つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

信仰の柱、というもの

2006-05-06 03:23:41 | キリスト教(カトリック)
え~。
洗礼の時に頂いたご絵をきっかけに、祈りの会があることを知り、先日出かけてきました。

ミニ売店?が出ていて、ご絵やロザリオ、CDなどが売っていたのですが、これが高い。
…ここでちょっと変、とは思ったのですが、そのまま祈りの会に参加してみて。

プロジェクターでよくある写真や絵が出て来て、何だか怪しい雰囲気だなと(実はこういうのは新興宗教で勧誘の際によくあるパターン)思っていたら、「進化論は信じない」という話が出て、目が点に。
「だってそんなことを信じたら、神様がサルだということになるでしょう?」ときた。
あれれ??と思っていたら、ロックグループにはサタンがついていて、サタン崇拝者だと言い始めた。…お~い。

あげくに締めにはヴァチカン批判っぽいこともちらっと。

でもこれ、一応カトリックの教会が聖堂を貸して行っていることだったので(会場そのものとは関係ないそうですが)、なんだこれは?となってしまい、今朝聖書研究会に出席後、神父様にお尋ねしてみました。

…教会認可のないものだそうで、将来少々危ない方向に行くかもしれない、とのことでした(いや、すでに危ない方に行ってる気がしますが…)。
禁止はされていないので、信心するのは自由、とのことですが。

あわせて言われたのは、こういう私的啓示の場合は、福音に反しないかどうかで考えるべきであるということ。
福音はみんなのためにいわれたもの、私的啓示はその時代あるいはその人のために言われたもの、なので区別して考えなくてはいけない、ということでした。
信仰の柱は福音ですから、言われてみればその通りです(なんで気づかないかな、私!)。
また、「~すれば、災いを避けられる」というのは、いいかえれば「~しなければ災いが起こる」ということですから、福音的でない、と言われました。
…これもその通り。よく考えれば、危ない新興宗教でよく言われる脅しと一緒ですね。

何より、会の間中、幸福感は感じませんでした。義務感と重苦しさ、こんなんだったらカトリックなんて、キリスト教徒になんてならないよ、という感じでした。
神様が遠い気分でした。
神父様のお話を伺っていると、いつも神様を身近に感じて、安心感と幸福感を感じられるのに。

判ったのはいいことですが、あれで一日つぶしたのは結構口惜しいです。
まぁ自業自得ではありますし、これも勉強になりましたが。
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