孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

お泊り、なっちゃん・・

2015年05月03日 | 孫ネタ
初孫なっちゃんが、一人でお泊りした。遊び盛りで、見るもの聞くもの何でも知りたがり、正に「歩く好奇心」だ。

昨日はなっちゃんだけお泊りするといって、お気に入りのおもちゃをバッグ一杯持ってやってきた。「じーじ」と呼ばれているときは、正直言って返事をするのも嫌だったが、幼稚園年中組になってから、なぜか呼び方が「おじいちゃん」に変わった。この響きはさほど悪い気はしないものだ。

着くや否や、なっちゃんは「おじいちゃん、何して遊びたい?」と言いながら、バッグから取り出したのが、初めて見るカルタだった。早速テーブルに陣取ったなっちゃんは、箱からカルタを取り出し満遍なく広げるように指図するのだった。

二度読み上げ係をやってから、「今度は何して遊ぶ?」といいながら折り紙を取り出した。飛行機と財布の作り方をなっちゃんから習って、私からは風車の造り方を伝授した。なっちゃんは、朝ごはんを抜いてきたらしく、テーブルにあったおせんべいの袋が気になって仕方がない。

「おじいちゃん、おせんべい食べたい?」  こういうNOとは言わせないようなレトリックは一体どこで覚えたのかと思いながら、なっちゃんの成長に目を細める私だった。

積み木遊びで時間を潰した後、図書館に本を返却に行くのに、なっちゃんを誘ってみた。図書館にはまだ馴染みがないらしく、本の返却と言っても理解しないようだったが、一緒に行くことは拒まなかった。車の中で図書館のことを話していても、なっちゃんは「信号が赤だ、あっ青になった」「前の車が動き出した」と、運転する私を信用できないのか、盛んに世話を焼いてくれた。

子供が自分から本に手を伸ばすようになったら、もう心配することはない。そうするには、ただ本を押し付けてもダメで、この辺りが難しいところだ。しかし、小学校では、少し強制気味になってもいいから読書する習慣を身につけさせることは、その後の学業にとっても、大切なことではなかろうかと思う。

図書館で本を返却し、なっちゃんと手をつないで館内をぐるっと一周した。なっちゃんは、あまり関心があるようには見えなかったが、おじいちゃんは、今日の経験がどこかに思い出となって残ることを期待したのだった。

帰宅すると、おばあちゃんが夕飯のカレーライスを作っていた。私が愛犬と夕方の散歩に行くというと、なっちゃんも行くという。いつもは車で近くの河川敷公園まで行くのだが、昨日は近所をぐるっと廻ることにした。元気に先頭を行くなっちゃんは、すれ違う近所のおばさんたちに、元気に「こんにちわ」と愛想を振りまく。

家に戻ると、カレーライスのいい香りが部屋に充満していた。ジャガイモが丸ごと煮込まれたカレーライスは久々で、腹いっぱいになった。食事中も、やれ、レタスを食べなさい、なぜカレーライスをまぜまぜしないの、とおしゃべりは止まらない。

食後にトランプの相手をしたのだが、晩酌に飲んだチューハイの所為か、睡魔に襲われ早々にベッドに倒れこんで熟睡してしまった。今朝遅く目が覚めると、なっちゃんのパパがお迎えに来ていた。「また来るねぇ。バイバイ」と元気一杯のなっちゃんは、帰っていった。




憲法知らずの改憲談義・・

2015年05月03日 | 日記
5月3日は憲法記念日で、昭和23年の5月3日、日本国憲法が施工されたことを記念する日で祝日である。

テレビのほとんどは、いわゆる「反日マスコミ」と化してしまった今日、憲法9条がすべったの転んだの、建保を改正すると戦争をすることになって、徴兵制が始るなどと暗に陽に煽る番組や報道ばかりが目に付く。

国民に憲法改正についてアンケートをとったら、「改正する必要がない」が「改正する必要がある」を上回ったと勝ち誇ったように報道していた司会者がいたが、そもそも今の憲法がどのように制定されたかすらも、教えられてこなかったのが、今の日本国民であろう。

憲法の成り立ちや、戦後の占領期の実情や関連する国際法などを国民に十分知らしめた上でアンケートをとったものなら、結果に少しは関心を抱くが、視聴者を白痴に仕立てておいて、アンケートも国民投票もあったものではないんじゃないかと鼻白む。

そもそも、昭和23年といえば、日本は連合軍に占領されたいたわけで、主権など存在していなかったわけだ。「主権在民」だと華々しく宣言したところで、日本国民には主権など微塵も存在していなかった事実を知れば、後は推して知るべしである。

