まで赴任する私たち6人は、日本の大学院博士課程進学の国費留学生たちへの日本語教育担当。
 あとふたり、若い女性教師がいます。このふたりは、日本から派遣されてきた私たちとことなり、学校が独自に契約して採用する、いわゆる「現地採用」の先生です。

 若いふたりの女性教師は、トヨタ合弁一気自動車社員への日本語教育担当なので、授業は社員の勤務が終わってから行われます。
 そのため、なかなか練習に続けて出られず、大会参加はあきらめましたが、大会参加用の中国服は、いっしょに誂えてもらい、「記念になる」と、大喜びです。
 文部科学省派遣組の私たちは、肩を痛めているひとりを除いて5名が、「大会参加選手」になりました。

<太極拳つづく>
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2007年06月08日


ニーハオ春庭「太極拳発表会」
2007/06/08 金
ニーハオ春庭中国通信>太極拳発表会

 日本人先生たち、中国の人は全員太極拳ができるだろうと思っていて、「初めてやって、動きが覚えられるかしら」と心配していたのですが、練習に参加したほとんどの先生たちが「太極拳は初めて」と聞き、「それなら、条件は同じだね」と、おっかなびっくり体を動かしはじめました。

 練習の回を重ねるうちに、「日頃の運動不足も解消されるし、動きがわかるにつれて楽しくなってきた」と、ノリノリになってきました。
 最初は「練習だけは参加するけれど、大会出場はとても無理」と言っていた人も、皆「大会、がんばりましょう」と、言うようになりました。

 太極拳の練習、最初は、毎週月曜と木曜日が練習日だったのですが、発表会が近づくと「連日練習」「土曜日午前中も特訓」になりました。

 男性陣は、テイ先生のほか、日本語教育担当の副校長先生、通勤バス運転手のリョウさん、女性陣は録音室担当のホウさん、経理担当のオウさんほか、教職員みんな熱心に練習に取り組みました。

 6月6日水曜日、師範大学本部キャンパス音楽ホールで、「教工健身操比賽=師大教職員身体表現発表大会」、午後1時、開始!
 20組の演技チームが参加したなかから、金賞(一等賞)が7チームに、銀賞(二等賞)が数組に与えられのだだそうです。

 全員が髪をきれいな編み込みにして、髪飾りをじょうずに編み込んで、おへそを出したキュートなエアロビ衣裳のチームもあるし、スポーツシャツにジャージズボンのシンプルなスタイルもあり、どのチームも、「自分たちこそ金賞だ!」と、意気込んでいます。

 私たち留学生教育学部のいでたちは。太極拳用のそろいのスポーツシューズ、赤と白の巴マークがついています。そろいの白い太極拳衣裳。

 私が誂えてもらったのは、象牙色がかった白の中国服です。ひとりひとり採寸して、体型にあわせて縫ってあるので、私のメタボリックなおなかでも、ちゃんと体にあっています。
 
 テイ先生はきれいな黄色。どうやら、色の入った太極拳服は、柔道の黒帯にあたり、師範格が着用、生徒は白い服になるらしい。

 私たち以外の太極拳チームは三つありましたが、そのひとつのチームの師範格は、下のサイトの先生のような水色の中国服でした。
http://www.chqa.com/taiji24_1.htm
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2007年06月09日


ニーハオ春庭「太極拳金賞」 
2007/06/09 土
ニーハオ春庭中国通信>太極拳金賞

 参加20チームのうち、私たちは9番目に出場。
 二十四式太極拳発表。
 テイ先生のかけ声に合わせて、胸の位置で、右手のこぶしを左手の手のひらに合わせる拳法の挨拶。少林寺やカンフーの映画で見たことがありますが、自分でやってみると、カッコいいです。

 6人ずつ4列24人の動きがぴたりとそろって、手の位置足の向き、動作のスピード、正しく美しくできるよう、練習を積んできました。
 野を駆ける馬の鬣のように、白鶴が羽を広げるように、、、、琵琶を抱えて奏でるように、、、、雲のように両手を動かし、、、足を高く蹴り上げて、、、

 私は、2列目の真ん中。一番前中央にいるテイ先生の動きがよく見える位置なので、先生の動きをまねっこしながらできる恰好の場所。
 で、私はジャズダンスの発表会と同じように、振り付け順番はまったく覚えずに、「じょうずな人の動きをまねする」という日頃の方針でいけたので大助かりでした。

