HageOyaji通信

進路指導ガイダンスの一環として、高校生が≪生き切る力≫を持った自立型人間へのアドバイス、サジェッション・・・になれば

第48話≪サクラサク≫

2005年04月01日 | 雑学話題
 高校生のみなさん、(^◇^)ノ お~ぃ~ゲンキか!

 みなさん、さ~~~ぁ、今日から四月ですね。

 高校生のみなさん、入試合格に「サクラサク」が使われていたのを知っていますか?受験生とサクラは関係がありそうですね。

            

 桜の開花は全国的に最もポピュラーな染井吉野(ソメイヨシノ)が基準になっています。東京地方では靖国神社の境内の指定された3本のソメイヨシノのうちの2本に数輪が咲いたら開花宣言が出されるとか?しかし、開花の早期化は地球温暖化の影響もあるのかも知れませんね。

 毎年この時期に、マスコミが桜前線の進行に一喜一憂するのは、日本独特の趣を感じますね。マスコミでも桜の開花の報道が多いのは日本だけでしょう。日本人って昔から風流を好むからでしょう。テロの可能性もなく、本当に平和ってありがたいと思います。

 桜を見ると、HageOyaji通信:第47話≪図書紹介:未来を拓く君たちへ≫ の中で、田坂広志さんが指摘している「世界で最も恵まれた国」・・・この日本という国は、次の五つの姿を持った、極めて恵まれた境遇にある国ではないだろうか・・・・と。
   ◆半世紀以上戦争の無い国
   ◆世界第二位の経済力の国
   ◆最先端の科学技術の国
   ◆世界一の健康長寿の国
   ◆世界有数の高等教育の国

を思い出し、「世界で最も恵まれた人間」が未来を拓く君たちなのです。


さて、
「さくらの語源」については、いくつかの説があるようです。

 その一つに穀物の霊である穀霊を表す古語である「さ」と、神霊が鎮座する場所を意味する「くら」が合わさった「さ」「くら」で、穀霊が鎮座する場所を表すという説があります。古来より桜の開花が農作業の目安になっていたことを考えると、当時の人々が神霊が宿る木だと思っていても不思議ではありません。

 また、『古事記』に登場する“木花咲耶姫(このはなさくやひめ)”の「さくや」が転訛したものだという説もあります。桜の霊でもある木花咲耶姫が、富士山から最初の桜の種を蒔いたといわれており、「この花(桜)のように美しい姫」の名前が語源だともされているのです。



 『桜』は日本の国花の一つに選ばれており(もう一つは菊)、主に北半球の温帯と暖帯に分布する、バラ科、サクラ亜科、サクラ属の落葉高木または低木です。

 日本にはヤマザクラなど9種を基本にして、変品種をあわせると100以上のサクラが自生しており、これから育成された園芸品種は300以上あると言われ、現在でもその数は増えていると言われます。


最後に、京都ガイドブックから「お花見の歴史」を引用(注:参照)しておきましょう。

 ≪平安時代~鎌倉時代≫
 平安時代になると、貴族達の間で桜を邸内に植えるのが流行りはじめ、その代表が有名な『左近の桜』といわれています。当時は柳の木と混ぜて植えるのが好まれ、白と緑の色鮮やかさが楽しまれました。その後、桜を庭樹にする事はますます盛んになり、鎌倉時代には後嵯峨上皇が桂離宮亀山殿の背後にあたる嵐山に、吉野の山桜を多数移植して花見を楽しまれた事が有名です。

 ≪室町時代~安土桃山時代≫
 室町時代に入ると、世に『花の御所』と呼ばれる多くの花木を植えた室町殿が足利氏の手により完成し、この頃より春の桜狩りは、秋の紅葉狩りと並ぶ日本独特の行楽行事となり、足利義政などが京都東山や大原野(旧長岡京近く)に豪華な花見を行うようになります。そして、動乱の戦国時代を経て、安土・桃山時代に 豊臣秀吉が大規模な『醍醐の花見』を行った事は、あまりにも有名です。

 ≪江戸時代~近年≫
 江戸時代に入ると、一般庶民の間にも花見が盛んになり、多くの名所が誕生しました。なかでも御室(仁和寺で有名)や嵐山、東山方面に多くの人々が花見に出かけて行きました。そしてこれらの名所は、今なお多くの人々に愛されています。また近年に入ると京都の都市整備が進み、多くの桜が洛中洛外に移植され、まさしく京都は『花の都』となってゆきました。

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