孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

グァム島の子連れ結婚式

2015年05月01日 | 日記
何気なく見ていたテレビのCMに目が留まったのは、それがどこかで見た光景だったからだった。青く広がる海と真っ白なステージ。それは、どこかで見たというより3年前に私がその場所にいたからだった。

シンガポールに赴任していた時、次男夫婦が結婚式を挙げるから是非参加してくれと言ってきたので、私はシンガポールからマニラ経由でグアムに飛び、言われたホテルにチェックインした。飛行機の関係で、早朝のチェックインだったため、部屋には入れず、少しロビーで時間を潰してから、タクシーで横井庄一さんが28年間隠れていた「横井ケーブ」を観に行った。

ホテルに戻って、バーのカウンターでビールを飲んでいると、次男夫婦となっちゃん、カミさん、それに嫁さん方のご両親が到着した。そして、翌日、真っ白なステージのある教会風の式場で、キリスト教もどきの結婚式を挙げたのだった。

ステージで次男が待っている。そこへ花嫁がお父さんにエスコートされて、バージンロードをゆっくりと歩いて行く。ガチガチに緊張したお父さんの表情が可笑しくて、私は下唇から血が噴出しそうになるほど噛んで笑いをこらえた。

牧師を演ずる大柄の白人男性が、何かを言って指輪の交換をしたりキスをするよう催促したりしたと思ったら、オルガンの演奏が始り、賛美歌を歌わされた。

私は、賛美歌など歌いたくもないから、こういう時はいつも、口パクをしながら、頭の中では、「マカ、ハンニャア、ハーラー、ミッター、シンキョー・・・」と般若心経を唱えることにしているので、そのときも、頭の中では「ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー・・・」とやっていた。

やれやれ、終わったかと思ったら、今度は新郎新婦からご両親へのメッセージがあります、と司会の女性が言うではないか。すると、次男がポケットから用意してあったカンペを取り出し、読み始めた。母親への感謝の言葉を縷々述べた後、お父さん、、、、と、今度は私の方をちらりと見て、「いつもなにか分からないことがあると、何でも教えてくれたね。」と始めた。

想定外の出来事に、私はかなり動揺して目がウルウルし始めた。その内、嗚咽をこらえて息が出来なくなり、苦しさに耐えるのに必死で、本当に死ぬかと思った。

私の滞米中に姉が結婚式を挙げたのだが、そのとき私の父は、感涙にむせてテーブルの下に隠れてしまい、オイオイ声をあげて泣き出したそうだ。それを聞いたときは、笑い転げたが、いざ自分がその場面に立ってみると、親父の気持ちが良く理解できたのだった。

あの時、私の膝の上にちょこんと座って式を見ていたなっちゃんはまだ3歳になったばかりで、言葉を話すことがなかったが、今はすくすく育って、一日中でも喋り続けそうだ。そのなっちゃんが、また明日の朝やってくる。なんと、明日はお泊りするそうだ。


箸とナイフ・・・

2015年05月01日 | 日記
アメリカ人の多くは、愛国心を持つ教育を受けているので、自国の悪口を言い立てるようなことはまずないだろうが、彼らは自国の歴史が浅いことに、少なからずコンプレックスを抱いているようだ。

1776年にイギリスから独立して、来年でようやく240年だから人間で言えばまだ小学生といったところか。かつての宗主国・イギリスは、次々に王室の変遷があってどこが始りかよく分からないが、ウィリアム一世のノルマン王朝が始ったのは1066年だから、まだ1000年経っていない。

今ロイヤルベビーで大騒ぎしているようだが、日本より長い歴史と伝統が英国にはあると、思い込んでいる日本人が多いのではないだろうか。

高校三年のとき、テーブルマナーを覚えるため、実際のレストランで洋食を食べながら講習を受けていた連中がいたようだが、あれはあれで意義のあることだと、私も後になって痛感したことがある。

というのは、20歳のときニューギニアに4人の仲間と探検旅行に行く途中一泊したグアム島で、偶然知り合った日本人が、ホテルの支配人で、食事に招待してくれたことがあった。言われたホテルに言われた時間に行ってみると、それは予想外に高級なホテルで、そこのレストランでいわゆるフルコースのディナーをご馳走になった。

テーブルには左右に数十個の大小のナイフやフォークが置かれていて、仲間の顔を見ると、みんな少し引きつっていた。もちろん私も心臓がパクパクし始めていた。

食事が始ってからは、上座に座っていた支配人の動きに全神経を集中させ、彼が動くと0,5秒くらい遅れて、まったく同じ動きをした。今思い返しても、そのときどんな料理を食べたのか、まったく記憶にない。

イギリスに限らず西洋では、皆ナイフとフォークを使ってお上品に食事するものと思っている人が多いだろうが、彼らがナイフとフォークを使い始めたのは、今からほんの 500年ほど前で、それまでは手づかみでガツガツ食べていたようだ。

日本の場合、食事で箸を使う習慣が定着したのは、7世紀頃だといわれているので、我々は1400年以上箸を使って食事をしていることになる。

日本では、学校で教師の思想信条から、国旗や国歌を否定するような教育が蔓延しているようで、まったく嘆かわしいが、わが国独自のカレンダー皇紀では、今年は2675年にあたる。

日本の始まりは、神話の世界で、初代天皇である神武天皇が即位した年である。一方、偉大なる英国王室の始まりは、ヨーロッパ大陸から侵入した征服者であることを考えると、ロイヤルベビーのバカ騒ぎを見る目も少し変わってくる。


末期癌って告白されてもねぇ・・

2015年05月01日 | 日記
先日他界した愛川欽也氏といえば、私はすぐにラジオの深夜放送を連想する馴染み深い名前だった。確かTBSラジオの「パックインミュージック」だったと思うが、軽快な語り口でたまに聴いていたので、1970年代当時を思い出す。

贔屓にしていたのは、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」の確か木曜日だったと思うが、高嶋秀武さんだった。番組進行者をパーソナリティと呼んで、聴取者は競ってリクエストカードを送ったものだ。聴きたい曲名を書いてリクエストするのだが、そこに書く様々な情報をパーソナリティが面白おかしく読み上げる。

授業中にせっせとリクエストカードを書いて送り、それが放送で読まれたときは、もう有頂天になったものだった。更に、それを同級生が聴いていたと言ってくれたときなど、一日中楽しい気分で過ごせた。

キンキンこと愛川欽也氏が他界する前は、状態が悪くなったことを特に公表しなかったようで、芸能界は突然の他界だと、騒いでいたようだった。なぜ病気であることを伏せたのだろう、などと盛んに不思議がっていた元テレビ司会者がいたが、私はなぜベラベラと病気を公表する必要があるのだろうかと疑問に思うのだ。

今朝も、何気なくテレビを見ると、深刻な表情で会見している男性が写っていて、何だと思って見ていると、自分は末期がんですと、告白している俳優の会見だった。

ぐだぐだ、めそめそと病状を説明されても同情する気にもなれず、チャンネルを変えたのだが、こうやってテレビで重病を告白する人の心情を忖度すると、それはやはり死に対する、抑えきれない恐怖感がそうさせるのだろうと思う。

どうせ、テレビでは、一通りこういう可哀相な俳優の会見を放送して、「かわいそう感」を煽った後、画面はパッと変わって、連休の行楽地の見どころなどを、ケラケラ笑いながら放送するのだろうから、所詮主婦の井戸端談義の話題にしかならないだろう。

「皆さん、どうかこんな僕を応援してください。」などと視聴者に頭を下げたところで、視聴者は連休のことで頭は一杯なのである。