 練習通りにはいかないところもあったけれど、無事演技終了。
 結果は。
 見事、私たちのチームは金賞を受賞しました。

 他の金賞チームは、ダンスや演技を専門に学ぶ学科がある音楽学部チーム、2008年北京オリンピックを表現した演出が光っていた図書館チームなど。
 師範大学付属実験幼稚園の先生たちによる、ボールを持って演じる新体操風エアロビも入賞しました。動きもよかったですが、なにより、全員おへそをだした衣裳がかわいかった。

 金賞銀賞のほか、「特別栄誉賞」という表彰がありました。
 選ばれたのは、、、、。

 「1ヶ月足らずの練習で、中国人にとけこんで、そろって演技ができた太極拳チームの5人の日本人」に与えられると発表されました。
 壇上で、大会役員から立派な賞状をいただきました。

 大学ホームページには、さっそく私たちのチームが演技している写真や、5人の日本人教師が賞を受けたという記事が出ていました。
  
 中国の先生や職員たちといっしょに練習することで、友好も深まり、日頃は交流がなかった中国語の先生たちとお話もできました。
 太極拳の練習と発表、とてもよい「中国的体験」になりました。

<太極拳おわり>

http://www.nenu.edu.cn/nenunews/gonggao/20070607008.jpg

 中央一番前に立つテイ先生の頭の上に手をのばしているのが私です。
 太めの体がちょうど隠れる絶妙のカメラアングル。
 見せ場でシャボン玉が吹き出す演出なので、シャボン玉が飛んでます。 


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2007年06月11日


ニーハオ春庭中国通信「綱引き大会」
2007/06/11 月
ニーハオ春庭中国通信>綱引き大会(抜河比賽)

 私が出場した「太極拳」チームは、教職員の「健康な身体作り」を競う競技会(教工健身操比賽=教職員健康身体表現競技会)に参加してのものでした。

 中国の大学は、日本の大学以上に「身体の健全な育成」という面に力を注いでいます。
 私が教えている日本への国費留学生(若手大学教師たち)のクラスでも、「スポーツは嫌い」「スポーツをあまりしない」という学生はいません。
 みな「勉強のあいまにスポーツに励んでいる」と言うのです。

 大学内の行事でもさまざまなスポーツ競技会があり、教職員、学生こぞって参加しています。
 3月、赴任して早々に私の担任クラスで行われた親睦会も、「バドミントン大会プラス夕食会」でした。

 本日6月11日は、クラス対抗「綱引き大会」が行われました。

 国費留学生博士号取得コースの5つのクラスのほか、他のクラス、学部進学コースや、英語コースなどのクラスが、女性6人男性7人のチームを作り、勝ち抜きトーナメントを行うのです。

 私のクラスは、それほど力じまんが集まっているというのでもなさそうで、「絶対に勝たなくちゃ」というような悲壮な雰囲気はまるでなく、「ま、参加しようや」くらいの雰囲気でした。

 若手教師たち、家庭をもち子育て中の人もいるクラスですから、そんなに本気になって綱を引くとは思っていなかったのに、いざ綱引きがはじまってみると、皆力いっぱい。
 男性たちは足をふんばり、女性も汗びっしょりになってがんばっていました。

 結果は残念ながら2敗。負けてしまいました。
 でも、クラスが一丸となって力をあわせてがんばる姿は、若者らしくてさわやかな汗が光っていました。
 いつもスッピンさんが多い中国の女性たちですが、どんな最新のメイクも、この「がんばっている人の汗」に勝る美しさはないと思えます。
 応援しているほうも声援に力が入りました。

 三島由紀夫が祭りに参加したときの高揚感を「力を合わせて御輿を担ぐことの恍惚」とエッセイに書いたことがあります。
 太古の昔から綱引きは、各地で「村の行事」として続けられてきました。
 すたることなく続いてきたのは、勝敗によって農耕の豊作を占うという民間信仰の一面があったこともさることながら、三島が指摘しているように、「皆で力を合わせること」を、人類文化は必要としているからではないかと思います。

 クラス一同が力を合わせて一本の綱を引く。「イー、アール、イー、アール」のかけ声に合わせて、力を出し切る。
 応援する方は「加油!チャーヨゥ!」と声を張り上げる。

 北国の6月にしては記録的な暑さ34度となった一日でしたが、暑さを上回る熱気で、盛り上がった午後となりました。 

<おわり>
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2007年06月13日


ニーハオ春庭「般若寺と清真寺」
2007/06/13 水
ニーハオ春庭中国通信>般若寺と清真寺(1) 

