孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

ある伝統芸能の終焉・・

2015年05月04日 | 日記
笑点というテレビ番組が始ったのは、1966年の5月だったというから、今年で49年になる。長ければいいと言うものでもないだろうが、いつまで続くか興味深い。長寿の理由は、「大喜利」のコーナーにあるのだろうが、昔から見てきてこのコーナーに出ているのは、全員落語家だが、彼らの落語を見る機会はほとんどない。

それどころか、落語という日本独自の芸能は今や消え去る運命にあるような気がする。私が中学生の頃までは、テレビで私の祖父たちが、真剣な表情で見ていた、浪曲という芸能があったが、今ではまず目にすることはない。この世から消えてなくなったわけではないだろうが、テレビで扱うことはないのではなかろうか。

双葉百合子が演ずる「岸壁の母」などは、祖父と一緒に観た記憶がある。また、赤穂浪士の浪曲は私の父のお気に入りで、数あるエピソードを覚えたのは、ほとんど浪曲からだった。

笑点の大喜利に出ていた落語家たちも、多分落語を演ずるのだろうが、なにぶん演芸場が東京や名古屋・大阪くらいにしかなく、観たくてもなかなかその機会を作れないので、ますます落語から疎遠になる。

名人芸の落語は、youtube で観ることができるのは、ファンにとって嬉しい限りだ。贔屓は、六代目三遊亭円生と五代目古今亭志ん生で、円生の「文七元結」」や、志ん生の「火焔太鼓」は、これぞ名人芸といえる逸品だと思う。

古典落語からは学べることが多く、映像だけでもいいから、どこかのテレビ局が専用の時間を設けてくれないかと願う限りだ。視聴者を白痴化するお笑い芸人たちが雛段に並ぶ、どれも似たようなバラエティー番組に金を出すくらいなら、残すべき古典芸能に金を出す企業が一つくらいあってもいいではないかと思うのだが、それがない。

笑点に出演する落語家たちも、落語以外で収入を確保する必要もあるのだろうが、本業の落語を披露したい気持ちは強いに決っている。この人の落語を聞いてみたいなあと思わせる落語家は、もう何十年も現れていないのは、少し残念だ。ましてや、番組の中で、ラーメンの宣伝をしているようでは、この伝統芸能の末路が見えるようで、実に嘆かわしい。


白衣着てれば偉いってもんでもないし・・

2015年05月04日 | 日記
医院と薬局が別々になって久しい。街中が薬局だらけになって、私が定期的にお世話になる市立病院の周りには、確か7つ位のいわゆる門前薬局が軒を連ねていて、どこも白衣を着た薬剤師が店番をしている。

先日も持病の薬が切れそうだったので、近くの町医者に行き、処方箋をもらったのだが、特に変化がなければ、30分待って1~2分の診察で1500円ほど払い、少し歩いたところにある薬局に行き、また10分ほど待って、2000円ほど払うというのは、何のメリットがあるのだろうかと、首を傾げたくなる。

そんなことを考えながら、薬局で薬を待っていると、白衣姿の男が名前を呼び、「いつものお薬でいいすか?花粉症は大丈夫ですか?」などとお愛想を言ってきた。

私はおべっか使いが、この世で茶羽ゴキブリの次に嫌いなので、わざと「さっき渡した処方箋どおりの薬をください。花粉症は治療していません。」と、突き放すように言った。その薬局に限らず、別の薬局でも薬剤師のくせに、「普段、血圧はどのくらいですか?」などと、鹿爪らしく聞いてきたので、私は、「そういう事は医者には言うけど、あなたに言うことじゃないでしょ。」と、バチンと言ってやったことがある。

近くの国道沿いに、大型のドラッグストアが開店したとき、風邪をこじらせてしまって、薬を買いに行った。すると、レジでおつりと一緒にクーポン券を渡してよこした。チラッと見ると、10枚で商品が1割引になるようなことが書かれていたので、私はそれをもらわず店員に返した。

白衣姿の店員は少し慌てて、クーポン券の説明をし始めたが、私は「人が病気で苦しんで、飲みたくもない薬を買いにきているのに、それを喜ぶように、もっと買え、もっと買えみたいなことして、少しは病人の気持ちを考えたらどうですか?」と、すごんで見せたことがあったが、今ではクーポン券が、ポイントカードに替わって、レジを渋滞させる原因の一つになっている。

