初孫なっちゃんが、一人でお泊りした。遊び盛りで、見るもの聞くもの何でも知りたがり、正に「歩く好奇心」だ。
昨日はなっちゃんだけお泊りするといって、お気に入りのおもちゃをバッグ一杯持ってやってきた。「じーじ」と呼ばれているときは、正直言って返事をするのも嫌だったが、幼稚園年中組になってから、なぜか呼び方が「おじいちゃん」に変わった。この響きはさほど悪い気はしないものだ。
着くや否や、なっちゃんは「おじいちゃん、何して遊びたい?」と言いながら、バッグから取り出したのが、初めて見るカルタだった。早速テーブルに陣取ったなっちゃんは、箱からカルタを取り出し満遍なく広げるように指図するのだった。
二度読み上げ係をやってから、「今度は何して遊ぶ?」といいながら折り紙を取り出した。飛行機と財布の作り方をなっちゃんから習って、私からは風車の造り方を伝授した。なっちゃんは、朝ごはんを抜いてきたらしく、テーブルにあったおせんべいの袋が気になって仕方がない。
「おじいちゃん、おせんべい食べたい?」 こういうNOとは言わせないようなレトリックは一体どこで覚えたのかと思いながら、なっちゃんの成長に目を細める私だった。
積み木遊びで時間を潰した後、図書館に本を返却に行くのに、なっちゃんを誘ってみた。図書館にはまだ馴染みがないらしく、本の返却と言っても理解しないようだったが、一緒に行くことは拒まなかった。車の中で図書館のことを話していても、なっちゃんは「信号が赤だ、あっ青になった」「前の車が動き出した」と、運転する私を信用できないのか、盛んに世話を焼いてくれた。
子供が自分から本に手を伸ばすようになったら、もう心配することはない。そうするには、ただ本を押し付けてもダメで、この辺りが難しいところだ。しかし、小学校では、少し強制気味になってもいいから読書する習慣を身につけさせることは、その後の学業にとっても、大切なことではなかろうかと思う。
図書館で本を返却し、なっちゃんと手をつないで館内をぐるっと一周した。なっちゃんは、あまり関心があるようには見えなかったが、おじいちゃんは、今日の経験がどこかに思い出となって残ることを期待したのだった。
帰宅すると、おばあちゃんが夕飯のカレーライスを作っていた。私が愛犬と夕方の散歩に行くというと、なっちゃんも行くという。いつもは車で近くの河川敷公園まで行くのだが、昨日は近所をぐるっと廻ることにした。元気に先頭を行くなっちゃんは、すれ違う近所のおばさんたちに、元気に「こんにちわ」と愛想を振りまく。
家に戻ると、カレーライスのいい香りが部屋に充満していた。ジャガイモが丸ごと煮込まれたカレーライスは久々で、腹いっぱいになった。食事中も、やれ、レタスを食べなさい、なぜカレーライスをまぜまぜしないの、とおしゃべりは止まらない。
食後にトランプの相手をしたのだが、晩酌に飲んだチューハイの所為か、睡魔に襲われ早々にベッドに倒れこんで熟睡してしまった。今朝遅く目が覚めると、なっちゃんのパパがお迎えに来ていた。「また来るねぇ。バイバイ」と元気一杯のなっちゃんは、帰っていった。
昨日はなっちゃんだけお泊りするといって、お気に入りのおもちゃをバッグ一杯持ってやってきた。「じーじ」と呼ばれているときは、正直言って返事をするのも嫌だったが、幼稚園年中組になってから、なぜか呼び方が「おじいちゃん」に変わった。この響きはさほど悪い気はしないものだ。
着くや否や、なっちゃんは「おじいちゃん、何して遊びたい?」と言いながら、バッグから取り出したのが、初めて見るカルタだった。早速テーブルに陣取ったなっちゃんは、箱からカルタを取り出し満遍なく広げるように指図するのだった。
二度読み上げ係をやってから、「今度は何して遊ぶ?」といいながら折り紙を取り出した。飛行機と財布の作り方をなっちゃんから習って、私からは風車の造り方を伝授した。なっちゃんは、朝ごはんを抜いてきたらしく、テーブルにあったおせんべいの袋が気になって仕方がない。
「おじいちゃん、おせんべい食べたい?」 こういうNOとは言わせないようなレトリックは一体どこで覚えたのかと思いながら、なっちゃんの成長に目を細める私だった。
積み木遊びで時間を潰した後、図書館に本を返却に行くのに、なっちゃんを誘ってみた。図書館にはまだ馴染みがないらしく、本の返却と言っても理解しないようだったが、一緒に行くことは拒まなかった。車の中で図書館のことを話していても、なっちゃんは「信号が赤だ、あっ青になった」「前の車が動き出した」と、運転する私を信用できないのか、盛んに世話を焼いてくれた。
子供が自分から本に手を伸ばすようになったら、もう心配することはない。そうするには、ただ本を押し付けてもダメで、この辺りが難しいところだ。しかし、小学校では、少し強制気味になってもいいから読書する習慣を身につけさせることは、その後の学業にとっても、大切なことではなかろうかと思う。
図書館で本を返却し、なっちゃんと手をつないで館内をぐるっと一周した。なっちゃんは、あまり関心があるようには見えなかったが、おじいちゃんは、今日の経験がどこかに思い出となって残ることを期待したのだった。
帰宅すると、おばあちゃんが夕飯のカレーライスを作っていた。私が愛犬と夕方の散歩に行くというと、なっちゃんも行くという。いつもは車で近くの河川敷公園まで行くのだが、昨日は近所をぐるっと廻ることにした。元気に先頭を行くなっちゃんは、すれ違う近所のおばさんたちに、元気に「こんにちわ」と愛想を振りまく。
家に戻ると、カレーライスのいい香りが部屋に充満していた。ジャガイモが丸ごと煮込まれたカレーライスは久々で、腹いっぱいになった。食事中も、やれ、レタスを食べなさい、なぜカレーライスをまぜまぜしないの、とおしゃべりは止まらない。
食後にトランプの相手をしたのだが、晩酌に飲んだチューハイの所為か、睡魔に襲われ早々にベッドに倒れこんで熟睡してしまった。今朝遅く目が覚めると、なっちゃんのパパがお迎えに来ていた。「また来るねぇ。バイバイ」と元気一杯のなっちゃんは、帰っていった。