 市内の名所として地図やガイドブックに載っている場所のうち、ふたつの寺に出かけてみました。

 般若寺は、人民広場の近くにあり、寺の横の通りはバスターミナルのひとつになっています。
 「どこへ行くのか知らないバス」に乗ってでかけ、終点まで行ってみると、この般若寺の横に到着したことが何度かありました。
 でも、いつも夕方から夜にバスをおりるので、寺の門は閉まっていました。

 3時半に門が閉まるのだ、とわかり、日曜日午前中に出かけました。開門は、朝8時半から午後3時半まで。

 門前には手相見、姓名判断、土産物売り、数珠売りなどがずらりと並んでいます。
 若い人も熱心に改名相談などをしています。
 バスターミナルと反対側の寺の横は、仏具売りの店が連なっていて、窓から仏像などが見えます。

 般若寺の門のそと、バスターミナル側からながめると、境内に立っている大きな観音像の背中が見えます。
 朱塗りの門を通って、境内からお顔を拝観すると、大観音、なかなかの迫力です。

 観音様の前には香やお花が供えられ、熱心な信者が、立て膝に座ってから額を円座につける礼と起立を繰り返して祈っています。この祈り型は韓国で見た作法と似ています。

 チベット仏教の五体投地ほどではないけれど、この立ったり座ったりの祈りの型も、なかなかハードだと思うので、日本で仏教が一般民衆に広まった鎌倉時代、この祈りの方法ではなく、ただ座って手を合わせる方法になったのは、どういう経緯だったのかなあ、なんて思いました。

 私の実家の宗派は曹洞宗で、他の宗派のことを余り知りません。禅宗だからただ座っていればよかったのか、他の宗派でこのような立ったり座ったり、ひたいを地につける祈りの作法があるのでしょうか。
 日本ではどのお寺に参拝しても、信者もお坊さんもただ座っているだけで、立ったり座ったりを繰り返すことはなかったように思うので。

 境内には茶色の僧服を着たお坊さんが行き来し、先祖供養のお札なども取り扱っているようです。
 本堂や、羅漢像が並んでいる仏堂の中には、釈迦三像や四天王像が安置されています。
 日本の仏像に比べるとずいぶん金ぴかで派手。16羅漢も生々しく写実的な気がする。そういえば、テレビの孫悟空の中にでてくる「おしゃか様」の顔もなんだか生々しかったなあ。

 御堂の中には唯摩経と地蔵経の本がおいてありました。「ご自由にどうぞ」の本でしたが、1元を喜捨して地蔵経のほうをもらってきました。唯摩経のほうは漢字だけでしたが、地蔵経は、経文の一字一字にピンイン(発音アルファベット)が書いてあったので、中国語の練習がてら読んでみようと思い立ってのこと。
 地蔵経の本を開いてみると。

 日本のお坊さんたちがワケのわからないことをありがたそうに唱えていることの内容が、要するにサンスクリット語から中国語に訳された仏典を、中国語の発音のまま読んでいたのだ、とよくわかりました。
 教典が輸入された時代の、呉音・漢音だったり、唐宋音だったり、現代中国語とは発音が異なるでしょうが。

 地蔵経の最初の部分、「香讃」は、ルー、シャン、ジャ、ルオ、ファ、ジエ、マン、スン、シュ、フォ、ハイ、フイ、シ、ヤオ、ウエン、、、、
 と、あの独特の抑揚をつけて読めば、何やら悪鬼も成仏しそうに思えてくる。

<つづく>

07:06 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2007年06月14日


ニーハオ春庭「般若寺と清真寺」
2007/06/15 木
ニーハオ春庭中国通信>般若寺と清真寺(2) 

 般若寺拝観を終え、バスを乗り継ごうかと思案したあと、道順が複雑そうなので、タクシーで清真寺へ。
 タクシーの運転手も一度道を間違え、会社に無線で連絡して、やっと清真寺へ着きました。
 あんまり知られていない場所なんだろうか。

 境内に入ってみると、般若寺が善男善女の参拝客でにぎわっていたのとうって変わって、閑散としてます。
 あらま、門の前には「清真寺、保存重要建築」と書いてあるのに、なんだか寂れたお寺だこと、と思いながら、注意書きを読んで入り口で靴を脱ぎ、建物の中に入ってみたら、、、、、