今の日本国憲法は、連合国GHQ民生局が、たった6日間で作ったもので、マッカーサーの部下である、ホイットニーやケーディスが中心になって、日本政府に押し付けたものだという、当時の国際法に反するものだったことを、議論する前に認識するべきだ。

当時、絶対的な権力を持っていたのはGHQであり、マスコミも官僚も政治家も、日本中がその権力に逆らえず、言いなりになっていた。そして、70年を経た今になってもほとんどの国民は、呪縛から解放されていない。

トルーマン米国大統領がマッカーサーに指示したことは、「日本が再びアメリカの脅威となり、また世界の平和及び安全の脅威とならないようにすること。」であった。白人500年のアジア植民地支配を終わらせた日本が、いかに彼らにとって脅威だったか、よく理解できるのではないか。


慰安夫も大変・・

2015年05月03日 | 日記
黒澤明の「七人の侍」の中の一場面に、明日はいよいよ野武士たちと一戦を交えるという晩に、村人の娘、志乃に誘われて、若侍の勝四郎が粗末な草葺の小屋で愛を確かめ合うところがあるが、そのとき志乃は、「あすは、みんな死ぬんだべ。」と言って、煮えきらぬ勝四郎を押し倒し、そして二人は結ばれるのだった。

それは、恐らく人間の種を残そうとする本能だろうが、人は生死の危険が迫ってくると性欲が旺盛になるものらしい。以前、ある登山家が、冬山のテントの中で寝ようとすると、息子が元気になって眠れないときがある、と語っていたのも、多分同じことなのだろう。

戦争ともなれば、いつ死ぬか分からない兵士のテンションは上がりっぱなしになり、そういう状況を、平和な平常時に議論の対象とするには、それなりの認識を必要とすると思う。以前、おしゃべり好きの大阪市長が、慰安婦なんてどの国でもやってたことだと、ホントのことを言ったとき、大騒ぎになったが、戦時慰安婦は当時は、悲しいことだったが実際必要悪で、慰安婦制度を持たなかったロシア軍などは、攻め込んでは現地の女性を何十万人と強姦しまくったという、おぞましい事実がある。

1945年、日本の敗戦で、アメリカ軍の占領が始った際、最初の一ヶ月間に、神奈川県下だけで、何と2900件の米軍兵士による強姦事件が起きている。さらに、占領は7年間続くわけだが、その数は全国で30000件だったというから、レディーファーストのお国の青年たちは、戦争が終わっても性欲旺盛だったことが分かる。

珍しく、あの朝日新聞がアメリカ軍兵士の強姦事件という事実を報道したら、GHQに呼び出されて大目玉を喰らって、二日間の発禁処分を言い渡されたそうだ。そのときから朝日新聞は、GHQのご威光に逆らわず、嘘も平気で報道する新聞に変貌して今日に至っている。

日本政府は、アメリカ軍兵士を放っておくと大変なことになる、と慌てて連合軍向けの売春施設を用意した。「特殊慰安施設協会」という名の、何かどこかに今でもありそうなNPO法人みたいな団体であるが、英語名は、Recreation and Amusement Association と言い、RAA の頭字語で知られた。リクリエーションもアミューズメントも、「気晴らし」とか「娯楽」という意味で、テーマパークみたいだが、中身は連合軍兵士達の性欲のはけ口となる売春施設だった。

さすが、男女平等を重んずる民主主義のアメリカだけあって、こういう施設は男だけのものではなかった。つまり、占領が始った翌年には、女性兵士用の「慰安夫」も存在したのだった。『昭和21年に名古屋に進駐した女性兵士用に採用された男性は、内臓、眼、皮膚、血液、尿の検査を受け、松坂屋近くの木造アパートに数名の男性と一人一室が与えられ、半年間特定の女性伍長の専属になった。勤務は一日置き。食料は潤沢に与えられたが、体力的には過酷だったという』という記録が今でも現存している。

考えてみれば、キリスト教の聖書には、『征服したら兵士は殺すか、奴隷にせよ。子供とて、男なら皆殺しせよ。女は処女以外はみんな殺せ。処女はお前たちのために生かしておけ。奪い取ったものは、兵士とみんなで折半しろ。』こんな風に、主がモーゼに事こ事細かに指示している。旧約聖書の出エジプト以降、例えば「民数記」31章を読んでみるがいい。

2003年、アメリカ軍がイラクのバグダッドを制圧したとき、アメリカ兵たちはイラクの国立博物館から、先を競って略奪して国へ持ち帰ったのだった。それがばれて、約半分は博物館に戻ったそうだが、盗んだ兵士たちは、聖書にも書かれていることを実践しただけなのに・・・と、さぞ納得いかなかっただろう。

だから、アメリカ人は、とか、だから韓国人はとか、小難しいことを言うつもりはないが、こういう事実は知っておいて損はない。