何気なく見ていたテレビのCMに目が留まったのは、それがどこかで見た光景だったからだった。青く広がる海と真っ白なステージ。それは、どこかで見たというより3年前に私がその場所にいたからだった。
シンガポールに赴任していた時、次男夫婦が結婚式を挙げるから是非参加してくれと言ってきたので、私はシンガポールからマニラ経由でグアムに飛び、言われたホテルにチェックインした。飛行機の関係で、早朝のチェックインだったため、部屋には入れず、少しロビーで時間を潰してから、タクシーで横井庄一さんが28年間隠れていた「横井ケーブ」を観に行った。
ホテルに戻って、バーのカウンターでビールを飲んでいると、次男夫婦となっちゃん、カミさん、それに嫁さん方のご両親が到着した。そして、翌日、真っ白なステージのある教会風の式場で、キリスト教もどきの結婚式を挙げたのだった。
ステージで次男が待っている。そこへ花嫁がお父さんにエスコートされて、バージンロードをゆっくりと歩いて行く。ガチガチに緊張したお父さんの表情が可笑しくて、私は下唇から血が噴出しそうになるほど噛んで笑いをこらえた。
牧師を演ずる大柄の白人男性が、何かを言って指輪の交換をしたりキスをするよう催促したりしたと思ったら、オルガンの演奏が始り、賛美歌を歌わされた。
私は、賛美歌など歌いたくもないから、こういう時はいつも、口パクをしながら、頭の中では、「マカ、ハンニャア、ハーラー、ミッター、シンキョー・・・」と般若心経を唱えることにしているので、そのときも、頭の中では「ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー・・・」とやっていた。
やれやれ、終わったかと思ったら、今度は新郎新婦からご両親へのメッセージがあります、と司会の女性が言うではないか。すると、次男がポケットから用意してあったカンペを取り出し、読み始めた。母親への感謝の言葉を縷々述べた後、お父さん、、、、と、今度は私の方をちらりと見て、「いつもなにか分からないことがあると、何でも教えてくれたね。」と始めた。
想定外の出来事に、私はかなり動揺して目がウルウルし始めた。その内、嗚咽をこらえて息が出来なくなり、苦しさに耐えるのに必死で、本当に死ぬかと思った。
私の滞米中に姉が結婚式を挙げたのだが、そのとき私の父は、感涙にむせてテーブルの下に隠れてしまい、オイオイ声をあげて泣き出したそうだ。それを聞いたときは、笑い転げたが、いざ自分がその場面に立ってみると、親父の気持ちが良く理解できたのだった。
あの時、私の膝の上にちょこんと座って式を見ていたなっちゃんはまだ3歳になったばかりで、言葉を話すことがなかったが、今はすくすく育って、一日中でも喋り続けそうだ。そのなっちゃんが、また明日の朝やってくる。なんと、明日はお泊りするそうだ。
シンガポールに赴任していた時、次男夫婦が結婚式を挙げるから是非参加してくれと言ってきたので、私はシンガポールからマニラ経由でグアムに飛び、言われたホテルにチェックインした。飛行機の関係で、早朝のチェックインだったため、部屋には入れず、少しロビーで時間を潰してから、タクシーで横井庄一さんが28年間隠れていた「横井ケーブ」を観に行った。
ホテルに戻って、バーのカウンターでビールを飲んでいると、次男夫婦となっちゃん、カミさん、それに嫁さん方のご両親が到着した。そして、翌日、真っ白なステージのある教会風の式場で、キリスト教もどきの結婚式を挙げたのだった。
ステージで次男が待っている。そこへ花嫁がお父さんにエスコートされて、バージンロードをゆっくりと歩いて行く。ガチガチに緊張したお父さんの表情が可笑しくて、私は下唇から血が噴出しそうになるほど噛んで笑いをこらえた。
牧師を演ずる大柄の白人男性が、何かを言って指輪の交換をしたりキスをするよう催促したりしたと思ったら、オルガンの演奏が始り、賛美歌を歌わされた。
私は、賛美歌など歌いたくもないから、こういう時はいつも、口パクをしながら、頭の中では、「マカ、ハンニャア、ハーラー、ミッター、シンキョー・・・」と般若心経を唱えることにしているので、そのときも、頭の中では「ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー・・・」とやっていた。
やれやれ、終わったかと思ったら、今度は新郎新婦からご両親へのメッセージがあります、と司会の女性が言うではないか。すると、次男がポケットから用意してあったカンペを取り出し、読み始めた。母親への感謝の言葉を縷々述べた後、お父さん、、、、と、今度は私の方をちらりと見て、「いつもなにか分からないことがあると、何でも教えてくれたね。」と始めた。
想定外の出来事に、私はかなり動揺して目がウルウルし始めた。その内、嗚咽をこらえて息が出来なくなり、苦しさに耐えるのに必死で、本当に死ぬかと思った。
私の滞米中に姉が結婚式を挙げたのだが、そのとき私の父は、感涙にむせてテーブルの下に隠れてしまい、オイオイ声をあげて泣き出したそうだ。それを聞いたときは、笑い転げたが、いざ自分がその場面に立ってみると、親父の気持ちが良く理解できたのだった。
あの時、私の膝の上にちょこんと座って式を見ていたなっちゃんはまだ3歳になったばかりで、言葉を話すことがなかったが、今はすくすく育って、一日中でも喋り続けそうだ。そのなっちゃんが、また明日の朝やってくる。なんと、明日はお泊りするそうだ。