血圧を下げる薬を買いに医者に出かけるたびに、いつもこんな調子で私の血圧は跳ね上がるのだった。

それは女の子です・・・

2015年05月04日 | 日記
英国のロイヤルベビーは女の子だったと、日本のマスメディアも一緒になって、無邪気にはしゃいだ報道を繰り広げているが、あの英国民のハチャメチャなはしゃぎぶりを見ていて、ちょっと引いてしまったのは私だけだろうか。

産院の出口にマスコミが押し寄せたり、赤ちゃんの名前まで賭け事の対象としてしまうのだから、何とも開けた王室ではないか。どこかの反日テレビ局が、日本の皇室もかくあるべきではないか、といった報道をするのでは、と心配したが、それはお目にかからなかった。

女の子だ、という場合、英語では It's a girl . というのが面白いと思った。男なら he 。 女なら she 。 生まれる瞬間は、まだ分からないから it ということなんだろうが、英語は主語を省きがちな日本語とは違う言語だと改めて認識させられた。

中学のとき電話をかける場合は、例えば「もしもし、山田です。」というのを英語では、「Hello, this is Yamada speaking .」というと習った。山田です、というのは、I am Yamada ではなく、 This is Yamada と言う。

授業では、その由来は説明されなかったが、後で本で読んで知った。つまり、遠く離れた人は、相手の声が受話器から聞こえてくる。受話器は、物体であり、人間の形をしている訳でもないので、「私は」ではなく、「これは」と言うのが自然だということだ。受話器が、「これは山田が話しています」となるわけだ。

だから、相手を確かめる場合も、「Are you Yamada ?」ではなく「Is this Yamada?」と、受話器という音が出る物に言うのだ。 「はい、山田です。」と電話で応える場合は、「Yes, this is Yamada .」だったり、「Yes, this is he. 」 女性なら、「Yes, this is she. 」と言えば、「はい、そうです。」という意味になる。

因みに、「もしもし」というのは、大正初期の流行り言葉で、電話言葉だけでなく、声をかけるときにも使われ始めたそうだ。昔の流行歌に、おまわりさんが、「♪もしもし、ベンチでささやく、お二人さん、早くお帰り、日が暮れる・・・♪」という歌詞で始る名曲があった。確か私が生まれた頃の歌で、死んだ親父がよく口ずさんでいた。

恐るべき、反日番組・・

2015年05月04日 | マスゴミ関連
怖いもの見たさ、で見る日曜日の朝のTBS看板番組『サンモニ』こと、「サンデーモーニング」を見たが、予想通り自社の社員がつかんだ、韓国軍のベトナム女性を性奴隷にしていた証拠スクープを報道することはなく、完全無視を貫いていた。

産経新聞ソウル支局長だった加藤氏の一件で、韓国には報道の自由がまったくないということが明白となったが、TBSにも同じことが言える。いや、これはあの朝日・嘘つき新聞の所為で、日本の名誉を貶められ続けている現状を改善するであろうという大スクープだったにもかかわらず、日本より朝鮮半島や中国共産党のための報道機関に成り下がったTBS(毎日新聞)には、報道しない自由はあっても、報道の自由は存在しないということを証明したといえる。

『と(T)んでもない、馬(B)鹿が、そ(S)ろった』テレビ局だと言ったのは、日本を代表する反日司会者・筑紫哲也だったが、馬鹿では済まない、「国家反逆罪」にすら相当しうる犯罪行為であろう。

昨日の、サンモニもいつもの通り、日本大嫌い感満載のコメンテーターのお歴々が、司会者に順番に指されながらご意見を述べておられたが、話題の中心は安倍総理の訪米のことだった。

スピーチの原稿にはメモが書かれていて、相当練習したらしい・・・とか、日本は加害者意識が足りないとか、謝り方が足りない・・とか、この方たちの言うことは、なぜか韓国の方々の御主張と同じように聞こえ、日本の視聴者に向って言ってるようには聞こえない。

年を経るごとに、蛇蝎のような表情が様になってきた司会者は、東京五輪が決ったとき、「こんなことに金を使うなら、慰安婦に補償すべきじゃないでしょうか。」と言っていたが、東京オリンピックをどのように報道するか、今から楽しみだ。