 仏教寺院ではなくて、イスラム教の寺でした。外観は、仏教寺院のようなのに。
 そういえば、市内のイスラム教徒用のレストランには「清真肉」と、書いてあったのですが、清真寺の寺名から、イスラム教を想像できませんでした。日本のお寺の名前にも「清真寺」というのがありそうなので、すっかり仏教寺院だと思いこんでいたのです。
 改めて入り口をよく見れば、漢字でなくてアラビア文字風の看板が軒下に掲げられていました。

 寺の建物自体は中国化していて、外から見たのでは、イスラム寺院とは気づきません。
 イスラム寺院といえば、丸いタマネギのような屋根を持つ建物だという思いこみもありました。中国では、このように中国寺院の建物と同じつくりになっていたんですね。
 明時代に建てられたイスラムモスクなのだそうです。
http://sekitori.web.infoseek.co.jp/Houses/ie_cn_krks_cho2.html

 建物の内部には敷物と説教台のほかにはなにもなし。メッカの方向にくぼみがついた床の間みたいな空間が作られているだけ。
 お祈りには市内の回教徒が大勢集まるのだろうなあと、想像しながら建物から出ました。
 市内には新疆ウィグル族(回族=フイズー)の人々も大勢住んでいます。

 私の勤務校には、新疆ウィグル地区から日本語を学ぶためにこの地にやってきた学生が大勢いて、顔立ちがはっきり漢族と異なっています。イラン、イラクあたりの人々に似た顔立ちです。

 東北地方に何代も住み続けている回族は、漢族と通婚がすすみ、内地回族(漢化したモスレムウィグル族)となっていて、顔立ちは漢族とほとんど同じです。

 通りの軒下に「清真焼肉串」という店が出ていて、焼肉を2本1元で売っています。イスラムの慣習では「知り合いには安く売り、よそ者からは、ぼったくる」のが商売の正道なので、私は最初1元出しても焼肉を1本しかもらえませんでした。今もこちらの発音の悪さがばれると、1本しかよこさないことがあるのですが、「もう1本」と言うと、ちゃんとくれます。

 入ってくるときは誰もいなかったのだけれど、出てくると、ほんとうにメッカに行った人だけが被れる帽子(ハジの白帽子)をかぶった若者がいました。
 彼は回族の顔には見えません。イスラム寺院が中国化した寺院建築となっているように、回族も、漢族と同化しているので、彼がイスラム寺院におらず、よそで見かけたのなら回族と思わないかもしれない。

 新疆吾尔(シンチャンウィグル)自治区では、ウイグル語が話されています。また、青海省のテレビ放送を時々見ますが、中国語のほかにウィグル語の字幕が出ています。
 ウィグル語は、アラビア文字をもとにしたウイグル文字を使います。
 شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونى, (Shinjang Uyghur aptonom rayoni)

 お寺の入り口に、アラビア文字の額がかかっていたので、入り口の若者に、読めるかきいてみました。
 中央の額が「清真寺」という寺名を書いてあるということは、私にも見当がついたのだけれど、その両脇の額は、分からない。
 聞いてみてわかったのは、彼はアラビア文字は読めない、ということだけ。

 中国政府は新疆吾尔(シンチャンウィグル)自治区独立運動を警戒していて、回族のメッカ巡礼を許可していないと思うのに、若者がハジの帽子をかぶっているので、「メッカに行ったことがあるのか」と、聞いたのだけれど、私の中国語では通じなかった。筆談で質問してもだめ。メッカを中国語でどのように書くか、わからなかったから。

 私が拝観のお礼の気持ちをこめて、入り口で、手を合わせたら、「ここはイスラム寺院だから、部外者が祈るな」と、怒られてしまった。
 仏教徒じゃなくても、だれでも受け入れている日本の仏教寺院のつもりで行動してしまい、すみません。

 イスラム教は戒律も厳しいけれど、祈りの作法も厳しい。一日に5回の礼拝。礼拝の前には沐浴斎戒を欠かさない。
 ここの寺にも、別棟に沐浴室があります。ちゃんと沐浴斎戒してないのに、寺内に入ってしまった私、罰当たるかも。

 般若寺に詣でて祈りを繰り返す人、イスラム寺院で部外者に目を光らせている人、中国の信心模様もさまざまでした。

 一時期は宗教に非寛容だった中国ですが、現在では信仰も、各自の心のままに許されているようです。市内にはキリスト教の教会(天主教会)もあります。
 気功集団として有名になった法輪講などの新興宗教へは、まだ厳しい措置が執られていますが、一般の宗教に関しては、信仰の自由が保障されている印象を受けました。

<おわり>
コメント
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